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インドネシアの歴史 - Wikipedia

インドネシアの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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インドネシア史(インドネシアし)では、インドネシアの歴史について述べる。

大まかに分類しても70余の民族が居住する多民族国家であるインドネシア共和国に国のまとまりが生まれたのは比較的新しく、狭義のインドネシア史は第二次世界大戦後の独立時代に過ぎない。そもそも、この地域がはじめてひとつの政治体によって統一されたのは、17世紀に建設が始まり20世紀初頭にようやく完成をみたオランダ領東インドの時代が最初であった。

目次

植民地以前のインドネシア

1891年ジャワ島のトリニール付近で直立猿人(ジャワ原人)の頭蓋骨と大腿骨が発見された。インドネシアは、旧石器時代人類が活躍していたことが確実となった。

紀元前2500年から紀元前1500年頃にかけて、中国西南地方から移住した民族があり、水稲耕作を行っていた。

後にインドネシアとなる東南アジアの島嶼部には、紀元前2千年紀からオーストロネシア語族に属する言葉を話すマレー系の民族が渡り、各島に定着していった。

紀元前1世紀の頃からはインド洋を渡ってインドの商人たちが訪れるようになり、ヒンドゥー教の影響を受けた独自の文化が発展し始め、5世紀頃から、ボルネオ島東部にクタイ王国、西部ジャワタルマヌガラ王国が繁栄し始める。クタイ王国は、インドからマカッサル海峡、フィリピン、中国に抜ける交易ルートに位置していたためにインドからの船が寄航し中継貿易の利で繁栄したと思われる。

7世紀から11世紀にかけてスマトラ島南部パレンバンを本拠とするシュリーヴィジャヤ王国マラッカ海峡を制圧し、南海貿易をコントロールし仏教文化が栄え繁栄を極めた。

ジャワでは、8世紀前葉に古マタラム王国とシャイレーンドラが建国された。シャイレーンドラにより8世紀末から9世紀初めにジャワ島の中部に建設されたボロブドゥール寺院は、底部の一辺が120m、高さ約42mという巨大な大乗仏教の石造ストゥーバである。カンボジアベトナム南部のチャンパ王国まで遠征したという説があるが、もともとインドネシア半島にいたオーストロネシア系の人々を指すとする見解が近年は有力である。古マタラム王国は、10世紀初め頃まで続き、壮大なヒンドゥー寺院であるプランバナン寺院群を建設した。929年には、東部ジャワにクディリ王国が建国され、交易の利権をめぐって、ダルマヴァンシャ王がシュリーヴィジャヤの覇権に挑んだが、結局1016年にダルマヴァンシャが殺害されて、シュリーヴィジャヤの勝利に終った。しかし、1025年に南インドを支配していたチョーラ朝ラージェンドラ1世の軍勢の遠征でシュリーヴィジャヤは打撃を受けたことで衰退することになる。

その後、ジャワでは、1222年にケン・アンロクによって、シンガサリ朝が建国された。最後の王クルタナガラのとき、の使者が来たが、その顔に刺青を入れて送り返したので、元の皇帝クビライは報復として大軍を派遣した。ジャワ島は元の遠征で被害を受けたが、やがて元軍を撃退したヴィジャヤが1292年にマジャパヒト王国を建国した。マジャパヒトは、名宰相ガジャ・マダのもと、14世紀から15世紀にかけて繁栄した。1365年に完成させた古ジャワ語の韻文叙事詩(カカウィン)『デーシャワルナナDesawarnana(地方の描写)』(通称『ナーガラクルターガマ』Nāgarakertāgama(聖なる教えによって完成された王国))は、ジャワ島東部を本拠として今日のほぼインドネシア全域、フィリピンの一部やマレーシアを含めた広大な版図を支配したとするが、これは史書の筆法に過ぎず、それぞれの地域に一時的に影響力を行使した可能性は残るものの、これらの領域を同時に支配したわけではない。

さらに後にはムスリム商人を通してイスラム教が広まり、14世紀から15世紀にはジャワのマタラム王国、スマトラのアチェ王国各地にイスラムを奉ずる王国が誕生、多くの住民がイスラム教徒に改宗していった。その後、ドゥマクなどジャワ北岸のイスラム化した港市国家が離反し、その攻撃を受けて16世紀前半にマジャパヒトは滅亡した。

オランダによる植民地化

16世紀になると、大航海時代ヨーロッパ勢力が香辛料貿易の利益を求めてこの地域にあらわれるようになった。

そして1602年オランダ東インド会社がジャワ島に進出し、オランダによる植民地化の時代が始まる。オランダ人たちは前世紀にこの地域に到達していたポルトガルや、同じ時期にやってきた競争相手のイギリスを追いやってこの地域における主導権を握り、長い時間をかけて次第に支配地を現在のインドネシアの領域全体へと拡大していった。

その拠点として1619年に制圧されたのがジャワ島のジャカルタであり、オランダ人はこの町をバタヴィアと改名した。18世紀には3次にわたるジャワ戦争によってマタラム王国を分割、保護下に組み入れ、ジャワ島の全域を支配下に置く。

19世紀に入るとナポレオン戦争によるオランダ本国の混乱もあって一時支配力が弱まるが、東インド会社が解散されてオランダ本国による植民地直接統治が始まり、オランダ人によるプランテーション経営が広まって経済的な搾取は強まっていった。この世紀にはオランダ人に対する反乱・抵抗運動も続発するがいずれも鎮圧され、オランダ植民地はかえって拡大を続けた。

インドネシア独立運動と世界大戦

オランダは19世紀末から20世紀はじめにかけておこったアチェ戦争に勝利し、スマトラ島の支配権も確立、この結果、ポルトガル東ティモールを除き東インド諸島はすべてオランダ領となった。

しかし、20世紀初頭より組織的な民族運動がみられるようになった。1908年には「至高の徳」を意味するブディ・ウトモが結成され、教育を通じたジャワ人の社会的地位上昇などを狙った。1911年に結成されたイスラーム同盟(サレカット・イスラーム)は、ジャワの商人が白人側と結託・癒着して利権を握った華僑に対抗して結成されたものであったが、幅広くジャワ島をこえて大衆に広まり、東インド全体に広がる最初の大衆組織となった。

第一次世界大戦を経て、サレカット・イスラームの会員数は200万人をこえ、独立と社会主義を掲げるようになった。このように組織の性格が変わった要因として、ロシア革命の成功も挙げられよう。1920年にはアジア初の共産党としてインドネシア共産党が成立し、コミンテルンに加盟した。大衆組織であるサレカット・イスラームとの連携は、中国における共産党と国民党の連携(国共合作)の雛形となった。しかし、こうした動きを警戒したオランダ政府は活動の弾圧を図った。1926年からインドネシア共産党は武装蜂起を行うが、時期尚早であり壊滅的な打撃を受けた。これをもって、共産党は事実上壊滅することになった。

独立を求める人々は、オランダ領東インドの国名として、「神々の島」という意味でインドネシアの名を選び取り、この地域に住むさまざまな民族をインドネシア人として統一し、独立を達成することを目指して運動した。その指導者となったのがスカルノであり、彼は1928年インドネシア国民党を結成して独立運動を進めた。

第二次世界大戦後

太平洋戦争大東亜戦争)最中の1942年2月、日本軍の侵攻によってオランダの植民地支配は崩壊し、日本の占領下でスカルノを代表とする独立勢力が勢力を伸ばす。1945年8月15日に日本が降伏すると、独立派は直ちにジャカルタでインドネシア独立を宣言、スカルノが大統領に選出された。日本軍の武装解除を行ったイギリス軍、および植民地支配再開を願って戻って来たオランダ軍と4年にわたってインドネシア独立戦争が展開された。戦前の峻烈な搾取を排除し独立を目指す人々の戦意は高く、刀剣、竹槍、棍棒、毒矢、罠などの武器の他、降伏後に日本軍兵器庫から奪ったり、降伏を潔しとしない日本軍人の一部がバラ撒いたり横流ししたりした武器・弾薬で武装し、様々の手段で連合軍を苦しめた。独立派には多数の日本軍人が加わり、訓練や教育、宣撫に活躍し、戦闘に参加した者もいた。この戦争の結果、疲弊消耗の極に達したオランダ軍はようやく再植民地化をあきらめ、1949年12月国連の斡旋でハーグ円卓会議によりオランダは正式にインドネシア独立を承認した。

しかし、日本国との平和条約(サンフランシスコ条約)締結時、日本の軍事侵攻に対して「被害者」の立場をとり、その後、賠償責任の枠を超えて日本に個人賠償を請求したオランダに対し、インドネシアは主にオランダ側を、インドネシアに対しての植民地支配には何の反省もしていないとして強く批判している。また、大統領のオランダ訪問時にも、植民地支配に関して何らかの言葉を求めているが、オランダからインドネシアの求める発言が出たことは無い。

1955年にスカルノ大統領は、バンドン会議(第1回アジア・アフリカ会議)を主催するなど非同盟諸国のリーダーとして活躍し、さらに、民族主義、宗教勢力、共産主義勢力からなる挙国一致体制(ナサコム)を唱えた。1965年、共産党が反乱を企てたとして軍が共産党を弾圧する事件が起こった。9月30日事件という。

独立後のインドネシア

スカルノ時代

1949年12月、インドネシア連邦共和国はオランダとの連合国家として独立したものの、オランダ領東インドの全域がオランダになったのではなく、オランダの傀儡的な国家がインドネシアと同時にいくつか誕生していた。しかし、オランダが影響力を残そうと建設したこれらの国は、いずれもインドネシアへの併合を望み、翌1950年8月には全て消滅し、インドネシア単一国家が成立して憲法を公布した。

インドネシアは、オランダによる地域の統合をそのまま引き継いだ為、民族文化に統一的なアイデンティティを求めることは難しく、独立直後から地方では反乱や暴動が頻発し、国家統一の危機に悩まされ続けることになった。初代大統領スカルノは国軍を強化してこれを武力により鎮圧すると、強権的な支配をひいてインドネシア国民の統合を推し進めようとした。

1954年8月にオランダとの連合国家を解消を宣言。1956年2月にハーグ協定を正式に破棄して、西側に属するオランダと決別し、非同盟中立国家として歩むことを目指した。さらに1957年12月には国内のオランダ人を追放した。1958年2月から6月まで内戦が勃発するがこれを鎮圧。1959年7月には45年の独立憲法へ復帰すると宣言し、オランダの影響力を完全に排除した。

国内問題に一定の片を付けると、1960年代にインドネシアの力は歴史の必然として外へ向かった。まず、オランダの植民地として維持されていたニューギニア島西部へ空挺隊を派遣し、オランダとの戦闘の挙句これを占領。国際連合の調停の結果停戦し、国連の暫定統治の後にインドネシアへ編入された。また、1963年マラヤ連邦北ボルネオイギリスから譲り受けてマレーシアが建国されると、インドネシアはボルネオ島全域の領有を主張して、マレーシア領へ侵入するなど、一触即発の事態となった。これは翌年に領有を主張するフィリピンも含めた3者が東京で会談するなどで、現状維持で落ち着いた。また、1965年初頭に国連脱退を通告し、世界を驚かせた。

このころになると、それまで中立路線をとってきたスカルノ政権は西側諸国との対立からソビエト連邦中心とした東側陣営へ接近し、このためスカルノの保護を受けた共産党勢力と国軍の対立が激化した。1965年9月30日、左派勢力のクーデター未遂事件(9・30事件)が発生、10月に国軍は共産党など左派勢力を攻撃し、大弾圧を加えて壊滅させた。この騒動をきっかけに軍部のスハルトは政権を奪取、1966年9月には国連に復帰した。実権を失ったスカルノ大統領は1967年初頭に大統領を辞任した。

スハルト時代

スハルトは1968年3月に大統領に就任した。新政権はスカルノ政権の路線を覆し、反共の姿勢を明らかにして西側諸国に接近、経済援助を引き出すとともに、独裁体制を強化して上からの押し付けによる経済発展を目指す開発独裁を推し進めた。1976年にはポルトガルが領有を放棄した東ティモールを武力で併合した。この際、東ティモールの独立運動を弾圧した為、運動が地下化してゲリラに発展した。

また、もともと人口の多かったジャワ島バリ島人口過密が問題になると、これらの住民をスマトラ島ボルネオ島(カリマンタン)、ニューギニア島モルッカ諸島といった周辺島嶼への移住・入植を奨励した。ジャワ島の住民が各島嶼へ散らばったことによって、ジャワを中心とする統一したインドネシアの観念が広がったが、入植した各地で元の住民との軋轢が生じた。

スハルト政権は30年の長きにわたって続いたが、1997年アジア通貨危機が起こって経済が危機に瀕すると国民の不満が爆発、民主化を求める市民の群れは、ジャカルタを中心に暴動に発展し、中華街が暴徒によって破壊されるなど、大混乱に陥った。そのためスハルトは翌1998年に大統領辞任に追い込まれた。

民主化

スハルトから大統領職を譲られたハビビ政権はスハルトの独裁支配を緩めたが、スハルトの強権によって抑えられてきた問題のたがが次々に外れ、マルク諸島ではムスリムクリスチャンの紛争が虐殺に発展、アチェでは分離運動が激化し、国軍が介入して内戦化、東ティモールでは住民同士あるいは住民と国軍の衝突が起き、社会不安はかえって深まった(東ティモール紛争)。東ティモールは1998年に住民投票で特別自治権提案が拒否され、独立が事実上決定したが、インドネシア治安当局が反発し武装勢力を使った破壊工作が行われ、国連平和維持活動の介入を見るに至った。その後、国連暫定統治を経て2002年に東ティモールは独立した。

1999年、議会の総選挙が行われるとスカルノの長女メガワティが率いる闘争民主党が圧勝し、国民が変革を求めていることが明らかになった。同年秋の議会による大統領選ではイスラム指導者(ウラマー)の団体ナフダトゥル・ウラマーの議長アブドゥルラフマン・ワヒドが当選し、メガワティは副大統領に収まる。

しかしワヒド大統領は国民の期待に反して混乱終結に向けてほとんど有効な手を打つことができず、2001年に罷免に追い込まれた。かわって就任したメガワティ大統領は、アチェに対して戒厳令を敷くなど断固たる態度をとったが、経済問題に対する無策から国民の信頼を失い、2004年秋の初の国民直接投票による大統領選挙では国軍出身のユドヨノが大統領に当選した。

2004年12月末、スマトラ島沖地震が発生して、地震津波によってアチェを中心としたスマトラ島沿岸が壊滅した。国際緊急救援活動が行われたが、100年ぶりとも言われる津波被害は甚大であった。翌2005年に入ってニアス島沖でも余震と思しき地震が起こり、再び被害を与えた。ユドヨノはまず地震対策に追われることとなるが、被害が甚大であるはずのアチェには、国際機関が大規模に介入しないよう工作した。8月に政府はアチェと和平を結び、アチェ側の武装解除を条件に国軍を撤収させた。

2006年7月23日午後3時22分ごろ、スラウェシ島沖でマグニチュード(M)6.6の地震があった。

関連項目

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