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クビライ - Wikipedia

クビライ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Disambiguationこの項目ではモンゴル帝国大ハーンのクビライについて説明しています。チンギス・ハーンの部将クビライについてはクビライ (バルラス部)をご覧ください。

クビライQubilai, 1215年 - 1294年)は、モンゴル帝国の第五代大ハーン(在位1260年 - 1294年)。漢字表記は忽必烈。漢風の廟号は世祖、は聖徳神功文武皇帝。モンゴル語の尊号はセツェン・カアン(セチェン・ハーン)。名は、現代モンゴル語によりフビライ(Khubilai)と表記することも非常に多い。

クビライ
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クビライ

その即位にあたる内紛からモンゴル帝国はハーンを頂点とする緩やかな連合体となり解体が進んだ。これに対してクビライは、はじめて国号を「大元」と定め、帝国の中心を中国華北に移動させるなど様々な改革を打ち出し、彼の時代以降、ハーンの直接支配領域はモンゴル帝国のうち中国を中心に東アジアを支配する(大元ウルス)に変貌した。

目次

[編集] 即位以前

クビライは、1215年にチンギス・ハーンの四男トルイの子として生まれた。母はケレイト部族出身のトルイの正夫人ソルカクタニ・ベキで、トルイがソルカクタニとの間に設けた4人の嫡子のうちの次男にあたり、兄に第4代ハーンとなったモンケ、弟にイルハン朝を開いたフレグ、クビライとハーン位を争ったアリクブケがいる。青年時代の事歴についてはほとんど知られていない。

1251年に兄モンケがハーンの座に就くと、ゴビ砂漠以南の南モンゴル高原・華北における諸軍の指揮権を与えられ、中国方面の領土の征服を委ねられた。1252年には自身が所領とする京兆(長安、現在の西安)を中心とする陝西を出発して雲南への遠征に出発、南宋領を避けてチベットの東部を迂回する難行軍の末に翌1253年に雲南を支配する大理国を降伏させた。

雲南からの帰還後はの旧都である中都(現在の北京)の北、南モンゴル(現在の内モンゴル自治区)中部のドロン・ノールに幕営(オルド)を移し、後方から江南の南宋および朝鮮半島高麗征服の総指揮を取った。クビライは後方のドロン・ノールに腰を据えて動かず、ここに遊牧宮廷の補給基地となる都城の開平府(のちの上都)を築き、姚枢ら漢人のブレーンを登用して中国を安定して支配する道を模索した。

しかし、南宋を早急に併合することを望むハーンのモンケはクビライの慎重策に不満を持ち、1256年に南宋への戦線を自らの陣頭指揮により行うことを決し、クビライをこの作戦の責任者から更迭した。1258年、自ら陝西に入って親征を開始したモンケは、河南から四川の南宋領を転戦したが、翌1259年に軍中で流行した疫病に罹って病死した。

[編集] ハーン位をめぐる争い

モンケ・ハーンの急死により、モンケの年若い息子たちにかわって3人の弟たちが後継者となる可能性が生じた。三弟のフレグは遠くイランにおいて西アジアの征服事業を進めていたため、ハーン位を巡る争いは次弟のクビライと末弟のアリクブケが当事者となった。

アリクブケはこのとき首都カラコルムにおいてモンケの留守を守っており、モンケの重臣たちやモンゴル高原以西の諸王・諸部族はアリクブケの支持に回ったので、アリクブケが有力な後継者候補に立った。一方のクビライはモンケが死んだとき長江の中流域で転戦していたので、前線の中国に駐留する諸軍団やモンゴル高原東部のモンゴル貴族、王族を味方につけることになった。

1260年、クビライの本拠地ドロン・ノールでクビライ支持派によるクリルタイが開かれ、クビライの大ハーン即位を一方的に宣言する。アリクブケもこれに対抗してハーン即位を宣言し、モンゴル帝国はクビライとアリクブケの二人の大ハーンが並び立つ帝国の南北分裂に発展した。

この内紛では精強な東部の諸部族を味方につけたクビライ側が緒戦のシトム・ノールの戦いに勝利し、早々に中国と高原の大半を制覇した。一方のアリクブケは高原北西部のオイラト部族の援助を受けて一時は高原中央部のカラコルムを取り戻すが、中国を抑えるクビライが行った経済封鎖によって自給のできないカラコルムはたちまち危機に陥った。1264年、アリクブケは降伏し、クビライが単独の大ハーンとなった。

[編集] 新国家の形成

クビライは1260年に即位すると、モンゴル王朝で初めての中国風の元号を立て、漢人官僚を集めた行政府である中書省を新設した。中書省には六部が置かれて旧来の尚書省の機能を兼ねさせ、華北の庶政を取り仕切る最高行政機関とした。続いて軍政を司る枢密院、監察を司る御史台などの諸機関が相次いで設置されて、中国式の政府機関が一通り整備された。

アリクブケとの内紛の最中の1262年には山東を支配する漢人軍閥が反乱を起こし窮地に陥ったが、これを鎮圧したクビライは反乱をきっかけとして、華北の各地を支配していた在地軍閥を解体させた。これによりハーンとモンゴル貴族、そして在地領主の間で錯綜していた華北の在地支配関係が整理され、地方には路・州・県の三階層の行政区が置かれた。1267年からは中都の郊外に中国式の方形様式を取り入れた都城大都の建造を開始、1271年には国号を立てて大元とした。

このような一連の改革から、クビライの改革はモンゴル王朝の中国王朝化であり、クビライとアリクブケの対立は、中国の文明に理解を示し中国に帝国の中心を移そうとする派と、あくまでモンゴル高原を中心と考える守旧派の対立として説明されることが多い。しかし、クビライの宮廷はあくまで遊牧の移動生活を保って大都と上都の間を季節移動しており、元はいまだ遊牧国家としての性格も濃厚であった。中書省の高官はクビライの夫人チャブイの甥にあたるアントンらモンゴル貴族の支配下にあり、州県の多くもモンゴルの王族や貴族の所領に分かたれていて、クビライの直接的な支配は限定的にしか及ばなかった。

また、クビライはチベット仏教の僧パクパ(パスパ)を国師として仏教を管理させ、モンゴル語を表記する文字としてチベット文字をもとにパスパ文字を制定させるなど、モンゴル独自の文化政策を進めた。中国王朝の伝統的なイデオロギーである儒教は特別に重視はされず、科挙の復活もクビライのもとでは行われなかった。

[編集] 外征と内乱

軍事的には、アリクブケの乱以来、中央アジアオゴデイ家チャガタイ家がハーンの権威から離れ、本来はハーンの直轄領であった中央アジアのオアシス地帯を横領、さらにクビライに従う甘粛方面の諸王や天山ウイグル王国を圧迫し始めたので、多方面からの対応が必要となった。

そこで、クビライはチャブイ夫人との間に設けた3人の嫡子チンキムマンガラノムガンをそれぞれ燕王、安西王、北平王に任じて方面ごとの軍隊を統括させ、独立性をもたせて事態にあたらせた。安西王マンガラはクビライの旧領京兆を中心に中国の西部を、北平王ノムガンは帝国の旧都カラコルムを中心にモンゴル高原をそれぞれ担当し、燕王チンキムには中書令兼枢密使として華北および南モンゴルに広がる元の中央部分の政治と軍事を統括させて、クビライは3子率いる3大軍団の上に君臨した。

1276年には将軍バヤン率いる大軍が南宋の都杭州を占領、南宋を実質上滅亡させその領土の大半を征服した。この前後にクビライはアフマドムスリム(イスラム教徒)の財務官僚を登用し、専売や商業税を充実させ、運河を整備して、中国南部や貿易からもたらされる富が大都に集積されるシステムを作り上げ、モンゴル帝国の経済的な発展をもたらした。これにともなって東西交通が盛んになり、クビライ治下の中国にはヴェネツィア出身の商人マルコ・ポーロら多くの西方の人々(色目人)が訪れた。

中国の外では、治世の初期に服属した高麗で起こった三別抄の反乱を鎮圧し、王太子にモンゴルの王女を降嫁して国王を通じた高麗支配を確立した。また1289年にはビルマパガン王朝を滅亡させ、傀儡政権を樹立して一時的に東南アジアまで勢力を広げた。しかし、日本への二度の遠征(元寇)や、ベトナム陳朝チャンパ王国ジャワ島マジャパヒト王国などへの遠征は現地勢力の激しい抵抗を受け、大きな成功は収められなかった。

モンゴルの同族が支配する中央アジアに対しては、1275年にモンゴル高原を支配する四男の北平王ノムガンがチャガタイ・ハン国の首都アルマリクを占領することに成功したが、翌年ノムガンの軍に従軍していたモンケの遺児シリギが反乱を起こした。ノムガンは捕らえられてその軍は崩壊し、これをきっかけにオゴデイ家のカイドゥが中央アジアの諸王家を統合して公然とクビライに対抗し始めた。

クビライは南宋征服の功臣バヤン率いる大軍をモンゴル高原に振り向けカイドゥを防がせたが、1287年には即位時の支持母体であった高原東方の諸王家がナヤンを指導者として叛き、老齢のクビライ自身が親征してようやく鎮圧することができた。

[編集] クビライの晩年

クビライの政権が長期化すると、行政機関である中書省と軍政機関の枢密院を支配して中央政府の実権を握る燕王チンキムの権勢が増し、1273年皇太子に冊立された。一方、アフマドも南宋の征服を経て華北と江南の各地で活動する財務官僚に自身の党派に属する者を配置したので、その権力は絶大となり、やがて皇太子チンキムの党派とアフマドの党派による反目が表面化した。

対立が頂点に達した1282年、アフマドはチンキムの党派に属する漢人官僚によって暗殺された。この事件の後アフマドの遺族も失脚し、政争は皇太子派が最終的な勝利を収める。これにより皇太子チンキムの権勢を阻む勢力はいなくなり、クビライに対して皇太子への譲位を建言する者すら現われたが、チンキム1285年に病死してしまった。

一方、カイドゥのモンゴル高原に対する攻撃はますます厳しくなり、元軍は敗北を重ねた。外征を支えるためにクビライが整備に心血を注いだ財政も、アフマドの死後は度重なる外征と内乱によって悪化する一方であった。1287年に財政再建の期待を担って登用されたウイグル人財務官僚サンガ1291年には失脚させられ、クビライの末年には元は外征と財政難に追われて日本への3度目の遠征計画も放棄せざるを得なかった。

1293年、クビライは高原の総司令官バヤンを召還し、チンキムの子である皇孫テムルに皇太子の印璽を授けて元軍の総司令官として送り出したが、それからまもなく翌年初頭に大都で病没した。クビライの後継者にはテムルが即位するが、その治世下でカイドゥの乱は収まって、クビライの即位以来続いたモンゴル帝国の内紛はようやく終息をみることになる。


先代

モンゴル帝国元朝)大ハーン

1260年 - 1294年

次代
モンケ テムル
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