百人一首
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
百人一首(ひゃくにんいっしゅ、故実読みはひゃくにんしゅ)
- 藤原定家撰による私撰和歌集。新古今期までの代表的な歌人百人について、一人一首を選んでつくった詞華集である。小倉百人一首と通称。
- 1にならって、百人の歌人の歌を一首ずつ集めて作られる私撰集一般を指す。「後撰百人一首」「源氏百人一首」「女房百人一首」など数多く存在する。
- 1をもとにしてつくられた歌歌留多。またその歌留多を用いて行われる遊び。江戸時代中期ごろから盛んになって現代に至る。
目次 |
[編集] 歴史
小倉百人一首の原型は鎌倉時代の歌人藤原定家が、上代の天智天皇から、鎌倉時代の順徳院まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んだものであり、摂関家藤原北家道兼流・宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の京都嵯峨野の別荘、小倉山荘の襖色紙に載せるために依頼を受けたのがそのきっかけと言われている。男性79人(僧侶13人)、女性21人の歌が入っている。成立当時まだ百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」とか「嵯峨山荘色紙和歌」と呼称された。
いずれも古今集 、新古今集などの勅撰和歌集から選ばれている。歌道の入門書として読み継がれた。江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まった。
関連書に、やはり藤原定家の撰に成る『百人秀歌』があり、百人秀歌と百人一首との主な相違点は「後鳥羽院・順徳院の歌が無く、代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の3名が入っている」「源俊頼朝臣の歌が『うかりける』でなく別の歌である」2点である。現在、この百人秀歌は百人一首の原撰本(プロトタイプ)と考えられている。
[編集] 小倉百人一首の本文
小倉百人一首の具体的な内容は、下記のリンクを参照のこと。
[編集] 使途
百人一首は単に歌集として鑑賞する以外の用途でも広く用いられている。
[編集] 教材
たとえば中学校や高校では、古典の入門として生徒に百人一首を紹介し、これを暗記させることがよくある。 これは、それぞれが和歌(5・7・5・7・7の31文字)なので暗唱しやすく、また、後述するように正月に遊戯として触れることも多いので、生徒にとってなじみがあるからである。 また、短い和歌の中に掛詞などさまざまな修辞技巧が用いられ、副詞の呼応などの文法の例も含まれることから、古典の入門として適した教材だといえる。
[編集] かるた
百人一首は現在では歌集としてよりもかるたとしてのほうが知名度が高く、特に正月の風物詩としてなじみが深い。百人一首のかるたは歌がるたとも呼ばれるもので、現在では一般に以下のような形態を持つ。
百人一首かるたは、百枚の読み札と同数の取り札の計二百枚から成る。読み札と取り札はともに花札のように紙を張り重ねてつくられており、大きさは74×53mm程度であることが一般的である。札の構造、材質、裏面などは読み札と取り札では区別がない。読み札の表面には大和絵ふうの歌人の肖像(これは歌仙絵巻などの意匠によるもの)と作者の名、和歌が記されており、取り札にはすべて仮名書きで下の句だけが書かれている。読み札には彩色があるが、取り札には活字が印されているだけである点が大きく異なる。
かるたを製造している会社として有名なのは、京都の企業である任天堂、大石天狗堂、田村将軍堂で、現在ではこの3社がほぼ市場を寡占している。
江戸期までの百人一首は、読み札には作者名と上の句のみが、取り札には下の句が、崩し字で書かれており、現在のように読み札に一首すべてが記されていることはなかった。これは元来歌がるたが百人一首を覚えることを目的とした遊びであったためであり、江戸中期ごろまでは歌人の絵が付されていない読み札もまま見られる。また、現在でも北海道地方では、やや特殊な百人一首が行われており、読み札に歌人の絵がなく、取り札は厚みのある木でできており、表面に古風な崩し字で下の句が書いてあるという、江戸期の面影を残したかるたが用いられている。
歌かるたが正月の風俗となったのは格別の理由があるわけではなく、もともとさまざまな折子供や若者が集まって遊ぶ際に百人一首がよく用いられたことによるものである。そのなかでも特に正月は、子供が遅くまで起きて遊ぶことをゆるされていたり、わざわざ百人一首のための会を行うことが江戸後期以降しばしば見られたりしたこともあり、現在ではこれが正月の風俗として定着しているものであろう。今では、百人一首を五色に分けている五色百人一首などが多くの小学校で行われている
百人一首を用いた主な遊び方には以下のようなものがある。
[編集] 散らし取り(お散らし)
古くから行われた遊びかたのひとつで、あまり競争意識ははたらかない。以下のようなルールに従う。
- 読み手を選ぶ(ふつうは一人)。
- 読み札をまとめて読み手に渡し、取り札は百枚すべてを畳の上などに散らして並べる。
- 取り手は何人でもかまわない。みなで取り札のまわりを囲む。このとき不平等にならないように、取り札の頭はそれぞればらばらな方を向いているようにならなければならない。
- 読み手が読み札を適当に混ぜてから、札の順に歌を読み上げる。
- 歌が読み始められたら、取り手は取り札を探して取ってかまわない。基本的に早い者勝ち。
- 同時に何人もが同じ札をおさえた場合には、手がいちばん下にある人がこれを取る権利を持つ。
- 間違った札を取った場合(お手つき)には何らかの罰則が行われるが、源平のようにしっかりとした決まりごとはない。
- 百枚目を取ったところで終了。最も多くの札を取った人が勝ちである。
- 本来は読み札には上の句しか書いてなかったために、この遊びかたは百人一首を覚えるうえでも、札の取り合いとしても、それなりの意味があったのだが、現在では読み札に一首すべて書いてあるために、本来の意図は見失われている。ただし大人数で同時に遊ぶためには都合のいい遊びかたで、かつてのかるた会などではたいていこの方法によっていた。
- お散らしに限らず、江戸時代までは読み手は作者の名前から順に読み上げ、上の句が終わったところで読むことをやめるのが常であった。現在では作者名をはぶき、最後まで読んでしまう(なかなか取り手が取れない場合には下の句を繰りかえす)。読みかたに関しては上の句と下の句のあいだで間をもたせすぎるのはよくないといわれるが、本来の遊び方からいえばナンセンスな問題ともいえる。
[編集] 源平合戦
源平とは源氏と平氏のこと。二チームに分かれて団体戦を行うのが源平合戦の遊び方である。
- 散らし取り同様に絵札と字札を分け、読み手を一人選ぶ。
- 百枚の字札を五十枚ずつに分け、それぞれのチームに渡す。両チームはそれを3段に整列して並べる。
- 散らし取り同様に読まれた首の字札を取る。このとき相手のチームの札を取ったときは、自分のチームの札を一枚相手チームに渡す。これを「送り札」という。
- 先に札のなくなったチームの勝ちとなる。
[編集] リレーかるた
源平合戦と同じルールだが、取る人が順次交代する点で異なる。交代のタイミングは、自分のチームの札を相手に取られたとき、10枚読まれたときなど。
[編集] 競技かるた
社団法人・全日本かるた協会の定めたルールのもとに行われる本格的な競技。詳しくは競技かるたを参照。 毎年一月の上旬に滋賀県大津市にある近江神宮で名人戦、クイーン戦が開催される。名人戦は男子の日本一決定戦であり、クイーン戦は女子の日本一決定戦である。NHKBSで毎年生中継される。 そのほか、全国各地でいろいろな大会が開催されている。
[編集] 坊主めくり
上記の遊び方とは異なり、坊主めくりをする際には首は読まない。使用する札は読み札のみで、取り札は使用しない。 百枚の絵札を裏返して場におき、各参加者がそれを一枚ずつ取って表に向けて場に置いていくことでゲームが進む。 このとき男性が描かれた札を引いた場合はそのまま場においておく。 女性の札(姫)を引いた場合にはそれまでにめくられて場に置かれていた札を全てもらう。 天皇(院は含めない)をひいたら山札から裏向きのまま10枚(10枚に満たない場合はすべての山札)をもらう。 院(上皇)は天皇としては扱わず、男性として扱う。 そして、坊主の描かれた札を引いた場合には手元の札を全て場に戻す。 裏向きに積まれた札の山がなくなるとゲーム終了。このとき最も多くの札を手元に持っていた参加者が勝者となる。
坊主めくりにはさまざまな地方ルール(ローカルルール)があり、例えば次のようなものが知られている。
- 坊主が出たときに全てではなく五枚だけ戻す。
- そして、特に坊主の中でも蝉丸を引いた際に全員が全ての札を戻す。
- 弓矢を持ってる男性の札を引いた際には、ウノのリバースのように札をめくる順番を逆周りにする。
- 台座に縞模様がある札を引いた際には、数枚引ける。
[編集] 青冠
坊主めくりと同様、首は読まず、読み札のみを使用し取り札は使用しない。4人で行い、全員に配られた札を向かい合った二人が協力して札をなくしていく。書かれた絵柄で、青冠、縦烏帽子、横烏帽子、矢五郎、坊主、姫となる。ただし、天智天皇と持統天皇は特殊で、天智天皇は全ての札に勝ち、また持統天皇は天智天皇以外に勝つ。絵の書いた人、時期によって、100枚のうちの絵柄の構成が変わるゲームである。
- 100枚の札を4人に全て配る
- 最初の人を決めそのひとが右隣の人に対して1枚手札から出す。
- 出された人は、同じ絵柄の札か、持統天皇、天智天皇の札を出して受ける。(天智天皇はどの札もうけられないし、持統天皇は天智天皇のみでうけられる)
- 受けることが出来た場合、受けた人が、右隣に1枚手札から出す。以下同様に続けていく
- 受けることが出来なかった場合、何も出せずに右隣の人に順番が移る。(最初に出した人の向かい側の人が出す)
この手順をつづけ、一番最初に手札をなくした人のいるペアの勝ち。これを何回か行い勝敗を決める
[編集] 異種百人一首
小倉百人一首の影響を受けて後世に作られた百人一首。以下に代表的なものを挙げる。
- 新百人一首
- 足利義尚撰。小倉百人一首に採られなかった歌人の作を選定しているが、91番「従二位成忠女」は小倉の54番・儀同三司母(高階貴子)と同一人物。また、百人秀歌に見える権中納言国信も64番に入首(百人秀歌とは別の歌)。
[編集] 関連項目
- 決まり字
- 競技かるた
- 小倉百人一首文化財団
- 全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会
- 現代学生百人一首
- 丸谷才一 (『新々百人一首』を発表)
- 百人一首一夕話
- 時雨殿(小倉百人一首文化財団が運営するテーマパーク)
- 任天堂(かるたの製造及び時雨殿の支援)
[編集] 小倉百人一首の関係する音楽
- 『八重衣』(地歌・箏曲) 石川勾当作曲、八重崎検校箏手付。百人一首より衣を詠んだ歌五種を選び、四季の順に配した手事物 地歌の大曲。「石川の三つもの」(三大名曲)の一つ。
- 『千鳥の曲』(箏曲・胡弓曲) 吉沢検校 作曲。後唄に「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に・・・」が採られている。「六段の調」と並ぶ箏の名曲として有名。
[編集] 小倉百人一首の関係する落語
[編集] 小倉百人一首の関係するゲーム
- タッチで楽しむ百人一首 DS時雨殿
Nintendo DSで百人一首が楽しめる。