流罪
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流罪(るざい)とは刑罰の一つで、罪人を辺地や離島に送る追放刑である。流刑(りゅうけい、るけい)、配流(はいる)ともいう。
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[編集] 概要
日本では死罪に次いで重い刑であったが現在は廃止されている。
古代においては神の怒りに触れたとされたものを孤島に放逐して朽ち果てるに任せる事が行われていた。
律における五刑の1つであり、唐においては罪の重さに応じて「二千里」・「二千五百里」・「三千里」の刑(当時の唐の1里は約560m)が課せられいたが、日本の国土は唐のように広大ではなかったために畿内からの距離によって「近流(こんる/ごんる)」・「中流(ちゅうる)」・「遠流(おんる)」の3等級が存在した。基準としては近流300里・中流560里・遠流1500里であったと言われている。
受刑者は居住地から遠隔地への強制移住と1年間の徒罪の服役が課された(遠流対象者で特に悪質なものに対しては3年間の徒役が課された)。また妻妾は連座して強制的に同行させられるが、他の家族は希望者のみが送られた。配所への護送は季節ごとに1回行われた。配所到着後は現地の戸籍に編入され、1年間の徒罪服役後に口分田が与えられて、現地の良民として租税を課された。配所到着後は現地の住民とされたために原則的に恩赦による帰国は許されなかった。もっとも、後年には流罪も含めた全ての罪人が赦免される「非常赦」がしばしば行われて帰国が許されている事例も多く存在している(『平家物語』における鹿ケ谷の陰謀で流された藤原成経・平康頼の例など)。また、女性への適用はされずに代わりに杖罪と徒罪の両方を課された。
平安時代の嵯峨天皇治世期に死刑が停止されたとも言われ、死刑停止時代の最高刑は流罪が主になっている。江戸時代には遠島(えんとう)と称されており、江戸幕府では江戸の流刑者を主に八丈島などの離島に流した(ロシアが蝦夷地への進出を図った19世紀には蝦夷地への流刑先変更が検討されたが、松前藩の反対で中止されている)。
赦免は刑期満了のほかに、本国で改めて投獄・処刑するためにもなされる。日本では主に日本周辺の島に送られるが、欧米では植民地にした海外領土に送られることもあり、国内流刑と国外流刑は刑として区別される。
日本における流罪は現在の刑法が制定された明治41年(1908年)まで存在した。明治時代の流刑地は北海道で、流人は監獄に収監され、重労働を課せられた。
[編集] 左遷との関係
律令制においては、罪を犯した官人を左遷する事が行われる。有名な例としては大宰権帥に左遷された菅原道真などがあげられる。こうした例に対しても一般には「流された/流罪にされた」という表現をされることが多いが、実際には幽閉状態とはいえ、左遷の場合には俸禄が与えられ恩赦による帰還もあり得る為に実態は流罪でも法的にはあくまでも左遷であって流罪ではない。
[編集] 用語
- 流刑地
- 流刑の対象地。
- 流人(るにん)
- 流刑を受ける罪人。
- 島流し、遠島
- 流刑のうち、流刑地が離島の場合をいう。
- 島破り
- 島から脱走すること。
- 赦免(しゃめん)
- 刑期を終えたこと等により流刑としての罪状が解かれる(離島への流刑であれば、本土への帰還が許される)こと。「ご赦免」とも言う。
- 赦免状
- 本土から流刑地を治める代官に届く書状で、特定の流人に対する赦免を許す旨が記された物。
- 赦免花
- 八丈島におけるソテツの花を指す。これを見つけた流人の多くに不思議と赦免の知らせが届いたとされることからこの名がある。
[編集] 主な流刑地と流人
[編集] 日本
律令体制下の日本では、流には3つの分類があった。
以下、時代に関わらず流罪になった著名人を列挙する。江戸時代の大藩には藩内に流刑地を持つところもあった(例:仙台藩の田代島、江島、加賀藩の越中五箇山、土佐藩の白滝、薩摩藩の沖永良部島)。
- 蝦夷地:花山院忠長
- 陸奥国:隆寛、河野通信、円観
- 出羽国:沢庵宗彭、本多正純
- 越後国:源成雅、明遍、親鸞
- 佐渡国:伴国道、源義綱、源明国、源成雅、文覚、順徳上皇、日蓮、京極為兼、日野資朝、世阿弥
- 常陸国:麻績王、藤原教長、阿野全成、万里小路藤房、土方雄久
- 上総国:平時実
- 下総国:北条顕時、花山院師賢、大野治長
- 安房国:紀豊城
- 上野国:緒方惟栄
- 下野国:源師仲、澄憲、万里小路季房
- 伊豆国
- 信濃国:伊賀光宗、絵島
- 甲斐国:源義清、源清光、蘭渓道隆、有馬晴信
- 能登国:平時忠
- 越前国:中臣宅守、源顕清、上杉重能、畠山直宗
- 尾張国:藤原師高、藤原師長
- 伊勢国:松平忠輝
- 近江国:大久保忠隣
- 紀伊国:真田昌幸、真田信繁
- 但馬国:雅成親王
- 播磨国:山鹿素行
- 伯耆国:里見忠義
- 美作国:松倉勝家
- 備前国:藤原成親、松殿基房、頼仁親王、宇都宮国綱
- 備中国:能円
- 備後国:和気広虫
- 出雲国:藤原兼長、平時忠
- 石見国:小野寺義道
- 安芸国:源行綱
- 隠岐国:小野篁、伴健岑、源義親、板垣兼信、佐々木広綱、後鳥羽上皇、後醍醐天皇
- 長門国:藤原惟方
- 淡路国:淳仁天皇、不破内親王、早良親王
- 讃岐国:崇徳上皇、三好吉房
- 阿波国:源仲清、藤原経宗、土御門上皇、堀田正信
- 伊予国:木梨軽皇子、安倍宗任、覚憲、松平光長
- 土佐国:蘇我赤兄、石上乙麻呂、氷上志計志麻呂、弓削浄人、紀夏井、菅原高視、源頼親、藤原師長、源希義、法然、土御門上皇、京極為兼、尊良親王
- 筑前国
- 対馬国:日奥
- 壱岐国:幸西
- 豊後国:松平忠直
- 大隅国:和気清麻呂
- 薩摩国
[編集] その他
[編集] 転語
会社組織において地方に左遷させられることを、「島流し」と表現することがある。
[編集] 関連項目
- 刑罰
- 左遷