鬼界ヶ島
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鬼界ヶ島(きかいがしま)とは、1177年の鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、平康頼、藤原成経が流罪にされた島。薩摩国に属す。
『平家物語』によると島の様子は次の通りである。
- 舟はめったに通わず、人も希である。住民は色黒で、話す言葉も理解できず、男は烏帽子をかぶらず、女は髪をさげない。農夫はおらず穀物の類はなく、衣料品もない。島の中には高い山があり、常時火が燃えおり、硫黄がたくさんあるのでこの島を硫黄島ともいう。
翌1178年に康頼、成経は赦免され京に帰るが、俊寛のみは赦されず、ひとり島に残され悲嘆のうちに死んだ。
鬼界ヶ島の現在の場所ははっきりしないが、薩南諸島の以下の島のいずれかと考えられている。