文覚
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文覚 | |
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1139年 - 1203年 | |
文覚『集古十種』より |
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宗派 | 真言宗 |
寺院 | 神護寺 |
弟子 | 明恵 |
文覚(もんがく、保延5年(1139年) - 建仁3年7月21日(1203年8月29日))は平安時代から鎌倉時代初期にかけての真言宗の僧。弟子には上覚、明恵らがいる。
俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)で、元は摂津国渡辺党の武士であり、鳥羽天皇の皇女統子内親王(上西門院)に仕えていた北面の武士だった。従兄弟で同僚の渡辺渡(わたなべわたる)の妻、袈裟御前に横恋慕し、誤って殺してしまったことから出家したという。
荒廃しきっていた神護寺を再興するため後白河天皇に強訴したため、渡辺党の棟梁の摂津源氏の源頼政の知行国であった伊豆国に配流された。そこで同じく配流の身だった源頼朝に平家打倒の挙兵を促す。その後、頼朝や後白河法皇の庇護を受けて各地の寺院を修復したが、頼朝が死去すると後鳥羽上皇に疎まれて佐渡国へ流罪となり客死した。
カンヌ映画祭でグランプリを受賞した『地獄門』(監督・衣笠貞之助)は、長谷川一夫が遠藤盛遠に扮し、渡辺渡(山形勲)の妻の袈裟御前(京マチ子)に横恋慕し、出家にいたるドラマを描いている。
手塚治虫の「火の鳥乱世編」には遠藤盛遠と文覚が別人として両方登場する。