多摩川
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多摩川 | |
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東京都青梅市からの多摩川 |
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延長 | 138 km |
水源の標高 | 1,240 m |
平均流量 | 36.6 m³/s |
流域面積 | 1953 km² |
水源 | 笠取山 (山梨県甲州市塩山上萩原) |
河口 | 東京湾(東京都大田区羽田空港 ・神奈川県川崎市川崎区浮島町) |
流域 | 山梨県・東京都・神奈川県 |
多摩川(たまがわ)(英称:Tama River)は、山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で一級河川。全長138km、流域面積1,240km²。
目次 |
[編集] 名称
名称の由来は諸説あり、よくわかっていない。万葉集東歌に「多麻河」として登場するが、835年(承和2年)、中央から発せられた官符では丸子の渡し近傍をもって「武蔵国石瀬河」と呼称され、11世紀の更級日記にも同名で現われている。上流の「丹波川(たばがわ)」との近似はよく言われることである。江戸時代には同音の字を使って玉川(たまがわ)の名が使われることが多かった。そのため、現在でも玉川の名は地名などに多く残る。
[編集] 地理
山梨県・埼玉県の県境にある笠取山(かさとりやま)(標高1953m)山頂の南斜面下「水干」(みずひ)を源とする。上流部では一之瀬川(いちのせがわ)あるいは丹波川(たばがわ)とも呼ばれ奥多摩湖に注ぐ。その後青梅までは山中を東へ流れる。この上流部は秩父多摩甲斐国立公園に含まれる。
青梅からはおおむね南東に多摩丘陵と武蔵野台地の間を瀬と淵を繰り返しながら流れ下っていく。左岸の武蔵野台地の河岸段丘はかつての多摩川がつくったものであり、段丘崖は下から立川崖線(府中崖線)、国分寺崖線と呼ばれ、立川崖線の下を多摩川低地、両崖線の間を立川面、最上段を武蔵野面と呼ぶ。羽村市の玉川上水取水堰付近や国立市青柳付近では武蔵野台地の低位面に直接ぶつかって流れているし、多摩市の大栗川合流点から武蔵野貨物線鉄橋・南武線多摩川鉄橋の上流付近までは多摩丘陵に直接ぶつかっている。多摩川の中流に架かる橋を左岸側から撮影すると多摩丘陵が大抵写り込んでいる。そのことからも位置関係を読み取ってもらえるだろう。
東京都調布市、神奈川県川崎市多摩区からは東京都と神奈川県の都県境を流れ、両岸とも低地になる。川崎市多摩区から東京都日野市にかけては多摩川が運んだ礫層が地表に近いため水はけが良く梨の栽培に向いていて特産品になっている。特に川崎市と東京都稲城市が生産の中心となっている。多摩川梨として知られているが、現在は市場にはあまり出回らず、直売されることが多い。
大田区と川崎市川崎区との境で東京湾に注ぐ。河口の左岸に東京国際空港(羽田空港)がある。 下流部は六郷川(ろくごうがわ)とも呼ばれる。
多摩川水系の北側の分水界は秩父から奥多摩の山中では埼玉県との県境を、武蔵野台地では武蔵野面の南縁に近いところを走っていて、玉川上水はほぼそれに沿う形で開削されている。源流から、下流の内上流寄り(三鷹市付近)までは荒川と分水界を接し、下流の内河口寄り(世田谷区付近より下流)では目黒川や呑川と分水界を接する。すなわち武蔵野台地の高位面である武蔵野面に降った雨は地表を流れる分については多摩川にはほとんど注ぐことがない。多摩川の名残川であろうと推定されている流路を伝って荒川水系に注いでいる。しかし、地中にしみ込んだ分は別である。崖線(多摩川中流域では「ハケ」と呼んでいる)下では湧き水となっていたるところから湧き出している。それらの湧水を集めていたのが中流以降の左岸では最も大きい支流である野川である。JR中央線国分寺駅付近にあるいくつかの泉を源流としてほぼ国分寺崖線に沿って湧水を集めながら流れて行き、世田谷区玉川1丁目先で本流に合流している。立川崖線下でも同様に湧水を集めた流れがある。ここでの主役は府中用水をはじめとするいくつかの用水路である。
一方、南側の分水界は関東山地から多摩丘陵の中を通っている。中流以降の多摩川の支流は、圧倒的に右岸に集中している。多摩川水系最大の流域面積を持つ秋川も、最も幹線流路延長の大きい浅川も右岸にある。これは関東平野が周辺部が隆起し中央部が沈み込んでいることの影響である。南側の分水界は上流部では富士川や相模川と中流以降では境川や鶴見川の分水界と接している。
堤防はあるものの、首都圏の一級河川でありながら護岸化されていない部分が多く、そのためか川辺の野草も多く野鳥が数多く見られる河川となっている。
[編集] 流域自治体
※ここでの流域の定義は、多摩川に湧水、或いは雨水が流れ込む地域という意味であり、ここに挙げた自治体の存する区域に多摩川が流れているとは限らない。
[編集] 歴史
[編集] 治水
多摩川は勾配が急な川で、そのため古くから洪水が絶えず、「あばれ川」として知られていた。特に下流域での被害が大きく、例えば六郷橋が最初に掛けられたのは1600年であるが、洪水によって頻繁に流されたため、また江戸幕府が多摩川を江戸の最終防衛線と位置づけ架橋を制限していたため、1688年から1874年までは橋が掛けられず渡し舟となった。また、氾濫のたびに流路が変わり、それによって村が分断された地区が数多くあり、等々力など川の両岸に同じ名の地区があるのはそのためである。現在のような流路に近くなったのは1590年の大洪水による、といわれる。
そのため、古くから堤防が築かれたが、堤防はたびたび決壊し、そのたびに水害をもたらしている。本格的な治水事業が始まったのは1918年からの多摩川改修工事で、この工事は1934年まで続けられ、河口から二子橋までが改修された。その後、日野橋までの間の改修が進められ、その後の氾濫は少なくなったが、それでも水害が起こることがあり、近年では1974年の狛江水害が有名である。ドラマ「岸辺のアルバム」は、この狛江水害を元にしたものである。狛江水害の後、2006年現在まで堤防が決壊するなどの被害は発生していないが、台風などの翌日には、河川敷が水に呑みこまれている光景を見ることがある。
1990年からは、さらなる対策として、河口から日野橋までの区間をスーパー堤防(高規格堤防)とする整備事業が進められている。
[編集] 利水と砂利採掘
戦国時代に豊臣秀吉の下で関東転封となった徳川家康は、多摩川下流の扇状地での水稲生産を拡大するため、1597年に用水奉行・小泉次大夫に命じて両岸の灌漑用水路の建設に着手し、1611年には二ヶ領用水(右岸)と六郷用水(左岸)が完成する。その後も、1604年頃より取水をはじめたと推定されている大丸用水(右岸)や、1654年より取水をはじめた玉川上水(左岸)などの用水路が相次いで整備され、それまで水利が芳しくなかった多摩川下流の低地・台地に豊富な農業用水をもたらし、米の生産量が増大、後に幕府が置かれる江戸の生活を支えた。
明治以降、建築物にコンクリートが使われるようになると、多摩川はその原材料のひとつである砂利の産地として注目された。多摩川の砂利はコンクリートに適しているとして需要はますます高まり、当初は主に船舶で搬送していたものの、大型建設が相次ぐ大需要地・東京に運ぶための鉄軌道敷設が各地で計画され、玉川電気鉄道、南武鉄道、京王電気軌道、多摩鉄道、東京砂利鉄道などが競って砂利輸送を行った。
しかし、過剰な砂利の採掘により河床が低くなり、農業用水の取水が出来なくなったり、潮位によっては塩分を多く含む河口の水が逆流し農業用水や水道原水に流入するといった被害が続出する環境問題に発展する。そこで1934年には「多摩川砂利採掘取締方法」による取締りが施行され、1936年 2月1日には二子橋より下流での砂利採掘が全面禁止されるに至った。
また、河床低下により取水が困難となった用水路への対策として上河原や宿河原などに取水堰が築かれ、東京都の水道取水地があった調布(現在の田園調布)には塩分の逆流を防ぐための堰が築かれた。堰により水道・農業用水の取水は容易になったが、すると今度は多摩川名産のアユの遡上を阻害することとなり、都市化が進む流域からの生活排水の垂れ流しによる水質汚染と相まって、多摩川での漁業および生態系は壊滅的な被害を受けることとなった。さらに、宿河原堰の構造上の問題により洪水時に堤防を破る被害(狛江水害)も発生するなど、新たな問題が顕在化する。
沿川の急激な都市化に伴う生活排水の流入、および支流の水源となっている多摩丘陵や武蔵野台地での宅地開発に伴う森林破壊による水源枯渇が相まって多摩川の水は著しく汚染し、水道原水として利用不能になる、農業用水路が埋められる、衛生状態が悪化するという事態に陥ったが、1980年代より整備が始まった沿川での下水道が普及するに伴い水質汚染は徐々に緩和し、また宿河原堰などへの魚道設置といった工夫と相まって、現在は再びアユが遡上しはじめ、白鷺やコアジサシなどの生活を支えるまでに回復してきている。
現在では河川敷に親水施設などが設けられ近隣住民の憩いの場として利用されるとともに、急激な水質汚染とその急回復を経験した多摩川は、環境保全に向けた更なる努力の必要性を象徴する場として、多くの市民活動の舞台ともなっている。
[編集] 支流と分流
- ウタノ沢
- シラベ沢
- 黒エンジュ沢
- ムササビ沢
- 与平沢
- ヤブ沢
- 中島川
- 柳沢川
- 小室川
- マリコ川
- 後山川
- 小袖川
- 小菅川
- 峰谷川
- サイグチ沢
- 落沢
- 水根沢
- 栃寄沢
- 小中沢
- 大沢
- 日原沢
- 海沢川
- 西川
- 寸庭川
- 入川谷
- 大丹波川
- 大沢川
- 平溝川
- 石神川
- 吉野川
- 町屋川
- 馬引川
- 清見川
- 鳶巣川
- 大荷田川
- 平井川
- 秋川
- 北秋川
- 南秋川
- 谷地川
- 残堀川
- 根川
- 浅川
- 北浅川
- 南浅川
- 程久保川
- 大栗川
- 乞田川
- 谷戸川
- 三沢川
- 平瀬川
- 野川
- 谷沢川
- 丸子川
- 海老取川
[編集] 多摩川を利用した用水路
[編集] 湖
[編集] 主な橋
- 親川橋
- 境橋
- 檜村橋(国道411号、青梅街道)
- 琴浦橋(国道411号、青梅街道)
- 弁天橋(国道411号、青梅街道)
- 万世橋(東京都道45号奥多摩青梅線)
- 奥多摩大橋(東京都道202号上成木川井線)
- 御岳橋
- 軍畑大橋(埼玉県道・東京都道193号下畑軍畑線)
- 奥多摩橋(東京都道200号柚木二俣尾線)
- 神代橋(東京都道199号梅郷日向和田線)
- 和田橋(東京都道238号大久野青梅線)
- 万年橋(国道411号)
- 柳淵橋
- 鮎美橋
- 調布橋
- 下奥多摩橋(東京都道45号奥多摩青梅線、下奥多摩橋通)
- 友田水管橋
- 多摩川橋(国道468号、首都圏中央連絡自動車道)
- 多摩川橋(東京都道249号福生羽村線、吉野街道)
- 管理橋
- 羽村堰下橋
- 羽村大橋(東京都道250号あきる野羽村線)
- 永田橋(東京都道165号伊奈福生線)
- 多摩橋(東京都道7号杉並あきる野線、五日市街道)
- JR五日市線多摩川橋梁(五日市線)
- 睦橋(東京都道7号杉並あきる野線、睦橋通)
- 拝島水道橋(多摩川横断水道橋)
- 拝島橋(国道16号、東京環状)
- 八高線多摩川橋梁(八高線)
- 多摩大橋(東京都道59号八王子武蔵村山線)
- JR中央本線多摩川橋梁(中央線)
- 立日橋(東京都道149号立川日野線/多摩都市モノレール)
- 日野橋(国道20号、甲州街道)
- 中央自動車道多摩川橋(中央自動車道)
- 石田大橋(国道20号日野バイパス)
- 府中四谷橋(東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線バイパス)
- 京王多摩川橋梁(京王線)
- 新関戸橋・関戸橋(東京都道18号府中町田線、東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線、鎌倉街道)
- 武蔵野線多摩川橋(武蔵野貨物線)
- 南武線多摩川橋(南武線)
- 是政橋(神奈川県道・東京都道9号川崎府中線、府中街道)
- 稲城大橋(神奈川県道・東京都道9号川崎府中線)
- 多摩川原橋(東京都道・神奈川県道19号町田調布線、鶴川街道)
- 京王相模原線鉄道橋(京王相模原線)
- 多摩水道橋(東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線、世田谷通、津久井道)
- 小田急線多摩川橋梁(小田急線)
- 東名高速道路多摩川橋(東名高速道路)
- 新二子橋(国道246号、厚木街道・大山街道)
- 二子橋(玉川通り・旧大山街道)
- 田園都市線多摩川鉄橋(東急田園都市線)
- 新多摩川大橋(国道466号、第三京浜道路)
- 東横線多摩川鉄橋(東急東横線・東急目黒線)
- 丸子橋(東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線、中原街道)
- 新幹線橋梁(東海道新幹線)
- 横須賀線多摩川橋梁(品鶴線 - 横須賀線・湘南新宿ライン)
- ガス橋(ガス橋通り)
- 多摩川大橋(国道1号)
- 多摩川専用橋
- 京浜東北線多摩川橋(京浜東北線)
- 東海道本線六郷川橋梁(東海道本線)
- 京浜急行多摩川鉄橋(京急本線)
- 六郷橋(国道15号)
- 大師橋(東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線)
- 高速大師橋(首都高速道路神奈川1号横羽線)