富士川
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富士川 | |
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延長 | 128 km |
水源の標高 | m |
平均流量 | 63.2 m³/s |
流域面積 | 3990 km² |
水源 | 鋸岳(山梨県) |
河口 | 駿河湾(静岡県) |
流域 | 長野県・山梨県・静岡県 |
富士川(ふじかわ)は長野県・山梨県及び静岡県を流れる富士川水系の本流で一級河川。日本三大急流の一つに数えられる。
甲斐と駿河を結ぶ要路であり、人々の暮らしに密着してきた。JR身延線の列車名に使われていることにもそれは伺われる。 ⇒ ふじかわ (列車)を参照。
目次 |
[編集] 地理
南アルプス北部、山梨県と長野県の県境に位置する鋸岳(のこぎりだけ)に源を発し、上流部では北杜市まで長野・山梨両県の県境を成す。北杜市から山梨県域に入って甲府盆地を南流。笛吹川との合流点までは釜無川(かまなしがわ)と称される。市川三郷町と増穂町の町境で笛吹川と合流、ここから富士川の名で呼ばれる。さらにそのまま南流し、途中早川、更に下って静岡県に入ると芝川などの支流を合わせ、雁堤の南で東海道と交差し、富士市と静岡市との境で駿河湾に注ぐ。
[編集] 富士川水運
富士川は急流で難所も多かったが、内陸の甲斐南部と駿河との交通路として、駿州往還とともに古くから水運が利用された。
江戸時代の1602年に駿河国と甲斐国(現在の増穂町・鰍沢町)との間に富士川渡船が開始されたという。江戸期には甲斐が幕府直轄の天領であったため、慶長12年(1607年)の角倉了以らによる開削事業により運行の安全が確保されて、江戸への廻米輸送を中心に水運が発達した。寛永年間には鰍沢・黒沢・青柳に河岸が設置されて山梨・八代・巨摩三郡からの廻米輸送が行われ、後に信濃南部の諏訪・松本からの廻送も行われるようになった。河岸には代官所や米倉が置かれ、沿岸の町や村には多くの船着場があり、現在でもその名残をとどめる屋号などがみられる。廻送された廻米は駿河国岩渕(現在の静岡県庵原郡富士川町)の河岸で陸揚げされ、清水港へ集められた後大型船で江戸へ廻送された。また、上荷には塩や海産物など内陸の甲斐で産しない商品を中心に輸送が行われ、身延詣の旅人にも利用された。
明治時代(1868年)になると廻米輸送が無くなり衰退するが、三河岸の商人による起業で明治7年には富士川運輸会社が設立され、発展した。中央線の敷設により陸上輸送が可能になると再び水運は衰退し、大正11年(1922年)には富士川運輸会社も解散。富士身延鉄道(現在のJR東海身延線)の全通(1928年)とともにその使命を終えた。
[編集] 流域の自治体
- 長野県
- 山梨県
- 静岡県
[編集] 主な支流
[編集] 並行する交通
[編集] 鉄道
[編集] 道路
[編集] その他
静岡県では、電気の供給について、富士川を境に東側が東京電力の営業地区(50ヘルツ)、西側が中部電力の営業地区(60ヘルツ)となり、周波数が異なる。