ホームレス
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ホームレスとは、様々な理由により定まった住居を持たず、公園・路上・公共施設・河原・架橋の下などの公共の場所等を起居の場所とし日常生活を営んでいる者のことを言う。野宿者(野宿生活者)・路上生活者と呼ばれることもある。テント生活をしていても中東のベドウィンやモンゴルの遊牧民、ロマのような不定住民をホームレスとは呼ばない。金銭的事情等で住居を持てないものだけではなく、米国の実業家ハワード・ヒューズのように、自らの意思でホームレスを選択するケースもある。ベトナム戦争期のアメリカでは、志願してホームレスになる若者が現れた。住所不定になれば、召集令状の送付先がなくなるからである。
かつては乞食・浮浪者・ルンペンなどと呼ばれていたが、差別用語との指摘を受け、海外での同様な状況を指す英語の the homeless に由来するホームレスという呼称がマスメディアを中心に外来語として定着した。
高齢者のホームレスの場合、国民年金の掛け金を払っていた人に対しては年金が受給されるようになり、65歳を期にホームレスを脱することが出来る人もいる。
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[編集] 概説
近年日本でも、ダンボールやブルーシート等を資材としてテント・小屋掛けをしたりする者が急増し、あらたな社会問題となっている。
ホームレスは、大きく「定住型」と「移動型」に分かれている。「定住型」は、公園・駅舎などの公共の場を一定期間占拠し、ダンボール・ハウスなどを設置して生活しており、行政と公共の場の不法占拠かどうかで対立している。「移動型」は、昼間は仕事をしていたり、公共施設などを転々として時間を過ごしていたりするが、夜間になると雨風を凌げる場所を探して睡眠をとっている。冬季は、凍死を避けるために夜間は起きて過ごし、日中、公共施設や 駅構内などで睡眠をとる場合もある。
広義のホームレスには、廃屋や山小屋等に無断で住み着いていたり、無人島のようなところでテント生活をしている者も含むので、都市のみに限定して分布しているわけではないが、実数としては大都市に多く、また、日本においては冬が暖かい西日本に多い。しかし、九州や沖縄に行くほどホームレスが多いわけではないため、気候条件と分布の相関はそれほどでもない。西日本、特に大阪では、宗教や反差別のボランティア組織が多く、それらが炊き出しや援助を行うことがある。
現代の日本に関しては、路上で物乞いをする状態にあるホームレスは少ない。開発途上国等では社会の最貧困層の中に占めるホームレスの割合が高いものと考えられているが、日本の小泉純一郎内閣総理大臣(当時)が「乞食・ホームレスでも新聞が読める」と発言したように、日本のホームレスは比較的教育程度が高く、固定化した社会階層を形成するまでには至っていない。ホームレスに至るまでの経歴は人により様々であり、時代とともにその平均像が変移している。但し、発展途上国のホームレスは家族単位で生活している場合が多く、それなりのサブカルチャーを形成している。これに対し先進国型は高齢・単身世帯であり、社会的アイデンティティを主張できるような状況にはなっていない点が特徴である。
2002年8月ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法が施行され、国による本格的な支援体勢が開始し、2003年2月には厚生労働省による初の全国調査が行われ、各自治体においても自立支援施策が始まっている。
景気の状況によりホームレス人口の増減があり、バブル崩壊後の不況下でその数は増し、2003年の厚生労働省調査によれば全国で25,296人に達している。地域別では大阪市が最も多く、全国総数の四分の一を越える6,600人である。これは、大阪に従来日雇い労働の口が多く労働者が多く集まっていたが、日雇い労働の求人が減っために労働者がホームレスとなってしまったためである。また、単身男性が殆どで女性は少なく、平均年齢は55歳前後である。まれに子供を伴ったホームレスも確認されているが、途上国に見られるような子供単独のホームレス(ストリートチルドレン)は日本では顕在化していない。上野公園のテント村で、ホームレス同士が結婚し、家庭を作りホームレスを脱した例もある。黒澤明の『どですかでん』には親子のホームレスが登場する。
[編集] 過程・背景
失業或いは事業の失敗・倒産などにより経済破綻することで、住居を最終的に失うケースが多い。また、自分から家を飛び出し家族と別離する場合もあれば、逆に夫の浮気※1や離婚・配偶者からの暴力等のために家出を余儀なくされる場合がある。女性の場合は民間の駆け込み寺(女性団体のシェルター)、子供の場合は児童福祉施設など受け入れ施設もあるが、男性の場合は「働くことが可能」「弱者ではない」と福祉担当者に判断されてしまううちは生活保護を受けられないため、路上生活・野宿生活を余儀なくされる傾向が極めて強い。
昨今のホームレス増加の背景は、景気の長期悪化による影響(景気変動)の他、第二次産業の単純労働の需要の減少や、働き方の変化に伴って第二次産業労働における派遣社員(アウトソーシング)や外国人労働者の増加、さらに日雇い労働のアルバイト化によって、若くて安価な安定労働力が供給されるようになったため、年齢の高い単純労働者が弾き出されてホームレスになる傾向がある。失業や倒産をした場合、以前であれば建設日雇や住み込み店員になることが可能であったが、最近ではそうした道が閉ざされてしまったことがホームレスの増大を招いている。
各個人の事情は千差万別であって、また家族関係の悩みやギャンブル・アルコール問題など現代社会における心の問題を重荷として抱えている場合もあり、また人によっては親族との連絡が絶たれた状態を何十年も続けることがあるなど、一般社会からの乖離(かいり)・疎外が見受けられ、経済的問題と個人的事情が複雑に交錯している。
[編集] 歴史
ホームレスの発生は、戸籍や税との関係が深い。狩猟・採集や農耕開始時代には、集落構成員との間でいさかいが起きて集落外に追われたとしても、所有されていない土地が多くあったため、自力で食べ物を得る方法が見つかれば、雨風を凌げる適当な建物や洞穴などに住み着くことで生き長らえることが出来た。この時代においては「ホームレス」という言葉は意味をなさない。また、古代国家の成立後、豪族支配下の農業従事者も、その枠外に逃げ出したとしても、所有されていない山間部の土地に隠れ住むことでホームレス化することは無かった。
日本における本格的なホームレス発生は、大化の改新以後である。中央集権体制により、農民の私有が禁じられ(公地公民制)、班田収授の法により戸籍作成と税法が国に一本化されると、租庸調を戸主が都まで自力で納税しに来なくてはならなくなった。このとき、旅費は自腹であったため、往復分の旅費が調達できなかった者は都の路上に留まったり、路上で行き倒れになったりし、いわゆるホームレスが大量に発生した。不作の年や飢饉の際には、土地を手放して山や寺に逃げ込む者が続出し(戸籍からの離脱)、都もホームレスであふれかえった。これらのホームレスの救済に立ち上がった者として行基が有名だが、国民の9割以上が農民だった明治時代まで、ホームレスは都市につきものとなった。帰農令が出されて農村にホームレスを帰す政策がなされることもあったが、一度都市生活をしてしまうとなかなか農業に戻ることは出来ず、江戸時代には、江戸佃島に職業訓練施設が建設され、ホームレスからの脱皮を促す試みもされた。
明治の産業革命以降は、景気とホームレスの増減が連動するようになる。現代ほど機械化が進んでいなかった当時は、工業のほとんどが労働集約型産業であり、経費の中心をなす人件費を削るため、人件費が安価な都市近郊農村部につくられた(当時は都市部より郡部の方が人口が多い)。不景気に人員整理が行われると、帰農出来ない層が都市に流入して都市人口のほとんどが無産階級で占められるようになり、再就職出来ない一部がホームレスとなった。工業における機械化が進むと、工業は知識集約型が中心となり、他方、第三次産業も進展した。このような産業の変化に従って、将来労働者となる者たちへの高等教育の浸透し、都市の中産階級化が進んだ(一億総中流)。結果、彼らが離職する際には、他業種への転職が難しいわけではなくなった。転職困難者は高等教育を受けていない者が中心となり、高度経済成長期の建設業を支えた世代や社会的弱者の一部からホームレス化する傾向が見られる。
なお、寺や教会などの宗教施設は、納税の義務が免除されていることが多く、その競争力のある経済基盤と知識の集約により、近代まで医学・薬学・農業・高利貸しなどの産業を担ってきた。そのため、寺には失業者を受け入れる経済的土壌があり、また、時期によってはホームレスを僧兵(傭兵)として受け入れてきた。一方、民衆からの寄進もあるため、産業を持たずともある程度の失業者を涵養することが出来た。寺の経済力で涵養できないほどの数のホームレス供給があった場合、巡礼に出して地域で涵養してもらった。西日本(四国)では、そのような巡礼者を受け入れてきた歴史があり、現在は、ホームレス対策としてではなく、宗教的な儀式の一環として巡礼が定着している。
[編集] 行政の自立支援施策
たとえば東京都による報道発表[1]によれば、「自立支援システム」の第一ステップとして「緊急一時保護センター」があり、第二ステップとして「路上生活者自立支援センター」を設けている。第一ステップ(緊急一時保護センター)は、「路上生活からの早期の社会復帰を促進するため、ホームレスの一時的な保護や心身の健康回復を図るとともに、自立支援センターへの入所など以後の処遇方針を明らかにする」。第二ステップ(路上生活者自立支援センター)では、「緊急一時保護センター入所者のうち、就労意欲があり、心身の状態も就労に問題がないと認められた人を対象に、原則2か月間の入所期間で、食事の提供、職業、住宅等についての相談を行い、ホームレスの就労による自立を促進」するとされる。
これらの施設建設に対する周辺住民の反対運動などもあるが、東京都の場合にはいまのところ5年毎の都内のほかの区への移設という手法によって対処しているようである。こうした「自立支援」策にもかかわらずホームレスがなくならないのは、行政担当者から見ると、結局本人に自立への意思がなく、好きで路上生活をしているのだという声もある。しかし他方では、日本のホームレスの多くは驚くほど労働意欲が高いという調査結果もあり、高齢や病気による就業困難、さらには産業構造の変化や不況による社会自体の構造的要因を無視すべきでないと言われる。
そもそも「自立支援」とは「法外援護」(生活保護の外での応急援護)をまとめたものだが、これは国籍要件と(他に活用する資産・能力のない)生活困窮だけを要件として適用すべき生活保護法の趣旨に反して、ホームレスなどを同法の保護から不当に排除するものだという批判もある。いずれにせよ、たとえばアルコール依存症の人――病的に酒が止められない人――が、一度の飲酒が見つかり施設から放逐されたという事例もあるように、粘り強く親身な取り組みが欠けている、または福祉担当職員数や資金の不足によりそれを余儀なくされている現状がある。
[編集] 行政の課題
日本の行政・企業・社会は、失業した人間を受け入れる体制を十分には整えていないため、リストラに伴う生活破綻に備える消費行動の自発的自粛や日本経済の悪循環を引き起こしている。日本経済を好循環にのせるためにも、政策の見直し、または、行政による失業者のソフトランディング(高成長のプロセスで経済に影響を与えない程度に下げること、軟着陸)の充実が切望されている。
政策の見直しについては、かつてルックイースト政策を提唱したマレーシアのマハティール元首相のように、日本は米国式を脱却する必要があるという意見がある。その根拠として、欧米流のリストラ→再就職の循環による産業構造は、終身雇用制を基準とする日本文化と日本の社会制度(大企業に勤める一握りの人々に限られる文化と制度とする意見もある)に適合しないことがあげられる。欧米式政策を導入したこの10年が日本経済の低迷時期と一致することが、その事実を示している。
ソフトランディング策については、フランス・カナダの例が参考になる。フランスでは、失業者は社会への貢献活動を行っている間は、手当を受けることができる。 カナダでは、失業者も家・医療の保証がある。(マイケル・ムーア「ボウリング・フォー・コロンバイン」に詳しい)
尚、考慮すべき日本文化とは例えば、「~~株式会社CEO」、「慶応義塾大学医学部卒」、「(自称)青年実業家」など勤務先と肩書きを理由に結婚相手を第三者に紹介するお見合い結婚である。お見合いで相手に断られた場合、家族に顔向けできなくなり、家を出て公園でホームレス生活を送る人もいる(これは、独身男性にとって深刻な問題である。)独身であっても堂々と生きていける社会的環境の整備が必要とされる。
欧米の一部には、「平社員として雇用されればそこにとどまる限り永遠に平社員」、つまり、「失業しない限り昇進しない」という失業に前向きな風土がある。だが「失業して(名目だけ)昇進して」も意味がないので、自ら退社して他の会社に再就職し、そこで頑張って昇進の機会を得る者もいる。その一方「失業しないで昇進する」者もいる。人生色々、会社も色々ということであろう。また、社会人を経験してから大学・大学院に入った人には前向きな判定をし、より良好な機会を提供する企業も多い。日本でも、失業後スキルアップ・キャリアアップできるような前向きな失業支援策が望まれる。但し、日本の大学や大学院出身者が社会において即戦力となるような能力を身につけていない場合が多く、企業側がこれを一種のモラトリアム期間と判断する場合が多いのも実情である。
同時に、失われつつある日本の伝統的文化や産業、就業人口が著しく高齢化している農業への回帰を支援する役割が行政に求められている。
行政による高齢者向けの居住施設の設立が切望される。現在は、70歳以上の高齢者の受け入れ先が就業支援目的の自立支援センターであるが、高齢のため就職先が殆どない。野外に寝泊りする年金受給者から、暴力団が「居場所代」として毎月数万円を巻き上げている例もある。毎月何万円もの金額を支払える人がなぜホームレスになっているのかという問題もある。この場合、美人局とか何らかの弱みを暴力団に握られている可能性もあるので、原因に遡った解決策を考慮する必要がある。公共の場で居場所代を払うこと自体正当性がないので拒否できるが、暴力団の所有地に入り込んだ場合、民事訴訟を提訴されることがあるので、注意する必要がある。このため、高齢化に伴いホームレス化した人々のための、生き甲斐支援の政策、「死を待つ人々の家」などの死を迎えるための施設の設立を望む声もある。
[編集] 民間における支援活動
アメリカなどでは教会を中軸とした市民レベルの支援活動が行われているが、日本においても教会や民間の支援団体やボランティア等による炊き出しなどがあり、市民から寄せられた衣類等の寄付物品が配られている。炊き出しは行倒れを防ぐための最低限の活動であり、元野宿者が仲間のために行う場合もある。ホームレスの生活保護受給に関して、保護適用が適正に行われるよう支援している団体もある。弁護士会がホームレス・野宿者向けのキュ・ーアンド・エー(一問一答)を公開している例(外部リンク参照)もある。
また、ホームレスの人々を販売者とする雑誌を発行することで、現金収入を得る機会を提供し自立を支援する事業が始まっている。イギリスのThe Big ISSUEを発祥とし、日本独自の記事を中心とした「ビッグイシュー日本版」が発行されており、東京や大阪などの大都市でホームレスの人たちが街頭に立ち、道行く人達に直接販売している姿が見られる。
[編集] 問題点
[編集] 生活上の問題点
ホームレス襲撃事件が後を絶たず、少年等を加害者とするホームレス殺害・傷害事件が発生している。また、冬季の凍死など毎年数百人もの路上での死者(官報では行旅死亡人)が出ている。
住所不定となるため、住民票が削除されたり、選挙権が行使できなかったりすることがある。長年行方不明であったために親族から役所へ失踪の届けがなされ、戸籍が抹消されている例も見られる。
ホームレスになる直前の職業は、日雇い労働を代表とするもともと不安定な就労形態であった者が多く、建設不況などにより日雇い労働市場が縮小した現在、高齢化の問題も抱え仕事に就くのに困難が伴っており、職業訓練や新たな雇用の創出などの対策が求められる。
アルコール依存症などによる心身面の問題を抱える者については、いったん生活を立て直した後でまた再び野宿に戻る場合があるなど問題である。日本では未成年に対する酒類の販売規制は存在しても、アルコール依存症に対する販売規制は存在しないので安易に酒を入手できる状態にある。
法制度的な問題としては、生活保護法によれば、生活に困窮し資産能力を活用し他に手段がない場合には保護の適用を受けて最低限度の生活を営むことが出来るはずであるが、ホームレス本人の稼働能力の不活用などの理由で保護の要件に欠けるとされる場合があり、セーフティネットとしての生活保護法が充分機能していないとする意見が一部である。特に、男性の野宿生活者に対しては一律に門前払いしている場合も多い。
女性の野宿生活者は性的犯罪の被害者となる危険性が高いので行政側も最優先に素早い対応をしており、これによって多くの女性の人権が保護されている。
働くことを希望しているホームレスが多く、就労による自立が最優先課題であるが、住居・住民票のないことが就職に不利となり、また、アパートなどを借りる際の保証人がいないことが住居を得るうえで障害となっている。住み込み労働などについても保証人や現住所が必要な場合が多く、ホームレス脱却の手段とはなり得ない。
[編集] ホームレスの裁判
生活保護の申請に際して、住所不定者の「稼働能力」を争点とした裁判が起こされている。
[編集] 経緯
1993年7月、住所不定であった男性(当時55歳)が、名古屋市中村区社会福祉事務所へ医療扶助、生活扶助、住宅扶助といった生活保護の申請をした。しかし同事務所は、「就労可能」との医師判断をもとに男性への保護決定を医療扶助のみとしたため、1994年5月、男性はこれを不服とし、同決定の取り消しと慰謝料百万円の支払いを求めて、同福祉事務所と名古屋市を相手取り名古屋地方裁判所へ提訴した。
[編集] 第一審
裁判において男性側は「不況で仕事が少なく、能力を活用しても、最低限度の生活は維持できなかった」「稼働能力があっても、生活が困窮している場合は、生活保護が受けられる」と主張。これに対し名古屋市側は「稼働能力があり、能力の活用が不十分で、保護の要件を満たさない」「就労の機会を得ることは可能で、申請当日に、職が得られなくても、急迫していたとは認められない」として、処分の妥当性を主張した。1996年10月、名古屋地裁は原告側(男性)の主張を認め、上記決定を取り消す判決を下したが、名古屋市側は控訴した。
[編集] 控訴審
1997年8月、名古屋高等裁判所は、1審判決を覆し男性敗訴の控訴審判決を言い渡した。
[編集] 上告審
男性は最高裁に上告したが、2001年2月、最高裁判所第三小法廷は男性の上告を棄却した。
[編集] その他
彼らの僅かな収入源の一つに、回収業者が廃品の買取をする方法や直接販売可能な廃品の買取がある。前者がダンボールやアルミ缶、後者は週刊誌などの雑誌である。ダンボール集めの場合、古紙回収業者がホームレスにリヤカーを提供し安い料金で街中のダンボールを無断で集めさせているのである。ホームレスにとってはいつでも好きな時間にマイペースで仕事ができ僅かだが適当な収入になる仕事なのである。しかし最近では、ダンボールもタダでの引取りがなくなり、放火の危険性からも街中では見られなくなりつつある。ホームレスの自立にはこう言った年齢や能力にあまり左右されず、好きな時間に稼げる簡単な仕事も必要なのである。ホームレスの多くは元日雇い労働者であり、それぞれの技能を持つ場合が多い。最近では主要都市部を中心にホームレスの人向けに雑誌の販売活動も始まっている。街頭で好きな時間好きな場所で販売でき売れた数だけが収入になるホームレス自立支援の為の非営利団体による雑誌である。
日雇い労働市場(寄せ場)には多数の簡易宿泊所(いわゆる「ドヤ」)が集まった街があり、日雇い労働者がひしめく独特の雰囲気がある。横浜寿町、東京山谷、大阪釜ヶ崎(あいりん地区)が「日本三大寄せ場」として有名である。
近年、ホームレスが中国から覚せい剤の密輸を行う運び屋として利用されるという事件が発生している。公園等で見知らぬ男から報酬と渡航費や偽造パスポートなどを渡され、詳しいことがわからぬまま覚せい剤を日本に持ち込ます手口といわれる。すでに2004年2月、中国当局によって麻薬密輸罪で日本人1人に執行猶予付きの死刑判決が言い渡されている。
ホームレスの中には、犯罪に巻き込まれてしまったため家族に迷惑をかけないようにと絶縁し、遺体となって初めて家族のもとに帰る人もいる。この事態は、反社会的勢力(暴力団など)が夜の間にホームレスの枕元にそっと食料をおいておき、朝起きたホームレスがそれを誰から受けたとも知らずに食べた後、反社会的勢力が来て名乗りをあげ、以降そのホームレスを勢力範囲下におく(反社会的業務への雇用契約成立と彼らはみなしている)ことで生じる。
[編集] ホームレスだった時期のある有名人
ほか。
[編集] 関連項目
- スラム
- 乞食
- 乞食谷戸
- 寿町 (横浜市)
- 山谷 (東京都)
- あいりん地区
- 横浜浮浪者襲撃殺人事件
- 自由
- 家なき娘 - 家なき子 - 家なき子(ドラマ)
- 孤児 - 孤児院 - 戦災孤児
- ビッグ・イシュー
- 簡易宿泊所
- ストリートチルドレン
- 越冬支援:快適なすごし方
- コッチェビ(北朝鮮の孤児)
- 死を待つ人々の家
- マザー・テレサ
- 蟻の町のマリア
- 救世軍
- 搾取
[編集] 文献
- 青木秀男 編著『場所をあけろ! 寄せ場/ホームレスの社会学』松籟社 1999年1月 ISBN 4879841986
- ありむら潜『カマやんの野塾 漫画ホームレス問題入門』かもがわ出版、2003年12月、ISBN 4876997829
- ネルス・アンダーソン 広田康生 訳『ホーボー ホームレスの人たちの社会学』ハーベスト社 上:1999年5月 ISBN 4938551411、下:2000年11月 ISBN 4938551519
- 原著: Nels Anderson, The hobo
- 岩田正美『ホームレス/現代社会/福祉国家「生きていく場所」をめぐって』明石書店 2000年3月 ISBN 4750312665
- 梅沢嘉一郎『ホームレスの現状とその住宅政策の課題 三大簡易宿所密集地域を中心にして』第一法規出版 1995年6月 ISBN 4474004922
- 笠井和明『新宿ホームレス奮戦記 立ち退けど消え去らず』現代企画室 1999年7月 ISBN 4773899077
- 風樹茂『ホームレス入門 人間ドキュメント 上野の森の紳士録』山と溪谷社 2001年6月 ISBN 4635330346/改題『ホームレス入門 上野の森の紳士録』角川文庫 2005年1月 ISBN 4043778015
- 風樹茂『ホームレス人生講座』中公新書ラクレ 中央公論新社 2002年11月 ISBN 4121500709
- 金子雅臣『ホームレスになった 大都会を漂う』築地書館 1994年2月 ISBN 4806756237 ちくま文庫 2001年11月 ISBN 448003675X
- 北村年子『大阪・道頓堀川「ホームレス」襲撃事件 “弱者いじめ”の連鎖を断つ』太郎次郎社、1997年10月、ISBN 4811806417、[1]
- 櫛田佳代『ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦』ビーケイシー 2004年12月 ISBN 4939051323
- 小玉徹ほか『欧米のホームレス問題 下』法律文化社 2003年2月 ISBN 4589026198
- 小玉徹『ホームレス問題何が問われているのか』岩波ブックレット 岩波書店 2003年3月 ISBN 400009291X
- クリストファー・ジェンクス 大和弘毅 訳 『ホームレス』図書出版社 1995年2月 ISBN 4809901955
- 原著: Christopher Jencks, The homeless
- 社会政策学会 編『日雇労働者・ホームレスと現代日本』御茶の水書房 1999年7月 ISBN 427501765X
- 曽木幹太『Asakusa style 浅草ホームレスたちの不思議な居住空間』文藝春秋 2003年5月 ISBN 4163650105
- 長嶋千聡『ダンボールハウス』ポプラ社 2005年9月 ISBN 4591088308
- 中村健吾 ほか『欧米のホームレス問題 下』法律文化社 2004年3月 ISBN 4589027143
- 中村智志『段ボールハウスで見る夢 新宿ホームレス物語』草思社 1998年3月 ISBN 4794208073/増訂改題『路上の夢 新宿ホームレス物語』講談社文庫 2002年1月 ISBN 4062733501
- 福沢安夫『ホームレス日記「人生すっとんとん」』小学館文庫 2000年12月 ISBN 4094050213
- 藤井克彦、田巻松雄 共著『偏見から共生へ 名古屋発・ホームレス問題を考える』風媒社、2003年4月、ISBN 4833110598
- ふるさとの会 編著『高齢路上生活者 山谷・浅草・上野・隅田川周辺その実態と支援の報告』東峰書房 1997年11月 ISBN 488592040X
- 松繁逸夫 安江鈴子 共著『知っていますか?ホームレスの人権一問一答』解放出版社 2003年6月 ISBN 4759282467
- 松島トモ子『ホームレスさんこんにちは』めるくまーる 2004年2月 ISBN 4839701156
- ジェームズ・D・ライト『ホームレス アメリカの影』三一書房 1993年3月 ISBN 4380932028
- 原著: James D. Wright, Address unknown
- E・リーボウ 著 吉川徹 轟里香 訳『ホームレスウーマン 知ってますか、わたしたちのこと』東信堂 1999年4月 ISBN 4887133251
- 原著: Elliot Liebow, Tell them who I am