浅草
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浅草(あさくさ)は、東京都台東区の地名である。または浅草寺を中心とする繁華街の地名。旧浅草区全体を指すこともある。
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[編集] 歴史
江戸時代から境内地が広く認められ、明暦の大火後吉原や芝居町が広く移転してきて仲見世が発展し、見世物小屋などが進出して大娯楽街となる。明治後も映画館や演劇場が繁栄し、昭和初期の浅草オペラをはじめとした大衆文化の中心となっている。
古くから浅草寺の門前町として栄えていた。徳川家康が江戸を根拠地として大規模な城下町に改造していくと浅草もその一角を担うようになる。17世紀には浅草寺の北の「千束」に「新吉原」と称した遊郭である吉原遊郭が移転する。天保の改革の下に行われた水野忠邦の芝居小屋撤去に対し、北町奉行遠山金四郎は浅草猿若町を一門前町に過ぎなかった浅草に移転させ、後の一大繁華街となるきっかけになった。
幕末には、町火消しであり侠客、最後の将軍徳川慶喜に付き従った新門辰五郎が住む。
また、繁華街のことを「奥山(おくやま)」とも言った。これは、浅草寺自体が山号を持つ寺であることや、実際には2~3m程度の高さで周りから見れば高台程度の高さであるが「待乳山」(まつちやま)の上にあることからその奥にあるという意味でもあり、これは現在の繁華街の辺りにも重なる。
明治時代には東京市15区の名前の一つに「浅草」が採用された。また浅草寺を中心とした地域を明治時代に公園化し東京初の都市公園である浅草公園となった。浅草公園を6つの区に分けたことから、浅草公園六区ともよばれた。なおこの言い方はその中で一番にぎやかだった地域である第六区のみを指すともいう。
明治時代に凌雲閣(通称十二階)などが建てられ、江戸以来の繁華街として新たに演芸場や芝居小屋等が建ち、東京庶民の歓楽街として知られるようになった。関東大震災以降の興行界は、松竹の進出が本格的となり戦前の昭和においては有楽町に進出した東宝と覇を争った。戦後は松竹歌劇団(SKD)の本拠地である国際劇場やロック座、フランス座などのストリップ興行で賑わった。
また、関東大震災後より第二次世界大戦前までに東武線及び地下鉄が乗り入れ、1960年代まで東京庶民の歓楽街としてにぎわったが、それ以降は衰退しつつあり、むしろ「下町らしさ」を主とした観光地としての側面の方が大きくなってきている。
古くからの浅草地区のランドマークとして浅草寺山門である雷門が知られるが、1990年代以降には吾妻橋対岸のアサヒビール本社ビルもランドマークとして認知されつつある。
調理器具等の飲食店関連の用品を取り扱う合羽橋道具街など特殊な商店街なども存在する。
余談だが、2006年10月から11月まで放送していた長澤まさみ主演「セーラー服と機関銃」のロケに浅草が多く登場する。
[編集] 地区区分
- 東浅草(住宅地)
- 西浅草(商業地)
- 元浅草(繁華街)
- 浅草六区(繁華街)
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] 水上バス
[編集] 道路
- 浅草通り(東京都道463号上野月島線)
- 江戸通り(国道6号)
- 国際通り(東京都道462号蔵前三ノ輪線)
- 言問通り(東京都道319号環状三号線)
- 春日通り(東京都道453号本郷亀戸線)
- 雷門通り
- 仲見世通り
[編集] 名所・名物
- 名所
- 名物
- 三社祭
- 浅草サンバカーニバル(公式ホームページ)
- 隅田川花火大会
- 仲見世通り
- かっぱ橋道具街
[編集] 関連項目
- 浅草芸能大賞
- 浅草御蔵
- 浅草紙
- 浅草文庫 - 江戸時代から明治時代にかけて昌平坂学問所の書物を保管した図書館。
- 浅草鉄銭 - 江戸幕府が浅草で鋳造した貨幣である。天保期のものは一文銭で、安政期のものは四文銭。
- ダン・ミセリ - 元巨人選手。解雇後に家族で観光をしたので有名。
- 新世界
- 凱旋門
- めぐりん - 台東区のコミュニティバス
[編集] 浅草周辺を舞台とした作品
- こころ - NHK連続テレビ小説。
- こちら葛飾区亀有公園前派出所 - 主人公:両津勘吉の故郷として、数多く登場。
- 若大将シリーズ - 古沢憲吾監督作品では若大将の自宅:田能久の所在地
- セーラー服と機関銃 - 女子高生がヤクザの組長になって機関銃を乱射する。
[編集] 参考文献
- 堀切利高『浅草東仲町五番地』 論創社 2003年6月 ISBN 4-8460-0539-9
[編集] 外部リンク
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