HITACHI FAN! FUN! TODAY
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『HITACHI FAN! FUN! TODAY』は1986年から1990年にかけてニッポン放送が制作し、NRN系列のラジオ局で放送された音楽情報番組。担当パーソナリティはニッポン放送アナウンサーの上柳昌彦(現在のうえやなぎまさひこ)。
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[編集] 番組形態と放送時間
前番組の『日立・ミュージック・イン・ハイフォニック』~『日立・ミュージック・イン』同様、日立製作所による単独提供(通称『日立枠』)で、ローカルセールスの形態は取らず、全国同一スポンサーによるオンエアであった。 キー局であるニッポン放送では月曜から木曜まで、深夜0時からの30分間での放送だったが、裏にTBSラジオのSURF&SNOWが生放送でオンエアされていたことなどから、24:40からの『ぽっぷん王国』と合わせて原則生放送としてオンエア。一方、地方局向けには編成上の都合から別個に録音版が制作され、NRNラインで配信されていた。ちなみに地方局向けはニッポン放送と違い、月曜から金曜までの放送だった(放送時間は同じく30分)。ほとんどの地方局は同じくNRN系列・文化放送制作の『青春キャンパス』(谷村新司、ばんばひろふみ)、後の『SCHOOL'S OUT』(大友康平、千倉真理)~『From C Side』(徳永英明、太田英明アナ)とセットで22時から24時の間に放送していた(一部地域では例外あり)。
[編集] おもなコーナー
- ゲスト(週1回程度。レイティングの時には日替わりで毎日登場することも)
- FAN FUN勢力地図(録音版のみのコーナー。金曜日)
- ライブネット(パソコン通信を使った世界の音楽情報。当時、番組ではホスト局を開設していた)
- ヘヴィメタ歌謡選手権
- わがまま人間によるわがまま人間のためのわがままリクエスト
- ウナギマンショー(スネークマンショーのパロディ)
[編集] 備考
[編集] 番組終了に関する事情
1990年春の改編をもって、スポンサーの日立製作所が帯番組から撤退することになり、番組も終了。後番組としてローソン提供による『ブッタマほっとステーション』(ニッポン放送は『内海ゆたおの夜はドッカーン!』に内包)がスタートしたが、実質NRN系列のフルネットだった『FAN! FUN!~』と違い、ネット局は十数局程度にとどまった。理由としては、この時期から多くの地方局が独自の夜ワイド制作などに力を入れ始め、編成上の障害となる30分帯番組のネットを敬遠したことなどが挙げられる。
番組テーマ曲とジングルには、当時デビューして間もない久保田利伸を起用していた(一時期、木曜日のみレギュラー出演もしていた)。ちなみに久保田は裏番組の『SURF&SNOW』の初代テーマ曲とサウンドステッカーも担当しており、同時期に両局の同じ時間帯の番組で久保田の曲がテーマとして使われていたことになる。
なお日立枠は帯番組から撤退後、週1回(主に週末)となり「HITACHI CRESCENT TIME」のタイトルとして放送され(中山美穂P.S. I LOVE YOU→内田有紀 夜空にYOU KISS!→森高千里STEP BY STEP)、引き続き全国のNRN系列にネットしたものの、その枠自体も1990年代末に廃止された。
[編集] ネット局に関する事情
この番組、沖縄県では本来のNRN系列局であるラジオ沖縄ではなくJRN系列の琉球放送(現在のRBCiラジオ)にネットされた(日立枠が週1回になった後もそのまま撤廃されるまで同局で放送された。ちなみに当時ラジオ沖縄ではライバルの電機メーカーであるシャープの提供で「シャープと共に」というローカルのリクエスト番組が放送されたが、放送時間が一時期当番組の裏に当たったこともある)。またNRN系列局が複数加盟している北海道では北海道放送、関西地方ではラジオ大阪へネットされた。