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蜂須賀 宗英(はちすか むねてる、貞享元年4月9日(1684年5月23日) - 寛保3年2月29日(1743年3月24日))は、阿波徳島藩の第7代藩主。父は蜂須賀忠英の子蜂須賀隆喜。官位は、従四位下、阿波守、侍従。
初名は隆泰。1735年、蜂須賀宗員が亡くなった後を受けて徳島藩7代藩主となり、将軍徳川吉宗の偏諱を受けて宗英と名乗った。
実子に男子はなく蜂須賀宗純を養子に迎えたが先立たれ、讃岐高松藩から蜂須賀宗鎮を養子に迎えて後嗣とした。宗鎮の正室は蜂須賀吉武の娘であったが、後継者を得られなかった。
- 徳島藩7代藩主
- 1739~1754
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- 先代:
- 蜂須賀宗員
- 次代:
- 蜂須賀宗鎮