板野郡
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板野郡(いたのぐん)は、徳島県北東部の郡。人口95,033人、面積108.83km²。(2004年)
郡人口は四国で一位なほか、中国地方を含めると、広島県安芸郡に次ぐ二位、近畿まで広げても五本の指に入るほどである。中心の町である藍住、北島両町は、過疎地徳島県の中でも年々人口が増えており、また、郡内の町に周辺合併の話も出ていないため、このままいくと、再び人口10万人超の郡になる。 板野郡は古来、坂野郡(さかのぐん)と呼ばれていたが、江戸時代に古来の地図を書き写した武士が地名の坂野の坂を板と見間違え、そのまま書き写してしまった事から坂野郡は、板野郡となってしまったのである。
以下の5町を含む。
[編集] 沿革
- 1889年10月1日 - 町村制施行に伴い、板野郡に撫養町と20の村が成立する。(1町20村)
- 1908年7月29日 - 板西村が町制施行し板西町となる。(2町19村)
- 1915年11月10日 - 板東村が町制施行し板東町となる。(3町18村)
- 1923年2月9日 - 一条村が町制施行し一条町となる。(4町17村)
- 1928年11月1日 - 瀬戸村が町制施行し瀬戸町となる。(5町16村)
- 1940年2月11日 - 北島村が町制施行し北島町となる。(6町15村)
- 1940年4月1日 - 鳴門村が町制施行し鳴門町となる。(7町14村)
- 1947年3月15日 - 撫養町・鳴門町・瀬戸町・里浦村が合併し、鳴南市が発足、郡より離脱。(4町13村)
- 1947年11月3日 - 松島村が町制施行し松島町となる。(5町12村)
- 1953年4月1日 - 堀江村が町制施行し堀江町となる。(6町11村)
- 1954年3月20日 - 一条町の一部が麻植郡牛島村(現・吉野川市)に編入。
- 1955年2月11日(6町8村)
- 大津村が鳴門市に編入。
- 板西町・栄村・松坂村が合併し、板野町が発足。
- 1955年3月31日(7町5村)
- 1955年4月29日 - 藍園村・住吉村が合併し、藍住町が発足。(8町3村)
- 1956年9月30日 - 北灘村が鳴門市に編入。(8町2村)
- 1957年3月31日 - 一条町が阿波郡柿島村の一部と合併し、吉野町が発足。(8町2村)
- 1959年4月1日 - 板東町・堀江町が合併し、大麻町が発足。(7町2村)
- 1961年8月1日 - 松茂村が町制施行し松茂町となる。(8町1村)
- 1966年10月1日 - 応神村が徳島市に編入。(8町)
- 1967年1月1日 - 大麻町が鳴門市に編入。(7町)
- 2005年4月1日 - 土成町・吉野町が阿波郡阿波町・市場町と合併し、阿波市が発足、郡より離脱。(5町)