郵便
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郵便(ゆうびん)は、はがきや封書などの郵便物や、これを送達する仕組みのことである。
一般に通常のはがきや封書など速達以外の特殊取り扱いとしないものは、料金相当分の切手を貼付し、郵便ポストに投函することで、郵便局により、宛先の住所の郵便受け、あるいは私書箱まで送達される。
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[編集] 郵便の歴史
古代エジプト第12王朝時代には手紙を運ぶことを生業とする人が居たことが知られているが、一定の組織を持ち制度化されたのは紀元前6世紀半ばの古代ペルシアにおいてであった。広大な帝国の統一のため情報の伝達と収集が重要になり、リレー方式による伝令制が開設された。ペルシアのこの制度を倣った古代ローマの駅伝制は「クルスス・プブリクス」(公共便)と呼ばれ、馬と馬車が用いられた。軍事・政治上の要請から出たもので、当然のことながら公的な通信のためのものであった。中国の郵便制度も古く、体系的に整備されたのは唐の時代であるが、すでに周の時代にその芽生えがあった。道路には駅が設けられ、その駅から駅へ送り継ぐことを逓と称し、駅逓という言葉はここから生まれた。また重要な町には伝が設けられ、伝には馬車が備えられた。駅伝という言葉はここからきたものである。
ヨーロッパでは中世になると、王室の飛脚のほか僧院の使者、学生とその故郷を連絡した大学飛脚、都市と都市を連絡した都市飛脚、肉を急いで運ぶ馬車に信書を託した肉屋郵便等が出現し、一般の人々の信書を取り扱うものも出現し、公衆通信の門が開きはじめた。イギリスではキングズ・メッセンジャーが近代郵便制度が確立されるまで郵便の主体となったが、王の使者の制度は12世紀に制度化された。14世紀から15世紀のランカスター朝、ヨーク朝になると、商工業活動、なかでも毛織物工業が発達したことにともない、一般の人々の間でも通信の必要性が高まった。ノーフォーク州のジェントルマンであったパストン家の書簡が多数残されており、当時の郵便事情を知る上での貴重な資料となっている。フランスでは、パリ大学が1230年に大学郵便を設け、一般人をも含めた郵便事業を行った。これに対抗したルイ11世は1464年に王室用の駅逓制度を創設し、あわせて民間をも顧客としたため、1719年まで官民の競合が続いた。イギリスではヘンリー8世期の1516年に王の秘書官ブライアン・チュークを駅逓頭に任命したことによって、本格的な駅逓制度が確立された。これは幹線道路に20キロメートルごとに宿駅を設定して人と馬を備えたものであるが、利用できるのは飛脚便の使者、官吏、政府の幹部等に限られていた。神聖ローマ帝国においてはフランツ・タクシスの提言により1516年に国内の郵便の取扱いに関する独占権をタクシス家に与え、一般の利用者からの収益で経営させる代わりに政府の郵便を無料で扱わせた。この郵便網はヨーロッパの主要地に至り、その郵便馬車は人々から親しまれるものとなった。
1620年になると、イギリスではキングズ・ポストに対してトラベリング・ポストと呼ばれる制度がサミュエル・ジュードという商人によって開設され、官営と民営の競争が始まった。弁護士のジョン・ヒルは1652年にロンドン―ヨーク間に郵便路線を開設し、官営の半額の料金で手紙や小包を取り扱った。ヒルは1659年に料金の安い郵便制度の創設を『ペニー郵便』という小冊子で提案している。これを実行し発展させたのが商人ウィリアム・ドックラであり、1680年にロンドンにペニー郵便を創設した。これは、ロンドン市内とその周辺なら料金は1ペニーの均一制であり、料金前納制の戸別配達が特徴の一つであった。しかしドックラのペニー郵便は1683年に禁止され、その後官営の郵便料金は値上げを重ねた。1832年、ローランド・ヒルが登場し、料金の値下げと重量別の全国均一料金制、切手を用いることを提言した。この改革案は1840年1月から実施され、同年5月1日にはペニー・ブラックと呼ばれる世界最初の郵便切手が発行された。この制度は、アメリカ、フランス、ドイツ等に早速採り入れられた。
各国の郵便制度の整備、発展が促進される一方では、各国間の制度上の違いが運営上の障害ともなりはじめた。基本的な事項を調整し、円滑な業務運行を促進するため、アメリカの郵便長官モンゴメリー・ブレアの提案により、1863年にパリで国際会議が開かれ、続いて1874年にはスイスのベルンに22ヵ国の代表が集まって国際会議が開催された。この会議においてドイツのハインリヒ・ステファンが提唱したことを契機に、翌1875年に万国郵便連合が結成された。この連合の結成により国際的な規模での近代的な郵便制度がスタートすることになった。こうしたプロセスの中で鉄道郵便車が1838年に登場し、1852年には郵便ポストがイギリスに設置され、1856年にはロンドンを10エリアに分けて符号化した郵便番号が出現した。葉書はステファンの提案でオーストリア・ハンガリー帝国が1869年、イギリスが1870年から発行を開始した。小包郵便の制度がイギリスで創設されたのは1883年のことであった。これに伴い、レター・キャリアと呼ばれていた郵便外務員がポストマンと呼ばれることになった。
[編集] 日本の郵便
日本では「民間事業者による信書の送達に関する法律」(通称・信書便法)の条件を満たせば民間が参入することもでき、高付加価値型の郵便サービスである特定信書便については約130社が参入している。しかし、郵便と呼称できるのは日本郵政公社のみである。一方、全国全面参入型の一般信書便には参入する事業者がなく、日本郵政公社の独占事業となっている。
競合サービスとして民間企業(運輸会社各社等)のメール便(宅配便)がある。
[編集] 日本の郵便の歴史
近代日本の郵便制度は前島密により1871年(明治4年)4月20日にイギリスより導入され、東京~大阪間で始まる。翌1872年には全国展開が図られ、飛脚やかごに取って代わる。同年、書留郵便の制度導入(当初は別段書留郵便と呼ばれる)。
- 1873年 - 日米郵便交換条約調印・国内はがきの取扱開始
- 1875年 - 郵便貯金創業
- 1877年 - 万国郵便連合(UPU)に加盟
- 1892年 - 配達証明開始
- 1910年 - 国内速達郵便制度導入
- 1916年 - 簡易保険創業
- 1921年 - 国内航空郵便開始
(ただしこの時開始されたのは郵便物の航空輸送である。別に増料金を徴収する定期航空郵便の制度は1929年より開始)
- 1953年 - 国内航空郵便制度が速達郵便制度と統合
- 1968年 - 郵便番号実施
- 1970年 - 角型ポスト登場
- 1986年 - 鉄道輸送廃止
- 1989年 - ふみカード(プリペイドカード)発行(2003年3月末で発行中止)
- 1998年 - 郵便番号7ケタ化
- 2003年 - 日本郵政公社へ移行
郵便制度施行直後には、「郵便」を「垂れ便」と勘違いし、ポストによじのぼって用を足した輩がいた、などの笑い話も残っている。
[編集] 日本の郵便物
[編集] 内国通常郵便物
[編集] 国際通常郵便物
- 船便(郵政は平面路便と呼称)
- 書状
- はがき
- 印刷物
- グリーティングカード はここに含まれる- 外国でクリスマスなどにあいさつ文を記したイラスト入りの葉書を送る習慣があり、これをグリーティングカードと呼ぶ。
- 特別郵袋印刷物
- 小形包装物
- 国際小包
船便では1971年点字郵便物の制度は廃止された
- 航空便
- 書状
- はがき
- 印刷物・点字
- グリーティングカード
- Dメール・Pメール
- 特別郵袋印刷物
- 小形包装物
- 航空書簡
- 国際小包
- エコノミー航空(SAL)郵便
船便と航空便の中間に当たる制度で印刷物・特別郵袋印刷物・小形包装物が対象
いずれも書留・速達(取扱国に限定あり)・保険付の特殊取扱を加えることができる。
[編集] その他郵便物
- レタックス - ファクシミリを利用して手書き文面を送る。電報と同様に慶弔に使われることが多い。
- レタックス
- フラワーレタックス - 生花をセットして送る。
- マネーレタックス - 電信為替をセットして送る。
- 国際スピード郵便(EMS)
- 選挙郵便
- 選挙運動用通常葉書 - 候補者のPR用ダイレクトメール。無料。