能生駅
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能生駅(のうえき)は、新潟県糸魚川市大字能生白拍子2538番地にある西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線の駅である。
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[編集] 駅構造
島式ホーム2面4線を有する地上駅。そのほかこの駅は側線を数本持ち、構内には小さな車庫も設けられている。駅の筒石方はすぐに頸城トンネル、浦本方は木浦トンネルである。このためこの駅のホームは駅舎や駅の外部から見ると高い場所に位置しており駅舎からホームへは駅の直江津方にある地下通路を通った後階段を上らねばならない。
駅舎はコンクリート造り二階建て。乗客の入ることが出来るのは一階のみで駅としての設備もこの一階に集約されている。駅舎一階の内部には独立した部屋になっている待合所、コンコースや出札口、改札があるほかコンコースには自立式の自動券売機が一台設置されている。駅舎の二階はホームと高さが一緒で駅舎の二階からホームの脇に職員専用の通路が延びている。駅舎はホームの直江津寄りにある。
業務委託駅である。みどりの窓口はないがPOS端末が設置されており、このほか補充券での指定席券の発行が可能である。
[編集] 駅周辺
能生の市街地にこの駅はある。糸魚川市役所の能生支所がある能生の中心部はこの駅から800メートルほど北へ行った海岸近くであるがこの駅の周りにも人家は多く商店やコンビニなども散見される。
駅の南300メートルほどのところに北陸自動車道の能生インターチェンジがある。北陸自動車道もこの北陸本線もトンネルとトンネルの間に駅やインターチェンジを設けている。
いったん海岸沿いに出てからそこを走る国道8号を東に800メートルほど行くと能生漁港が見える。能生漁港のそばには道の駅マリーンドーム能生や国の天然記念物に指定されている能生のヒメハルゼミ発生地、弁天岩など観光スポットが多い。能生漁港の附近には能生浜海水浴場もありこのあたりは夏には多くの海水浴客でにぎわうこととなる。
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[編集] 歴史
この駅は大正元年(1912年)12月16日、富山東線の名立駅から糸魚川駅までの開通に伴い開業した。大正2年(1913年)4月1日には青海駅と糸魚川駅との間の開通を以って米原駅から直江津駅までが全通しこの区間が北陸本線とされたのでこの駅は北陸本線に属すようになった。また昭和44年(1969年)には北陸本線の複線電化に伴い能生駅は現在地に移転した。
その後この駅は昭和62年(1987年)4月1日、国鉄の分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となって現在に至っている。
[編集] 年表
- 1912年(大正元年)12月16日 - 富山東線の名立駅から糸魚川駅までの開通に伴い開業。
- 1913年(大正2年)4月1日 - 米原駅から直江津駅までが全通、北陸本線となる。
- 1969年(昭和44年) - 北陸本線の複線電化に伴い、現在地に移転。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
[編集] 「能生騒動」
1961年10月1日のダイヤ改正で大阪~青森・上野間に特急「白鳥」が設定された際、(北陸本線が単線だったため)当駅で上りが運転停車を行い、下りと離合するダイヤが組まれていた。しかし、金沢鉄道管理局が作成した駅掲出の時刻表に誤って上り列車の停車時刻が記載されたり、一部の市販時刻表にも時刻が掲載されたことから、地元では特急停車を祝賀するつもりで、ダイヤ改正当日駅で「白鳥」を迎えたところ、ドアが開かぬまま発車していく姿に関係者が呆然とする事件が起きた。これを俗に「能生騒動」と呼び、「能生はNO!」が流行語にもなった。