松田浩
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松田 浩(まつだ ひろし、1960年9月2日-)は、長崎県長崎市出身のサッカー選手・指導者。現Jリーグ・ヴィッセル神戸監督。
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[編集] 来歴
[編集] 現役時代
筑波大学卒業後、東洋工業サッカー部に入団。以後、マツダSC、サンフレッチェ広島とチーム名が変わる中プレ-を続けた。Jリーグ開幕前年の1992年に故障が原因で一旦戦力外通告を受け、コーチに就任していたが、当時の監督であるスチュワート・バクスターの鶴の一声により、コーチ兼任で現役復帰した。ロングシュートのうまさには定評があり、1993年5月22日のヴェルディ川崎戦では約35mのシュートを決め、ロングシュートの比率が高くなかった当時では伝説とまで言われた。その後1994年には1stステージ優勝も経験。1995年にヴィッセル神戸に移籍し、翌年引退(ちなみにバクスターも監督として松田と同時に神戸に移り、この師弟関係は1997年まで続いた)。
[編集] 神戸コーチ・監督時代(1997年~2002年)
引退後はヴィッセル神戸のサテライトコーチ、トップチームのコーチを務めた。2002年7月に監督の川勝良一が解任されたのを受けて後任の監督に就任。J2降格の瀬戸際にいたチームを立て直し、見事残留させる。バクスター譲りの規律を重んじる指導が特徴で(松田自身は規律のことを「ディシプリン」と呼んでいる)、元日本代表主力の三浦知良や城彰二でさえも、規律に反すればスタメンから外した。こうした指導法は跳びぬけた選手がおらず総合力で戦うチームでは有効で、若手への切り替えを進めていたアビスパ福岡が注目。2002年12月に福岡監督に就任した。
[編集] 福岡監督時代
松田が監督に就任した当時の福岡はそれまで場当たり的な補強を続けてきたツケが成績にも経営にも出てきており、育成を柱とする抜本的なチーム改革に乗り出したばかりだった。松田はこれを受けて、1年目から若手を積極的に起用。前半戦は選手の経験不足が出て22試合で5勝しか出来なかったが、後半戦より巻き返しをみせ、通年では4位でシーズンを終えた。
2004年はJ1復帰を目標にして戦ったが開幕から勝ち切れない試合が続き、36節終了時点では3位のモンテディオ山形に勝ち点8差を付けられていた。そこから一丸の姿勢を取り戻したアビスパは残る8試合に全勝し、3位でJ1・J2入れ替え戦に進出した。入れ替え戦では柏レイソルに連敗し、J1復帰はならなかった。ある程度の手ごたえをつかめたとともに選手層の薄さを思い知らされた1年であった。
2005年は入れ替え制が始まって初のJ1降格クラブがなし、かつJFLからの2チーム昇格という、サッカーファンの間でも「史上最低レベルのJ2」と揶揄された年にも関わらず、前半戦で出遅れ、京都パープルサンガの独走を許すが、中盤以降は安定して勝ち点を積み重ね、第42節の徳島ヴォルティス戦の引き分けでJ1復帰を決めた。しかしながら、このときの昇格勝ち点数は自動昇格制度の中で最低の78であった。
5年ぶりのJ1復帰となった2006年は開幕から先制しては追いつかれる、という試合が3試合続き、その後の5試合では総得点がわずか2という深刻な得点力不足に陥り、リーグ戦ではJ1昇格チームではワースト記録となる9試合目にようやく初勝利を挙げた。しかしその後も得点力不足は変わらず、結局リーグ12試合1勝:勝ち点8、カップ6試合1勝しかできず、ナビスコカップ予選リーグ終了翌日の5月22日に成績不振を理由に解任された。「攻撃陣の人材という課題は、監督就任から3年半も補強を要請してきたのにも関わらず、クラブが満足な補強が行わなかったのが原因」という声と、プロの現場実質最高責任者として明確な数字的結果を出せなかったので妥当、という両方の意見が聞かれた。
[編集] 神戸コーチ・監督時代(2006年~)
[編集] 突然の監督昇格
8月20日に古巣である神戸にコーチとして復帰したが、その4日後にこの年から9年ぶりに監督に復帰していたバクスターが家庭の事情で帰国することになった。当初はヘッドコーチのファン・ペドロ・ベナーリが昇格する予定だったが、ペドロの持つライセンスがJリーグ監督に必要な要件を満たしていないとされたため、急遽松田の昇格が決まった。ただし、松田は以前神戸で監督を務めたことがあるとはいえチームに合流してまだ半月であることから、実際の指揮は当初の予定通りペドロが執り、松田はアシスタントコーチ的な役割を担うこととなった。松田の「コーチ」としての肩書はわずか2週間であった。
柏レイソルや横浜FCと激しくJ1昇格を争う中での急な指揮官交代ではあったが、松田自身バクスターの下で働いていた時期が長いことからチームに大きな変化はなく、この時点でのチームの調子の良さを引き継いで順調に勝ち点を積み重ね、第47節時点では首位に立っていた。しかし、続く柏・横浜FCとの直接対決に連敗するなど最後の5試合で1勝もできず、結局3位でシーズンを終えてJ1・J2入れ替え戦に回ることになった。ここで実際の指揮を執ってきたペドロは休養となり(事実上更迭)、入れ替え戦では松田が指揮を執ることになった。
[編集] 2006入れ替え戦
入れ替え戦の相手は奇しくも松田がこの年の途中まで率いていた福岡であった(その経験も買っての松田への全権委任と思われる)。それだけでも因縁としては十分だったが、因縁はこれだけでは終わらなかった。
- 福岡監督は2002年に松田が神戸監督を引き継いだ川勝である。2002年に神戸で起こった監督交代劇が、4年後に福岡で川勝と松田の立場が変わって繰り返された(※)。
- 当然、福岡の所属選手はほとんど松田が指導した期間が長い。さらに言えば、J1昇格以降に加入した選手にも、かつて松田が神戸で指導した選手が目立った(薮田光教など)。
特に後者は松田にとってもかなりの葛藤があったようで、松田は「自分が教えた選手を倒さなければJ1に上がれないが、福岡を分析する時には何度もつらい気持ちになった」と後に述べている。ただし福岡の得点力不足は相変わらずで、松田が監督だった頃と状況は変わっていなかった。このことと、この年からホーム&アウェー方式の大会にアウェーゴール方式(2試合終わって同点の場合、アウェーでの得点が多いチームを勝ちとする)が導入されたことに狙いをつけた松田は「ホームでの第1戦を無失点に抑え、アウェーでの第2戦で勝負をかける」という作戦に出た。この作戦は見事に功を奏し、2試合とも引き分けだったが(第1戦0-0、第2戦1-1)、アウェーゴールの差で神戸はJ1復帰を決めた。松田を含めて2007年の監督をどうするか決めかねていたフロントもこの結果を見て松田の続投を決めた(松田はバクスターの下で働いた時期が長いので、バクスターの流れを踏襲しやすいことも大きかったが)。
なお神戸を昇格させたことで、松田は1999年のJリーグ2部化以降初の「J1昇格を2度経験した監督」となった(しかも2年続けての昇格で、1年目に昇格させたチーム(福岡)を2年目には自分が降格させた)。
※このように「対戦する両チームの監督が相手チームの監督経験を持つ」というのは創立されてまだ10数年のJリーグでは非常に珍しく、他にはJ1の2004年2ndステージ・2005年での柏レイソル(監督:早野宏史)-ガンバ大阪(監督:西野朗)の例があるぐらいである。
[編集] 選手経歴
[編集] 通算成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
1992年 | 広島 | J | - | - | 3 | 0 | |||
1993年 | 広島 | J | - | 36 | 3 | 5 | 0 | 2 | 0 |
1994年 | 広島 | J | - | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 |
1995年 | 神戸 | JFL | - | 28 | 2 | - | 3 | 0 | |
1996年 | 神戸 | JFL | - | 10 | 0 | - | 0 | 0 | |
通算 |
[編集] 指導者経歴
- サンフレッチェ広島:コーチ 1992-1994
- ヴィッセル神戸:サテライトコーチ 1997
- ヴィッセル神戸:コーチ 1998-2002.7
- 日本サッカー協会公認 S級ライセンス習得 2001
- ヴィッセル神戸:監督 2002.7-2003.1
- アビスパ福岡:監督 2003-2006.5
- ヴィッセル神戸:コーチ 2006.8-9
- ヴィッセル神戸:監督 2006.9-
[編集] 監督成績
年度 | 所属リーグ | 大会名 | 試合数 | 勝ち点 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 順位 | チーム |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002年 | J1 | 1nd | 4 | 5 | 2 | 2 | 0 | 13位 | ヴィッセル神戸 |
2nd | 15 | 19 | 6 | 7 | 2 | 11位 | |||
2003年 | J2 | - | 44 | 71 | 21 | 15 | 8 | 4位 | アビスパ福岡 |
2004年 | J2 | - | 44 | 76 | 23 | 14 | 7 | 3位 | |
2005年 | J2 | - | 44 | 78 | 21 | 8 | 15 | 2位 | |
2006年 | J1 | - | 12 | 8 | 1 | 6 | 5 | 16位 | |
ナビスコ杯 | 6 | 5 | 1 | 3 | 2 | 予選敗退 | |||
J2 | - | 14 | 20 | 5 | 4 | 5 | 3位 | ヴィッセル神戸 |
※2002年1stステージは第12節より指揮
※2002年1st・2ndステージはVゴール勝ちを1つずつ含む
※2006年の福岡はJ1第12節まで指揮、神戸はJ2第38節から指揮。勝敗は自身の監督期間のもの、順位は最終順位
[編集] 関連項目
ヴィッセル神戸 - 2007 |
---|
2 小林久晃 | 3 坪内秀介 | 4 北本久仁衛 | 5 河本裕之 | 7 朴康造 | 8 栗原圭介 | 11 茂木弘人 | 14 平瀬智行 | 15 エメルソン・トーメ | 16 小森田友明 | 17 三浦淳宏 | 18 田中英雄 | 19 近藤祐介 | 20 丹羽竜平 | 22 村瀬和隆 | 24 大江勇詞 | 25 石櫃洋祐 | 26 石澤典明 | 27 中村友亮 | 28 豊満貴之 | 29 紀氏隆秀 | 30 徳重健太 | 31 増田清一 | 32 柳川雅樹 | 33 木下真吾 | 34 荻晃太 | 36 遠藤彰弘 | 37 金泰橪 | 38 土井良太 | 40 中田智久 | 41 大屋翼 | 42 ガブリエル | 43 有村光史 | 監督 松田浩 | クラブ | |
- ヴィッセル神戸監督
- 2006途中-
-
- 先代:
- スチュワート・バクスター
- 次代:
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