杉浦正健
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生年月日 | 昭和9年(1934年)7月26日 |
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出生地 | 愛知県岡崎市 |
出身校 | 東京大学経済学部卒業 |
学位・資格 | 経済学士、弁護士 |
前職・院外役職(現在) | 会社員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・予算委員会理事 元・法務大臣 |
世襲の有無 | 世襲ではない |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
愛知12区 |
当選回数 | 6回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(町村派) |
党役職(現在) | 国家戦略本部事務局長 国家ビジョン策定委員会委員長代理 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館424号室 |
ウェブサイト | SEIKEN SUGIURA OFFICIAL SITE |
杉浦 正健(すぎうら せいけん、1934年7月26日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。愛知県岡崎市出身。
1986年、前年に亡くなった中野四郎元国土庁長官の後継者として、総選挙に旧愛知4区から出馬し初当選した。
2005年10月31日に発足した第3次小泉改造内閣では法務大臣に就任した。小泉純一郎の側近中の側近であるといわれる。
目次 |
[編集] 経歴
- 1934年 - 愛知県岡崎市に生まれる。
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- 岡崎市立矢作南小学校、岡崎市立矢作中学校を経て
- 1953年 - 愛知県立岡崎高等学校卒業
- 1957年 - 東京大学経済学部卒業、川崎製鉄に入社
- 1972年 - 弁護士登録
- 1982年 - 第一東京弁護士会副会長
- 1986年 - 第38回衆議院議員総選挙(中選挙区制)で初当選
- 1990年 - 第39回衆議院議員総選挙(中選挙区制)で当選(2回目)、農林水産政務次官
- 1992年 - 国土政務次官
- 1993年 - 第40回衆議院議員総選挙(中選挙区制)で4100票余り届かず次点で落選
- 1996年 - 第41回衆議院議員総選挙の小選挙区で当選(3回目)、自由民主党環境部会長
- 1997年 - 自由民主党財政部会長
- 1998年 - 衆議院法務委員長
- 1999年 - 自由民主党総務会副会長
- 2000年 - 第42回衆議院議員総選挙の小選挙区で当選(4回目)、自由民主党政務調査会副会長
- 2001年 - 第1次小泉内閣で外務副大臣
- 2002年 - 自由民主党国家戦略本部事務局長
- 2003年 - 第43回衆議院議員総選挙の小選挙区で当選(5回目)、清和政策研究会政策委員長
- 2004年 - 第2次小泉改造内閣で内閣官房副長官
- 2005年 - 第44回衆議院議員総選挙の小選挙区で当選(6回目)、第3次小泉改造内閣で法務大臣。
- 2006年 - 法務大臣退任。
[編集] 発言
[編集] 北朝鮮拉致事件
- 内閣官房副長官在任中の2004年5月30日、北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみと北朝鮮に残る家族との再会が果たせぬままであることに関し、国防委員長金正日からの「北京での再会」提案を曽我が容認したとする主旨の発言をした。しかし曽我からは「北京以外で再会したい」との声明が出され、また内閣官房参与中山恭子からも発言の曲解を指摘された。
[編集] 死刑廃止
- 弁護士出身で、また真宗大谷派の信者であることから死刑廃止論者であり、2005年の法務大臣就任時には「死刑執行のサインをしない」などと発言したところ各所から批判を浴び、わずか1時間で撤回するという騒動が起きた。
- だが実際に法務大臣在任中、2006年9月に法務省側から提示された死刑執行命令書への署名を拒み、小泉純一郎総裁任期満了に伴う内閣総辞職の2006年9月26日まで死刑は執行されなかった。短期間で退任したために署名をするか否かの判断の機会がなかったと思われる者を除けば、1993年に後藤田正晴法相(当時)が死刑執行を再開して以来、死刑執行命令書に署名しないまま退任した、初めての法相である。
[編集] ライブドア
- ライブドアの証券取引法違反再発防止策の作成に現職検察官(検事、法科大学院教授)が助言していた問題に対し、2006年2月28日、杉浦は「法的には問題ないが、好ましくはない。検事という身分はわきまえてもらわないと」と批判した。
- 2006年4月27日、前ライブドア社長堀江貴文の保釈を受け、杉浦は「(保釈直後の)あの姿を見たら、再起してもらえるんじゃないかという印象を受けた」「元気そうだ。本を(拘置所で)200冊も読んだんでしょ。すごいね。まだ若いし、裁判をきちっとやってほしい」とエールと取られかねない発言を連発した。検察庁と事実関係係争中の被告人に対し、法務大臣からこのような発言がなされることは極めて異例である。
[編集] 文仁親王妃紀子の出産
- 2006年9月6日の文仁親王妃紀子の出産について、「男子が誕生されるのを期待していますけどね。ご無事であることを祈っています」と前日の記者会見にて述べた。
- 宮内庁長官羽毛田信吾は、「出産を控えた妃殿下の気持ちを考えると、軽々におっしゃるのはいかがなものか」とする遺憾の意を宮内庁長官秘書官を通じて杉浦に伝えたことを、9月12日の定例記者会見で発表した。
[編集] 少年法
- 2006年8月28日に発生した徳山高専殺人事件で、容疑者とされ行方不明だった19歳の男子学生の実名と写真を一部の週刊誌が掲載したことについて、9月8日に「少年法の関係で事実関係について調査し対応を検討している。いずれ報告があると思うので、そのうえで対応を決めたい」と述べた。また、行方不明の男子学生が自殺体で発見されたあとの実名報道には「表現の自由ということはあるが、少年法の趣旨や少年の家族のことも考えると、プライバシーとの関係で問題がないのかどうかと問われると、ないとも言えない感じがする。難しい問題なので事実関係をよく調べて対応を決めたい」と述べた。
[編集] 道路交通法の厳罰化
- 飲酒運転の厳罰化、ひき逃げの厳罰化に対し、杉浦は極めて抑制的な発言に終始している。
- これに対し警察庁長官漆間巖(当時)はひき逃げや飲酒運転の厳罰化に積極的であり、「ひき逃げの罰則を強化する方向で検討すべき」と発言している。道路交通法は2001年にひき逃げの罰則を5年以下の懲役、または50万円以下の罰金に引き上げているが、漆間は「効果が出ていない」としたうえで、罰則強化を明らかにした。警察庁は、現行の懲役5年以下の罰則を懲役10年以下まで引き上げることも選択肢として検討を続けている。
- 「みのもんたの朝ズバッ!」(TBS)にてこの問題が取り上げられ、司会のみのもんたから「法務大臣を漆間長官に代わってもらえないか」などと発言があった。
[編集] 選挙
政界入りは52歳の時で、国会議員になる前は県議、市議の経験もなかった。1986年の衆院選初出馬の時は、同じ福田派(当時)の代議士だった小泉純一郎に応援演説をしてもらっている。学生時代から国際協力活動に熱心で、大学卒業後も関わっていた経歴を持っていたことから、国際協力に理解ある議員と言われたが、国際協力に関する政治活動はあまり票に結びつかず落選したこともある。