大分県立日出暘谷高等学校
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大分県立日出暘谷高等学校(おおいたけんりつひじようこくこうとうがっこう)は、大分県速見郡日出町にある県立の高等学校。略称は「暘谷」が一般的である。しかしながら、暘谷としての歴史はまだ浅く日出高校としての歴史のほうがまだ長いため、父母世代や他町では「日出高」と呼ばれることが多い。
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[編集] 概要
校舎は近代的なコンクリート造りであり、ホームルーム棟・管理棟・工業棟・商業棟・ホームベース棟・体育館から構成されている。本来、南向きに校舎が建設される予定であったが、地盤の関係から東向きになっており、ホームルーム棟(教室)は日が入りやすくなっている。しかし、そのため夏場はかなり暑い。ホームルーム棟とホームベース棟の間は吹きぬけの空間(アトリウム)になっている。なかなか素晴しい構造だが、上記の校舎の建ち方から冬場は非常に寒くなる。さらには吹き抜けなので、雨が降れば廊下が滑りやすく、雪が降れば廊下に雪が積もる。またその際には、生徒が2~4階からでかい雪玉を落とすこともしばしば見受けられる。しかも、チョークの粉を雪に混ぜて2~4階から落とす生徒も若干ながら居る。暖房器具が入れられることが無いので、生徒からは不満の声もあがることも多々ある。さらに、夏場になると近くにある鶏舎からの臭いが風に乗ってくることがあるので煩わしく思う生徒も居る。また、体育館によく入ってくる鳩のフン害に教職員、生徒が頭を悩ましている。生徒の中では特に体育館で練習をする運動部の人たちが頭を悩ませている。この鳩のフン害の件は毎年、どこかのクラスが生徒総会に議題として挙げるほど悩みの種である。
学校の近辺にはコンビニすら(唯一あったコンビニは、2001年に諸事情により経営不振に陥ったため潰れた。生徒の万引き行為も疑われている。)なく、その後、同じ場所に出来た100均も2005年に潰れた(こちらは取り揃えた商品の需要が少なかったことが大きな原因である)。下校時などに立ち寄れる場所といえば、コンビニがあった場所の隣にあるたこ焼き屋だけであり、専ら生徒の買い食いの場になっている。その他に近辺にあるものといえば愛宕神社がある。日豊本線の電車やバスの本数が少ないため乗り遅れると、次が来るまで1時間以上あったりするので待ち時間が面倒である。しかも冬に乗り遅れると1時間以上、寒い中に居なければならなかったりするので大変である。原付による登下校を行う生徒もいるが、距離制限・成績・生活態度など様々な条件を教師たちが審査して、クリアしなければならないため、生徒の大半は電車・バス・自転車の何れかで登下校をしている。ちなみに前にコンビニ・100均があった場所は今、NPO法人が使用している。ちなみにバス停はNPO法人・たこ焼き屋の目の前と学校の目の前の2ヶ所あり、駅はたこ焼き屋の前のバス停から2~3分歩いたところにある。
体育館は2008年の大分国体のなぎなたの会場になることが決まっている。
平成17年3月に卒業した生徒が作成したポスターが環境大臣賞を受賞したことがある。
[編集] 設置学科
1年生は全員、共通科目(一部選択)で、2年生から卒業後の進路に応じて各自選択で専門系列に分かれる。強化は一部の必修科目以外は選択である。2005年までは4年制大学の文系学部への進学を主とする国際文化系列、4年制大学の理数系学部への進学を主とする自然科学系列、電気・電子のことを主に学ぶ情報システム系列、建築のことを主に学ぶ環境プランニング系列、デザインのことを主に学ぶ情報デザイン系列、商業・流通のことを主に学ぶ国際ビジネス系列・流通サービス系列、健康や介護を主に学び、体育の授業が他の系列より多い体育健康系列の8系列があったが、2006年に1クラス減ったため国際ビジネス系列と情報デザイン系列を統合し情報ビジネス系列とし、体育健康系列を廃止して6系列となった。しかし2004年と2005年に入学した在校生は8系列に分かれている。
[編集] 校訓・教育方針・校則
[編集] 校訓
勉学、強健、友愛
[編集] 教育方針
人間尊重の精神に基づき、豊かな人間性を培い、高い知性と強健な体力の育成をはかるとともに社会の変化に主体的に対応できる自主的、創造的な能力の育成。
[編集] 校則
殆ど一般の高校に見られる校則と同様であるが服装、頭髪、免許の取得(自動車、原付、自動二輪)に関しては厳しい。左記の免許に関して言えば無断取得発覚の場合卒業時まで没収となる可能性がある。また一ヶ月か二ヶ月に一回、服装検査で服装と頭髪がチェックされる。ただし、持ち物検査は何故か行われない。生徒のプライバシー保護と一度説明されたが免許の件とあわせて考えると矛盾する。だが一度だけ電車の定期の期限が切れているのにその定期を使う生徒が居るということで、電車の定期の期限が切れていないか、電車通学の人全員対象に検査したことはある。そのような行為をした理由はおそらく、生徒が登下校でよく使う日豊線の駅で自動改札があるのは大分駅だけなので、大人数で通れば駅員に注意される可能性が低いと思ったからであろう。その人数が一番多くなるのがもちろん登校時の最寄駅である大神駅である。なので期限切れ定期を使っていた生徒は登校時は電車で、下校時は親を呼ぶなどの別手段で帰っていたと推測される。
[編集] 制服
本校の制服は夏場、男子は白地のカッターシャツに紺に薄地のチェック柄のズボン、女子は白いブラウスに男子と同柄のスカート。冬は男女とも紺のブレザーである。余談であるが、本校の男子冬服のネクタイはドラマ「マイ★ボス マイ★ヒーロー」で主人公の通うセント・アグネス学園の男子制服のネクタイと同じものである。
冬の寒さ対策として、男子は制服のズボンの下にジャージをはき、女子は毛布をひざ掛けとして使用している。学校側は女子の毛布ひざ掛けは3月末までの期間付で認めているが男女ともジャージ着用は認めていない。だが男子の場合服装検査でもそこまでは検査されないため見つかりにくい。
[編集] 生徒の気質
どちらかと言えば世間で言う「最近の若者」が多い。特に工業系列にその気質の生徒は多い。ふざけた態度をとる生徒が少なからずおり、目立つため世間からの評判が悪い面がある(生徒の喫煙、電車バス内での態度、服装など)。基本まじめな生徒が目立たないため、かえってそういった話が広がり、少なからず学校のイメージを悪くしてしまっている。しかし、迷子になっている子供を送ってあげたり、自主的にゴミ拾いを行う生徒もおり、必ずしも世間の評価が悪いとも言い切れないところがある。
[編集] 国際交流
毎年留学生の受け入れを積極的に行っており、毎回2年生のクラスに編入される。2004年は南米ボリビアから、2005年は北欧フィンランドからの留学生が来ている(ボリビアからの留学生は飛び級で2年生のクラスに編入されたため、初めてクラスに来たときはまだ15歳だった)。また、近年では台湾の修学旅行団が交流に訪れる。初めて台湾の修学旅行団が訪れたのは2004年のことである。
また、2004年の夏休みから2005年の夏休みまで東欧ハンガリーへ留学した生徒がいる。
[編集] 部活動
部活動は、自転車競技部がインターハイや国体で何度も優勝をするほどの強豪校であり、暘谷の顔ともいえる部活である。また県下で唯一の男子新体操部がある高校でもある。野球部においては、2002年に強豪校として名を馳せた軟式野球部から公式野球部へ変わった。公式に変わり毎年2回戦で負けていたが、2005年の第87回全国高校野球選手権大会の大分予選で初めて3回戦まで駒を進め、山口俊(現横浜ベイスターズ)率いる柳ヶ浦高等学校と戦うが敗退する。ちなみに文化部では、放送部のテレビ番組部門が全国大会であるNHK杯全国高校放送コンテストで入賞、また九州高校放送コンテストでラジオ番組部門3位、アナウンス部門も入賞と輝かしい成績を収めている。工業部もロボット相撲を始め、数々の輝かしい成績を収めている。
[編集] 運動部
自転車競技部、野球部、サッカー部、バスケットボール部、女子バレーボール部、男子卓球部、テニス部、陸上部、水泳部、柔道部、弓道部、剣道部、男子新体操部、クライミング部、女子なぎなた部
[編集] 文化部
放送部、新聞部、音楽部、美術部、書道部、茶道部、家庭部、工業・デザイン部
[編集] 沿革
- 1909年(明治42年) 日出町外組合立女子実業補習学校として開校
- 1921年(大正10年) 大分県に移管、大分県日出高等女学校となる
- 1948年(昭和23年) 男女共学の大分県立日出高等学校となる
- 1961年(昭和36年) 普通科に加え商業科設置される
- 1965年(昭和40年) 自転車競技部が創設される
- 1997年(平成9年) 大神に移転し現校名となる
- 1999年(平成11年) 創設90周年
[編集] 主な行事
- 4月
- 入学式
- 歓迎遠足
- 5月
- 生徒総会
- 6月
- 高校県体
- 7月
- クラスマッチ
- 夏休み
- インターンシップ(2年生のみ)
- 中学生体験入学
- 9月
- 体育祭
- 10月
- 暘谷祭(文化祭)
- 12月
- クラスマッチ
- 1月
- 百人一首大会
- 2月
- 卒業テスト(3年生のみ)
- 3月
- 卒業式
- 離任式
[編集] 過去の主な進路先
[編集] 進学
[編集] 4年制大学
大分大学、別府大学、立命館アジア太平洋大学、日本文理大学、北九州市立大学、福岡大学、九州共立大学、九州国際大学、九州産業大学、第一経済大学、第一福祉大学、崇城大学、京都産業大学、関西外国語大学
[編集] 短大
西南女学院短期大学、別府大学短期大学部、別府溝部学園短期大学、
[編集] 専門学校
KCS大分情報専門学校、IVY総合技術工学院、日本文理大学メディカルカレッジ
[編集] 就職
自衛隊、大分県警、大分キャノン、大分キャノンマテリアル、別府ロイヤルホテル
[編集] 主な卒業生
[編集] スポーツ選手
- 安東宏高(競輪選手)
- 小岩大介(競輪選手)
[編集] 所在地
- 大分県速見郡日出町佐尾3244-1
[編集] その他
[編集] 校内お勧めスポット
- 図書館 - 落ち着いた雰囲気の図書館であり、テスト前、下校時の電車等の待ち時間などでも立ち寄る生徒が多い。季節に合わせた装飾も魅力。また司書室は広くもなく、狭くもなく、冬場はストーブが入っているため暖かい。冬の学校で一番暖かい場所と思われる。だが入室は図書委員会メンバーの特権である。※1
- 中庭 - 校舎から眺める景色が良い。
- 視聴覚室 - VHS、DVD再生可の大型スクリーンを備える。普段の授業で使われることは稀だが、文化祭では図書委員(または生徒会が使用することもあるが生徒会は殆どの場合、4階の会議室を使う※2)による映画上映が行われる。
- 化学室 - 真冬の1時間目に化学室で授業を受けるのは外より気温が低かったりするのでキツい。先生が化学準備室からストーブを出してきて火を入れてくれるほど。だがそれでも寒い。
- 第2グラウンド - 道を挟んで第1グラウンドの隣にあり、野球部が使用する野球場とテニス部が使用するテニスコートと弓道部が使用する弓道場がある。野球場とテニスコートの間に何もないスペースがあるので、体育祭のクラス練習をここで行うクラスがある。
※1 この理由は、司書室内が図書委員の仕事場であることと、購入したばかりの本や機密資料があるためである。また委員以外の生徒を入れると、荒らすことがあるので、入室を禁止している。
※2 この理由として、視聴覚室で毎年文化祭で映画上映を行っていたのが図書委員でそれを生徒会が真似し、一度だけ視聴覚室の使用権をとったことによる。結局、その年の文化祭で図書委員は映画上映が出来なかったが、次の年、図書委員企画長に就任した生徒が先手を取り(いささか強引な手であったらしい)、優先的使用権を奪取したため、次の年からは図書委員が視聴覚室を独占している。尚、生徒会は初年度の映画成功を売りに次の年も上映を行ったが、4階で上映を行ったことと、時間の関係で途中で上映を打ち切ったことから生徒からの不満が多かった。その後も生徒会による映画上映は続いているが視聴覚室は使っていない。
[編集] 逸話
- 2005年に本校に着任した白石弘道校長先生の着任初年度の始業式と新入生歓迎会での演説は語り草になっている。その内容は「本校にある校則を守れないものは来なくて結構。どうぞ辞めてください!」であった。その発言を疎ましく思う生徒もいるが、歓迎する生徒も多かった。
- 部活動において、あまりにも学校側が野球部に力を入れるため他の部活生からは不満もあがる。例えば、弓道部では台風により的場の屋根が飛ばされたにも関わらず、予算を理由に一年以上修理されずじまい(野球部は外野フェンスが壊れたが、一週間以内に修理され、さらにノックスペースまで作られていた)。
[編集] 最寄駅・バス停
[編集] 外部リンク
- 大分県立日出暘谷高等学校
- この指とまれ(ウェブ同窓会サイト)