ミス・ユニバース
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ミス・ユニバース(Miss Universe)は世界を代表するミス・コンテスト。
昭和27年にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチで初めて行われ、現在はトランプ財団とNBCグループの共同主催で行われる美の祭典である。世界80か国以上の代表が参加し、世界一の栄冠を競い合う。日本永久開催のミス・インターナショナルと違い、世界大会は世界各国の都市で開催される(日本はミス・インターナショナルの永久開催国であるため、日本の都市では開催されない)。ミス・インターナショナル、ミス・ワールドと比較して、圧倒的に世界的な知名度と権威の高い大会である。平成14年大会より、優勝者の王冠はミキモト製を使用している。
かつて朝日放送は、タレントの宝田明の司会でミス・ユニバース日本代表選出大会を、腸捻転時代はTBS系列で、解消後はテレビ朝日系列で全国放送していた(但し腸捻転解消直後の昭和50年は各地区での募集を前年にTBS系列局が行った関係上、特例としてTBS系列で放送。これが朝日放送制作でTBS系列に全国同時ネットされた最後の番組となった)。平成4、5年はタレントの石田純一が司会を、最後の放送となった平成6年は、スタジオと会場の二元生放送を行い、スタジオ司会に島田紳助、総合司会に朝日放送アナウンサーの岡元昇が務めた(特に平成6年は吉本興業の芸人が多く出演しバラエティ色を強め過ぎたためか、視聴者からの抗議が殺到した)。
また、朝日放送は世界大会も1995年大会まで地上波全国ネットで録画放映していたが(進行は英語のため、日本語吹き替え。放映開始年は不明)、翌1996年からは撤退して、以降、放映はしていない。しかし、世界大会の日本放映は、現在、FOXチャンネル(日本語字幕入り。SKY PerfecTV!などで放送されている放送局)でまた復活している。
[編集] 日本代表
昭和34年大会は児島明子(昭和11年10月29日生まれ、高知県出身、身長168センチ、体重55キロ、スリーサイズは93、58、97。後に宝田明と結婚するも離婚。娘は歌手の児島未散)が優勝した。児島は唯一の日本人優勝者である。
また、昭和28年大会は伊東絹子(昭和7年6月29日生まれ、身長164センチ、体重52キロ、スリーサイズは86、58、97)が日本人初となる入賞(3位)を果たし、「八頭身美人」が当時の流行語となった。伊東の体型は現在の20歳代の日本人女性と比較して決して優れているわけではないが、昭和28年当時の20歳代の日本人女性の平均身長が153.9センチ、平均体重が49.6キロ、バストの平均が80.7センチなので、伊東は当時としてはかなりの長身で西洋人女性を彷彿させる抜群の体型であったことがうかがえる。
女優の萬田久子(昭和53年・アカプルコ大会)、写真家の織作峰子(昭和56年・ニューヨーク大会)も日本代表経験者である(いずれも入賞できず)。
児島・伊東以外で入賞したものには、
- 昭和30年大会では高橋敬緯子が第5位に入賞。
- 昭和63年・台北大会では坂口美津穂(兵庫県出身)が総合第4位(ミス・ユニバースが1位、準ミス(1人)が2位での4位)に入賞。坂口は同年より島田紳助司会の「クイズ仕事人」のアシスタントや、数社の広告モデルを任されるなど芸能活動が期待されたが、翌平成元年、旧来より交際があった元プロ野球選手の星野伸之との結婚(当時、星野は現役選手)のため表舞台から完全に退き、家庭に入った。結婚以降三度の出産、星野の阪神タイガース移籍・現役引退を挟んで長く公式の場に姿を見せなかったが、近年になり朝日放送の番組審議委員を務める。
- 平成15年大会では宮崎京(昭和53年2月25日生まれ、熊本県出身、熊本県立第一高等学校卒、身長170センチ、血液型A型、左利き)が5位入賞。
- 平成18年大会では知花くらら(昭和57年3月27日生まれ、沖縄県出身、身長173センチ)が入賞(2位)。また、ミス・ユニバース伝統の民族衣装部門では着物とは違い、戦国時代の武者をアレンジした衣装で登場し、日本代表として初の最優秀賞(BEST NATIONAL COSTUME)を受賞した。
[編集] ミス・ユニバース優勝者出身国一覧
- アメリカ合衆国 7人(昭和29、31、35、42、55、平成7、9年)
- プエルトリコ 5人(昭和45、60、平成5、13、18年)
- ベネズエラ 4人(昭和54、56、61、平成8年)
- スウェーデン 3人(昭和30、41、59年)
- フィンランド 2人(昭和27、50年)
- ブラジル 2人(昭和38、43年)
- タイ 2人(昭和40、63年)
- フィリピン 2人(昭和44、48年)
- オーストラリア 2人(昭和47、平成16年)
- トリニダード・トバゴ 2人(昭和52、平成10年)
- カナダ 2人(昭和57、平成17年)
- インド 2人(平成6、12年)
- フランス 1人(昭和28年)
- ペルー 1人(昭和32年)
- コロンビア 1人(昭和33年)
- 日本 1人(昭和34年:児島明子)
- ドイツ 1人(昭和36年)
- アルゼンチン 1人(昭和37年)
- ギリシャ 1人(昭和39年)
- レバノン 1人(昭和46年)
- スペイン 1人(昭和49年)
- イスラエル 1人(昭和51年)
- 南アフリカ共和国 1人(昭和53年)
- ニュージーランド 1人(昭和58年)
- チリ 1人(昭和62年)
- オランダ 1人(平成元年)
- ノルウェー 1人(平成2年)
- メキシコ 1人(平成3年)
- ナミビア 1人(平成4年)
- ボツワナ 1人(平成11年)
- パナマ 1人(平成14年)
- ドミニカ共和国 1人(平成15年)
平成14年大会はロシア国籍女性が優勝したが規約違反(ニューヨーク・ポストによると、妊娠疑惑や結婚疑惑)によりタイトルを剥奪、2位(準ミス)のパナマ国籍女性を繰り上げ優勝とした。
タイトルを剥奪されたロシア国籍女性は、帰国後、記者会見を開き 「ミス・ユニバースのタイトルは剥奪されたのではなく、自分から返上した」と述べた。 所属するロシア内務省大学の博士論文を執筆するための時間が必要であるというのが、その理由だった。 また、噂された妊娠や結婚の可能性についても否定した。(インタファクス通信)
Miss Universe organizationはこのロシア国籍女性をミス・ユニバースと認めるのを拒否するが、 一般的にはこの女性は元ミス・ユニバースとして見なされることが多く、母国ロシアでも「ミス・ユニバース2002」として扱われている。
[編集] 外部サイト
- ミス・ユニバース
- 2006ミス・ユニバースジャパン
- Miss Universe winners(昭和27年から平成18年までの優勝者一覧)
- ミキモト製ミス・ユニバース王冠