ブルース・リー
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ブルース・リー 李小龍 |
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![]() 壁に描かれたブルース・リーの絵 |
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プロフィール | |
出生 | 1940年11月27日 |
死去 | 1973年7月20日香港 |
出身地 | アメリカ・サンフランシスコ |
職業 | アクション俳優、武道家 |
各種表記 | |
簡体字 | 李小龙 |
繁体字 | 李小龍 |
ピン音 | Lǐ Xiǎolóng |
発音転記 | リ シャオロン |
英語名 | Bruce Lee |
李 小龍(リー・シャオロン, 広東語:Léi Síulùng) 本名: 李 振藩(広東語:Lǐ Zhènfān)は、アメリカ・サンフランシスコ生まれの中国人俳優である。截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても知られる。
目次 |
[編集] プロフィール
[編集] 生い立ち
父は李海泉、母はグレース(ドイツ人と中国混血)、弟はロバート。映画には芸名の李小龍で出演している。香港の舞台俳優(広東劇)である父李海泉の公演先であったアメリカ・サンフランシスコで生まれる。生後3ヶ月あまりでサンフランシスコで作られた『金門女』という中国映画に出演した。その後香港に帰国、8歳頃から子役として数多くの映画に出演。幼少より、中国武術(大陸では武術、台湾等では国術、海外では空手或いは拳法と誤認されることがあり、カンフーとも呼ばれる)の一派である詠春拳の葉問(イップ・マン)から手ほどきを受け、中国武術を身につける。 少年の頃、通っていた道場にはバスで通っていて、いつも皆より早く行き、バス停で他の生徒を待ち、「今日も休みだ。」と嘘をつき、自分と先生だけで練習をしたという逸話がある。
[編集] ジークンドー
かつて、香港では、喧嘩が法律で禁じられていた。しかし、当時でも珍しい中国服を着用していたことから街で目立ち、気性の荒い青年時代の彼は、「何ジロジロ見てるんだ」と難癖をつけて、毎日のように喧嘩沙汰を起こしていた。そのため、家族から勘当されて18歳で単身渡米し、シアトルに移る。高校卒業資格を得てワシントン大学で勉学に励むかたわら、生活費及び学費を稼ぐために自らの道場を開き指導を始める。同大学にて、哲学の講師もしていた。その頃同じ大学の医学生で、道場で指導をしていたリンダ・エメリーと結婚。その後大学を中退し、道場経営に専念。截拳道(Jeet Kune Do / JKD〈ジークンドー〉)を創始。
[編集] トップスター
その後、アメリカにおける空手トーナメントの場においてJKDの演武をおこなう。それがTVプロデューサーの目を引き、1966年にTVシリーズ『グリーン・ホーネット』で準主役に抜擢。運転手のお仕着せに目だけを隠すマスク(そのマスクはその後キルビルでカトーマスクと呼ばれることになる)を付けた日系人のカトー役を演じ、人気を博したのをきっかけに、ロサンゼルスでハリウッドの俳優やプロデューサーを顧客に武術の個人指導をするようになり、TVや映画などでゲスト出演を重ねる。カトー役のイメージが強いのか『グリーン・ホーネット』を観ていた世代を中心に、アメリカではブルース・リーのことを日本人だと思っている人達が少なくない。
『グリーン・ホーネット』の後、米国の連続テレビドラマ『燃えよ!カンフー』の企画を作成し、自ら主演する予定であったが、東洋人であることなどが理由で主演することができなかった(主人公の混血児ケインを演じたのはD・キャラダイン)。
1970年に香港の映画会社ゴールデンハーベスト社のレイモンド・チョウ(鄒文懐)と契約し、『ドラゴン怒りの鉄拳』など3本の映画に主演。香港の歴代興行記録を塗り替え、トップスターになり、1973年、ハリウッドとの合作映画『燃えよドラゴン』に主演。『燃えよドラゴン』の中に出てくる台詞「Don't Think. Feel !(考えるな、感じろ。)」は、ジークンドーのコンセプトを語る上で、インタビューの際度々引用された。『燃えよドラゴン』のOPパートはリー自身が監督している。
[編集] 死去
![香港に建立されたブルース・リーの銅像](../../../upload/shared/thumb/5/54/HK_Star_Bruce_Lee_16.jpg/200px-HK_Star_Bruce_Lee_16.jpg)
1973年7月20日、『死亡遊戯』で共演する予定だった女優ベティ・ティンペイ(丁珮) の香港の自宅にて頭痛を訴え鎮痛剤(アスピリン)を飲んで横になったが、その後レイモンド・チョウ(鄒文懐)が異変に気づき、医師を呼んでクィーン・エリザベス病院へ担ぎ込まれたが、その後医師により死亡が確認された。公式な死因は脳浮腫(のうふしゅ)である。
司法解剖の結果微量の大麻が検出されたほか、脳が極度に肥大化していた事が判明している。リーは同年5月にも同様の症状を訴えており、死因は長年背中の古傷に使っていた痛み止めとその晩に服用した頭痛薬の副作用と言われている。直前に完成した本人待望のハリウッド主演作『燃えよドラゴン』公開を目前にして32歳の若さで急逝であった。遺体はシアトルダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬される。
日本での『燃えよドラゴン』の公開は1973年12月22日、日本でブルース・リーの人気が急上昇するが、既にブルース・リーはこの世の人ではなかった。その後、『ドラゴン危機一発』をはじめとする映画が公開されていったのである。
[編集] 死因にまつわる噂
なお、その後都市伝説的に死因にまつわる噂が日本やアメリカでまことしやかに語られることになった。その中身は忍者に暗殺された、ボクサーとの決闘の末の死や腹上死など、荒唐無稽なものが殆どであった。梶原一騎の劇画『プロレススーパースター列伝』では「リーの死因は、テッコンドーの達人との決闘で脳天蹴りをくらった後遺症だと大山倍達は語る」等というものまであった。
最近になって、新説として以下の項目がある。
- 白人至上主義者説 - これはハリウッドの既得権益を握っているのは全て白人。当時、有色人種、黒人(含む)で初めて世界的カリスマとなったリーに対する風当たりは非常に強かった。彼のもとには、人種差別思想を持つ個人や団体から脅迫状が連日のように届いていた。それによっての暗殺説。
- 中国武術界の古老説 - 当時の中国武術界は、かなり閉鎖的で他民族、他人種へ武術を教えることはタブーであった。ましてやリーが新しい武術ジークンドーを創設してしまったとなれば門弟希望者はどこに殺到するかは明らか。古老達にとって、リーの絶大な人気は死活問題であった。それによっての暗殺説。
- 香港マフィア説 - 香港映画界とマフィアの関係は深く、片腕ドラゴンの愛称で知られるジミー・ウォングなどは構成員だと堂々と公言。マフィアがライバル会社への打撃を与えるため、売れっ子スターを拉致することなど日常茶飯事。リーも常に狙われていた。それによっての暗殺説。
- 香港映画会社ゴールデン・ハーベスト社説 - 主演作が立て続けに大ヒットを記録するなど、当時のリーは完全にゴールデン・ハーベスト社のドル箱スターとなっていた。だが当時のリーは既に契約していたゴールデン・ハーベスト社から離れる事を決意していた。それを黙って見過ごすほどゴールデン・ハーベスト社のレイモンド・チョウは寛容だったのか。リーの死後直後、彼の取った不可解な行動と、リンダ未亡人に対しての指示。弟のロバート・リーの他殺説の露見。最後にこう締めくくりたい。「人々には真相を明かすことの出来ない複雑な事情があり、それが判明したとしても私は今さら公にするつもりはない。」(1987年リンダ・リーフルコンタクトKARATE誌でのインタビュー)
・映画で共演した女優の自宅に行き新種のアレルギーによって亡くなった死亡説。
[編集] 特記
- 本物の中国武術家である事に加えて、精悍なマスク、俊敏な動き、贅肉のかけらも見当たらない引き締まった肉体は誰もが憧れる存在。彼に影響を受けた格闘家、武道家、武術家は数知れない。
- 独特の「アチョー」という叫び声は怪鳥音と呼ばれる。香港映画界では声優がセリフを吹き替える手法が一般的で、そのため『燃えよドラゴン』以外の出演作ではどれも吹き替えだが、怪鳥音だけはリー自身の声である。ただ、北米版ドラゴンへの道、国際版死亡遊戯だけは別人が吹き替えている。本家とは正反対にあまりにもやる気がなさそうであり、不評の声が多い。
- 劇中で使用する武器ヌンチャクは日本でブームになったが、リーが使ったものは正確にはタバク・トヨクと言われるフィリピン武術・カリの武器である。リーの弟子、ダン・イノサントがタバク・トヨクをリーに教えたと言われている。倉田保昭がリーにプレゼントしたヌンチャクが映画で使用したきっかけという説もある。
- 『燃えよドラゴン』では、サモ・ハン・キンポーがオープニングのスパーリング相手として、エキストラ時代のジャッキー・チェンがリーに地下基地で首を折られる役として出演、また、元虎(ユン・ピョウ)もエキストラとして2カットでその姿を見る事が出来る(リーの後方空中回転キックの代役はユン・ピョウだと言われているが、ジャッキー・チェン主演の『サイクロンZ』などにも出演している元華(ユン・ワー)という説もある)。
- 長男ブランドン・リー(故人)、長女シャノン・リーは共に俳優。
- 武術の個人指導をしていた中にはスティーブ・マックイーンやジェームズ・コバーンもいた。特にジェームズ・コバーンとは親交を結び、『サイレント・フルート』という作品が製作され、共演する予定だった(実際にはロケ・ハンまで行われたところで製作中止となった)。
- 死後、香港や台湾ではブルース・リー人気にあやかろうと「バッタもの映画」「ドラゴン名映画」が数多く製作され、ホー・チョンドー(ブルース・リィ)、ドラゴン・リー、タン・ロン、ブルース・リなどの「バッタもの」が登場した。特にホー・チョンドーは日本のTVドラマ『Gメン'75』にも出演している。そのGメンの、格闘担当の倉田保昭も、『闘え!ドラゴン』というドラマに主演している。Gメンでは倉田の敵役で何度も登場したヤン・スエは『燃えよドラゴン』で、敵の刺客「ボロ」役を演じていた。
- 筋力トレーニングとして、アイソメトリック・トレーニングを積極的に取り入れていた。
- アメリカにおいての空手及び中国拳法の試合に初めてフルコンタクト(直接打撃制ただし防具着用)を取り入れた。
- 正式に門下に入ったのは詠春拳のみであるが、北派の中国拳法も数多く研究していた。グリーン・ホーネットのオーディション映像等で様々な型を演ずるのを見ることができる。
- ダンスにも才能があり、チャチャが最も得意であった。香港のダンスコンテストで優勝したこともあり、その映像が裏ビデオとして出回っている。
- 哲学を専攻していたこともあり、西洋及び東洋思想に精通し、ナポレオン・ヒルなどの自己啓発も研究していた。その成果は、截拳道の思想面に活かされている。
- ブルース・リーの葬式と彼のデスマスクの映像が『死亡遊戯』の中で使われている。
- ベティ・ティンペイ(丁珮)はブルース・リーの愛人と噂されていた。
[編集] 出演作品
- 『グリーン・ホーネット』(1966~67 原題:THE GREEN HORNET)TVシリーズ
- 『鬼警部アイアンサイド』(1967 原題:IRONSIDE)TVシリーズ
- 『かわいい女』(1969 原題:MARLOWE)
- 『ロング・ストリート』(1970~71 原題:Longstreet)TVシリーズ 4エピソードに出演
- 『ドラゴン危機一発』(1971 原題:唐山大兄 THE BIG BOSS)
- 『ドラゴン怒りの鉄拳』(1971 原題:精武門 FIST OF FURY)
- 『ドラゴンへの道』(1972 原題:猛龍過江 THE WAY OF DRAGON)
- 『死亡遊戯』(1972未完成 原題:死亡的遊戯 GAME OF DEATH)
- 『燃えよドラゴン』(1973 原題:龍争虎闘 ENTER THE DRAGON)
[編集] 関連作品
[編集] 関連項目
- ブルース・リィ…中華民国の武道家。ブルース・リーのソックリさん。
- ドラゴン・リー…韓国出身の俳優。ブルース・リーのソックリさん。
- ブルース・リ…俳優、ブルース・リーのソックリさん。
- ブルース・リャン…倉田保昭と競演もしたカンフー俳優。名前がリーと同じブルースであるため、ソックリさんだと思われがちだがリーとは全く無関係である。
- 倉田保昭…俳優、武道家。和製ドラゴンと呼ばれる。ブルース・リーと交友があり、彼に沖縄空手の武具ヌンチャクを紹介したことが知られる。
- ジェイソン・スコット・リー…中国系三世のアメリカ人俳優。「ドラゴン/ブルース・リー物語」でブルース・リーを演じる。
- すわしんじ…元ドリフターズ見習のお笑い芸人。ブルース・リーの物真似が特徴。
- 春巻 龍…漫画『浦安鉄筋家族』に登場するブルース・リーのパロディキャラ。
- 李 白龍…漫画『シャーマンキング』に登場するこの霊の元ネタとなった。ここでは死因は銃殺。
- ワッキー…お笑い芸人。よくモノマネをする。
- フェイロン…格闘ゲーム『ストリートファイター』シリーズに登場するキャラ。キャラデザインがブルース・リーの影響を受けており、外見や戦い方などがそっくりである。
- マーシャル・ロウ…格闘ゲーム『鉄拳』シリーズに登場するキャラ。息子のフォレスト・ロウも登場するが、親子共々キャラデザイン及び格闘スタイルがブルース・リーによく似ている。
- ドラゴン…格闘ゲーム『ワールドヒーローズ』に登場するキャラ。やはりキャラデザインがブルース・リーにそっくり。
- 中川翔子…熱狂的ファンとして知られる。
[編集] 外部リンク
- ブルース・リ漫画 (Chinese-Tools.com)
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