ドイツ空軍
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ドイツ空軍(ドイツくうぐん、独:Reichsluftwaffe)は1935年から使用されるドイツの空軍の名称。ドイツおよび多くの欧文文献では短縮してルフトヴァッフェ ( Luftwaffe! ?) とドイツ語がそのまま使用される。
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[編集] 歴史
[編集] 第一次世界大戦
[編集] 大戦間期
ヒトラーは1935年2月にゲーリングに空軍再編制を命じ、空軍の存在を公式に認めた。ドイツ空軍の復活を念頭に置いたパイロット訓練はヒトラーの政権獲得前から民間旅客機の操縦士養成に名を借りて始まっていた。
当時は航空機技術のあらゆる面が急速に進歩しており、大規模な戦闘の起こらないまま、イタリアのドゥーエが構想した戦略爆撃など後に現実の戦局を左右した構想と、後世から見れば空想で終わった構想とが交錯していた。1936年から始まったスペイン内戦において、ドイツは反政府軍のフランコ将軍を支援する義勇軍「コンドル軍団(Kondorlegion)」を派遣し、急降下爆撃や、ジェット戦闘機時代の今日にもフィンガーフォーとして生き残っている4機編隊の空戦技術を実戦で試した。
[編集] 第二次世界大戦
[編集] 大戦初期
第二次世界大戦の初期、ポーランド侵攻やフランス侵攻において、ドイツ空軍は戦車部隊と空陸連携して急降下爆撃を中心とする戦術的な航空作戦で声価を高めたが、1940年夏にイギリスを屈服させようとしたバトル・オブ・ブリテンでは、当時の主力単座戦闘機であったBf 109の航続力と数が十分でなく、双発複座戦闘機Bf 110と爆撃機が高速のイギリス戦闘機の攻撃に晒され、被害が急増した。また、イギリス空軍はレーダーを用いて限られた数の戦闘機を有効に運用したため、ドイツ空軍は苦戦を強いられ、1940年冬以降ドイツ空軍はイギリスへの昼間爆撃を断念せざるを得なくなった。
1941年のソビエト侵攻は、ドイツ空軍に新たな負荷をかけた。当初の空戦能力、特にパイロットの技量はソビエトのそれを大きく引き離しており、エーリヒ・ハルトマンらのスーパーエースが続出したが、ソビエトの国土はドイツ空軍にとってあまりに広大であった。開戦の年にすでにドイツ空軍は大きな損害を強いられ、同年冬には猛烈な寒気とソビエト空軍の反撃により戦力を消耗していた。 1942年には体勢を立て直してスターリングラードの戦いに臨んだものの、伸び切った補給路とソビエト空軍の頑強な抵抗はドイツ空軍の戦力を消耗させた。包囲されたドイツ陸軍に対し懸命の空中補給も行われたが、戦況を好転させることはできなかった。1943年にはクルスクに対する夏季攻勢が行われた。この戦いではドイツ空軍は最後まで航空優勢を握ることができず、戦力に大きな差ができつつあることが明らかになった。
[編集] 戦略爆撃
1942年に本格化したアメリカ陸軍航空隊による軍事施設や大都市に対する昼間爆撃は、当初アメリカ側に耐え難い損害を与えたが、戦闘機隊を先行させて飛行場を強襲するなどの対抗策が講じられるにつれ、ドイツ空軍側の戦力維持が難しくなっていった。新戦闘機の開発競争も、大出力エンジンの開発と供給などで国力の差がつき、次第に連合軍の優勢が明らかになってきた。ドイツは戦略爆撃機迎撃にジェット戦闘機Me 262を投入したが、時期既に遅く数と信頼性に問題があった。ドイツ空軍は連合軍の空襲によって燃料、航空機材の両面から打撃を受けた。
[編集] 末期の戦い
1944年になると、ドイツは本土防空に専念することとなり、フランスやイタリアの制空権を連合軍に握られることなった。ノルマンディー上陸作戦に先立ち、連合軍の空軍は交通機関を空襲して徹底的な部隊移動妨害を行ったが、ドイツはなす術もなかった。航空優勢を失ったドイツはV1飛行爆弾やV2ロケットなどの使い捨て兵器でロンドン攻撃を図ったが、兵器自体の未成熟に加えて、これらも少数に過ぎた。東部戦線でもソビエト空軍は戦いから多くを学び、アメリカの空軍機材の貸与もあって、ドイツ空軍にとり侮れない敵となっていた。ドイツ空軍は最後の日まで飛び続けたが、長時間飛んでいることはすでに困難になっていた。
[編集] ドイツ空軍の特徴
ドイツ空軍は空を飛ぶ砲兵としての攻撃的な戦術空軍であり、戦争全体を知る後世の目から見れば、防空戦闘機の比率が小さ過ぎ、大型の戦略爆撃機の開発も十分ではなかった。これは第二次大戦のドイツ軍全般に言える国力上の限界であったのではないだろうか。
[編集] 第二次世界大戦後
[編集] ドイツ連邦共和国
[編集] ドイツ民主共和国
[編集] 著名なドイツ空軍軍人
第一次世界大戦期
第二次世界大戦期
- ハンス・ウルリッヒ・ルーデル
- エーリヒ・ハルトマン
- アルベルト・ケッセルリンク
- ハンス・ヨアヒム・マルセイユ
- ヨーゼフ・プリラー
- ヴェルナー・メルダース
- アドルフ・ガーラント
- ゲルハルト・バルクホルン
- ヨハネス・シュタインホフ
[編集] 文献
- アドルフ・ガーラント(著)、フジ出版社編集部(訳)、回顧録、 『始まりと終り:栄光のドイツ空軍』、フジ出版社、1974年
- Cajus Bekker(著)、松谷健二(訳)、戦闘記録、『攻撃高度4000:ドイツ空軍戦闘記録』、フジ出版社、1974年
- John Killen(著)、内藤一郎(訳)、第一次世界大戦から第二次大戦の歴史、『ドイツ空軍、全機発進せよ』、早川書房、1983年
- Samuel W. Mitcham(著)、空軍人物伝、 Men of the Luftwaffe, Presidio, ISBN 0-89141-308-1, 1988
- Peter Kilduff(著)、第一次世界大戦のドイツ航空部隊、German First Air Forces 1914-1918, Motorbooks International, ISBN 0-87938-554-5, 1991
- Samuel W. Mitcham(著)、手島尚(訳)、空軍人物伝、『ドイツ空軍戦記(全2巻)』、朝日ソノラマ、ISBN 4-257-17241-X、1991年
- Alfred Price(著)、第二次世界大戦末期の空軍、 The last Year of the Luftwaffe:May 1944-May 1945, Motorbooks International, ISBN 0-87938-555-3, 1991
- 野原茂(著)、空軍人物伝、『ドイツ空軍エース列伝』、光人社、2003年、ISBN 4-7698-1152-7
- Brian L.Davis(著)、軍服、 Uniforms and Insignia of the Luftwaffe, Vol.2:1940-1945, Arms and Armour, ISBN 1-85409-107-7, 1995
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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