ハンス・ヨアヒム・マルセイユ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハンス・ヨアヒム・マルセイユ(Hans-Joachim "Jochen" Marseille, 1919年12月13日 - 1942年9月30日)は第二次世界大戦のアフリカ戦線で活躍したドイツ空軍のエース・パイロット。最終階級は大尉。撃墜した158機は全て西側連合軍機で、性能、練度の劣るソ連機は含まれておらず、西側連合軍の戦いではトップエース。“アフリカの星”と呼ばれ、歴代の乗機メッサーシュミットBf109Fにはいずれも“黄色の14”を描いていたことでも有名である。
首都ベルリンの空軍軍人の家に生まれた。姓がフランス系であるのは、17世紀末に新教徒が迫害された時に宗教的に寛大なプロイセンに亡命したフランス人の末裔であり、空軍中将のアドルフ・ガーランドもその一人である。1938年11月に空軍に入る。1940年8月からバトル・オブ・ブリテンに参加して7機を撃墜したが、自らも6回撃墜された。1941年2月に第27戦闘航空団(JG27)へ転属し、同年4月、部隊とともにアフリカ戦線へ進出した。軍紀違反などの素行不良で昇進が遅れていたが、アフリカへ転じてからは、理解ある上官に恵まれたこともあって空戦技術に開眼し、急速に撃墜スコアを伸ばして昇進も早まった。1942年9月1日には1日に17機を撃墜し、同9月16日にはドイツ空軍最年少の大尉に昇進した。しかし同年9月30日、受領したばかりの新型 Bf109G に乗り、帰投中にエンジン火災を起こして脱出しようとした際、尾翼に激突してパラシュートを開けず戦死した。同9月2日に柏葉宝剣ダイヤモンド付騎士鉄十字章授与が決定していたが、この勲章はヒトラーが直接個人的に授与する決まりであるため、マルセイユが生前に受け取ることはできなかった。
卓越した操縦技倆を持ち、旋回しながら敵機の未来位置を予測した射撃を得意とする空戦の天才だった。敵機から銃弾に向かっていくようだったと言われている。
[編集] マルセイユを扱った映画
[編集] 外部リンク
- Hans Joachim Marseilleマルセイユのトレーニングプログラム、戦術など(英文)