湖西のみち (街道をゆく)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
湖西のみち(こせい-)は、司馬遼太郎の『街道をゆく』の第1巻第1章で、週刊朝日の1971年1月1日号から1月21日号に連載された。「近江からはじめましょう」という司馬のことばで「街道をゆく」シリーズがはじまった。司馬の小説でも近江は重要な舞台となっている。訪れた時期は1970年、粉雪の舞う季節。近江は13年後、第24巻の「近江散歩」でも取り上げられた。
- 対象地域
- 登場する同行者
- 編集部のH氏
- 菅沼晃次郎氏(滋賀県の民俗研究家)
- 須田剋太画伯
- 全行程
- 関連する司馬作品
目次 |
[編集] ■楽浪の志賀
[編集] 話題
- 湖西の風土(モダン墓地化した京や大和と対比)
- 大和権力の視力はせいぜい静岡県あたりまで
- 湖東と湖西の対比
- 民俗学の講演会(昭和24年頃、柳田国男と折口信夫)
- 古墳が朝鮮式。渡来人の入植
- 新羅と楽浪は同義(新羅王が北斉から「楽浪郡公新羅王」の称をもらう)
- 小松漁港の舟の減少
- 戦国時代に穴太の黒鍬(土木工事技術者)が諸国で活躍(広辞苑)
- 穴太の里の歴史の古さ(延喜式)。成務帝のころ都があった。(志賀高穴穂宮)
[編集] 行程
大津
| 菅原氏と落ち合う。旅のスタート。新羅神社
穴太(あのう)
| 穴太の黒鍬。志賀高穴穂宮
坂本
| 叡山という一大宗教都市の首都。楽浪の志賀。最澄の出身地。円珍
堅田
|
真野
|
北小松
| 漁港。菜を洗う老婦人。漁師。モロコ漁。伊藤姓の家(琵琶湖水軍の大将)。
| 古代安曇族。紅殻格子。暗渠(ショウズヌキ)
白鬚神社
| 猿田彦。新羅
[編集] 登場人物
- 歴史上の人物
- 話題になった人物
- 鳥越憲三郎(民俗学の講演会の幹事)
- 須田国太郎
- 市井の人
- 京都の寺で拝観料をとっている婦人
- 菜(大根)を洗う老婦人
- 漁師
[編集] 地名
[編集] 書名
[編集] ■湖西の安曇人
[編集] 話題
- 日本民族のルーツ(日本人の祖形)
- 朝鮮語
- 明治時代以後の朝鮮人に対する偏見
- 万葉集の防人の歌
- 奥里将建氏の「日本語系統論」
- 縄文時代の文化と弥生時代の文化
- 日本的思想(たとえば浄土教)と日本的美意識(たとえば茶道)のルーツ
- 福岡県糟屋郡阿曇郷
- 本居宣長の「古事記伝」
- 安曇人(安曇海人の神話)
- 宇佐、高良、磯賀という九州の大社
- 北九州との地名の一致>安曇、青柳(中江藤樹の生誕地)、志賀
- 伊吹山
[編集] 行程
[編集] 登場人物
[編集] ■朽木渓谷
[編集] 話題
- 街道とは空間的存在と同時に時間的存在である。
- 桶狭間の戦い
- 長篠の戦い
- 朝倉氏攻略(敦賀に集結し、木ノ芽峠を越え、越前平野へ)
- 浅井氏の裏切り
- 織田信長の朽木街道での退却。近世をまねきよせた信長の機略
- 大久保彦左衛門の「三河物語」
- 木下藤吉郎が殿軍(しんがり)
- 松永久秀の一生の悲哀
- 信長が朽木元綱に出合って驚く場面(武家事紀)
- 朽木氏のその後
[編集] 行程
朽木渓谷(現在、朽木村は高島市に編入)
| 安曇川
野尻
| 朽木中学校に朽木氏の館跡。
市場
| よろず屋があかあかと灯をつけている光景
[編集] 登場人物
[編集] 書名
- 三河物語
- 武家事紀
[編集] ■朽木の興聖寺
[編集] 話題
- 川(river)の話(ナイル川と鴨川、三条大橋にて)
- 渤海国からの朝貢
- 浦島伝説
- 安全保障に無感覚な日本人
- 日本の海外進出(秀吉と明治以後)
- 渤海国を滅ぼした契丹
- 古街道(若狭湾、敦賀-木の本-京、奈良)
- 花折峠から岩瀬へ
- 観光化されていない足利義晴の流寓の地の趣のよさ
- 興聖寺の読経(日没偈)
- 細川氏に圧迫され、興聖寺に流寓した足利義晴と、その枯山水の庭園
[編集] 行程
市場(高島市)
| 朽木の杣が集まってくる様子、溝のある風景
岩瀬
| 曹洞宗興聖寺。足利義晴の流寓の地。旅の終点
[編集] 登場人物
- 歴史上の人物
- 話題になった人物
- 市井の人
- キコリの風体をした神主さん
- よろず屋のおばさん
- ミセス・コバヤシ(英語通訳)
- 山から降りてきた村人(興聖寺について尋ねる)
- 興聖寺の荒れた庭園で遊ぶ子供たち十人ばかり
- 興聖寺の老婦人
- 興聖寺の御住持・森泰翁さん
- 興聖寺の洞翁師(老婦人のご主人)