お市の方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
お市の方(おいちのかた、天文16年(1547年)? - 天正11年4月24日(1583年6月14日))は戦国時代の女性。近江国の浅井長政、織田氏家臣の柴田勝家の妻。父は尾張国の武将織田信秀、母は側室。織田信長の妹、ほか兄弟多数。子に淀殿(豊臣秀吉側室)・常高院(京極高次正室)・お江与/崇源院(徳川秀忠正室)がいる。小谷の方とも称される。
[編集] 生涯
1567年に兄・信長の命令で近江(現在の滋賀県)の浅井長政に嫁ぎ結婚。同盟を結ぶ。1570年、信長が浅井氏と先祖から親交のあった越前(現在の福井県)の朝倉義景を攻めたため、浅井家と織田家は決裂。
長政、長政の父・久政、義景は姉川の戦いで敗北し、1573年に小谷城が陥落し夫・長政が自殺すると、3人の娘(茶々、初、江)ともに織田家に引き取られるが、長男の万福丸は捕われ殺害、次男の万寿丸は僧侶となる。信長没後の1582年に織田信孝の仲介で勝家と再婚する。しかし1583年、夫・勝家が羽柴秀吉と対立して賤ヶ岳の戦いで敗れ、勝家と共に越前北ノ庄城内で自害した。享年37。
墓所:福井県福井市の西光寺。菩提寺:滋賀県高島市の幡岳寺。戒名:東禅院殿直伝貞正大姉。(自性院照月宗貞とも伝わる。)
[編集] 人物
小谷寺には、お市の方の念持仏と伝えられている愛染明王が納められている。また、絶世の美女でもあり、さらに聡明だったとも伝えられ、袋の両端を縛った「小豆袋」で信長に危機(挟み撃ち)を伝えたエピソードなどが知られる。また、非常に背が高かったともいわれており、そのためか、着物の「おはしょり」を作らない独特の着付け方をした肖像画が伝えられている(但し、この時代の着物は女性でも「対丈」に作られるため「おはしょり」がないのが普通ではある)。
信長は「市が男だったなら、良き武将となったであろう」とまで述べたと言われている。なお、市は秀吉を毛嫌いしており、勝家が自害するときに城から脱出するように勧めたが、市は受け入れずに勝家と運命を共にしたと言われている。
辞世は「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな」。