須田国太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
須田 国太郎(すだ くにたろう、男性、1891年 -1961年 )は洋画家。京都市出身。重厚な作風と東西技法の融合に特色。著書に『近代美術とレアリズム』等がある。
[編集] 略歴
- 1891年 京都市中京で生まれる
- 1910年 第三高等学校在学中、独学で絵を描き始める
- 1916年 京都帝国大学哲学科(美学美術史)を卒業して大学院に進む
- 1917年 関西美術院に入ってデッサンの勉強にも励む
- 1919年 絵画理論と実践の綜合を求めるべく渡欧。マドリードを中心に各地を旅しつつ、スペイン美術及びヴェネツィア派を研究
- 1923年 帰国。京大美学会に参加するとともに、高等学校の講師をするかたわら制作に励む。帝展に落選
- 1932年 東京銀座の資生堂画廊で、初めて個展を開く
- 1933年 独立美術京都研究所の開設に伴い、学術面の指導者として招かれる
- 1934年 独立美術協会会員となって制作活動も本格化、渡欧で得た成果を糧に独自の重厚な作風を確立
- 1941年 日本芸術院会員に就任
- 1950年 京都市立美術大学教授に就任
- 1956年 第28回ヴェネツィア・ビエンナーレに「法観寺塔婆」などを出品し好評を博す
- 1961年 70歳で没