金達寿
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金達寿(キムタルス/キムダルス、김달수、1919年 - 1997年)は朝鮮慶尚南道昌原郡(現韓国慶尚南道馬山市)出身の小説家。在日朝鮮人文学者の嚆矢ともいえる存在である。
金達寿は10歳の時に朝鮮半島から内地へ渡り、苦学しながら習作に励んだ。日本大学芸術科在学中の1940年に最初の作品『位置』を発表するが、実質的には第二次世界大戦終戦後の1946年から『民主朝鮮』に連載を始めた長編小説『後裔の街』が出発となった。骨太な文体で書かれたその作品は、「朝鮮的なるもの」「民族的なるもの」が軸となっていて、在日一世作家としての存在を誇示しており、以後『玄海灘』(1954年)、『太白山脈』(1969年)などに展開した。 また、この間、霜多正次・西野辰吉・窪田精らとともにリアリズム研究会を運営し、その後も日本民主主義文学同盟の結成に参加し、雑誌『民主文学』の名を考えるなど、民主主義文学運動の中でも活躍した。
1970年代頃からは古代史の方面にも活動領域を広げ、「日本の中の朝鮮文化」を追求することで、当時の先進文化を伝えた渡来人(朝鮮民族)の存在を日本人に認識させ、日本人の対朝鮮観に影響を与えようとした。この作業は、創作活動が1982年の『行基の時代』で終わったのに対し、ライフワークとして晩年まで続けられた。季刊雑誌『三千里』などの雑誌編集者としての業績も重要である。1980年までの小説をまとめた『金達寿小説全集』(全7巻)がある。
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カテゴリ: 1919年生 | 1997年没 | 在日コリアンの小説家