枯山水
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枯山水(かれさんすい)は、日本庭園や日本画の様式・風のひとつ。
池や遣水などの水を用いずに、石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式。例えば、白砂や小石を敷いて水面に見立てることが多く、橋が架かっていればその下は水である。石の表面の紋様で水の流れを表現することもある。
室町時代の禅宗寺院で特に用いられ、発達した。従来の庭園でも、技法として庭園の一部に用いられることがあったが、独立した庭園として造られるようになった。日本庭園は水を得られる場所に築くものであったが、枯山水様式の登場後は必ずしも水を使わなくとも造園が可能になった。
西芳寺(下の方は池のある池泉回遊式庭園で上の方に枯山水庭園がある)や大徳寺の庭などが有名である。特に竜安寺の石庭は草木を用いず、塀に囲まれた庭に白砂と15個の石組のみで表現した特異なもので、その解釈を巡っては様々な説が唱えられている。
以上はいずれも砂庭を基本とする枯山水であるが、太山寺の安養院庭園のように砂を用いず石組だけで風景を表現する枯池式と呼ばれる枯山水も存在する。
『枯山水』という言葉は、「唐山水」という言葉から来ているという説がある[要出典]。薩摩芋を鹿児島で唐芋と呼び、ジャカルタから伝わった芋をジャガタライモ→ジャガイモと呼ぶのと同様のことである。
[編集] 歴史
- 平安時代(794年-1192年)- 鎌倉時代(1192年-1333年)、唐(618年 - 907年)より水墨画が伝わる。
- 「枯山水」という表記は、平安時代後期の成立と考えられる『作庭記』に出てくる。ただし、室町時代に流行した意味(水を使わずに水を表現する手法)とは異なり、水のないところに石を立てることを指した。『作庭記』の編者は『群書類従』の奥書によれば九条良経(京極良経、1169年-1206年)であるが、橘俊綱(1028-1094年)説など異説も多い。
- 室町時代(1338年-1573年)に明(1368年-1644年)の山水画・破墨山水の影響を受け、「完成」をみたとされる。
[編集] 関連項目
[編集] 関連書籍
- 『枯山水』重森三玲 河原書店 ISBN 4761101598