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根羽村(ねばむら)は、長野県西南端に位置し岐阜県・愛知県に隣接する村。
[編集] 地理
[編集] 隣接する自治体
[編集] 歴史
- 古代・中世の根羽・月瀬村両村は三河の国に属していた。
- 平安時代(794年~1185年)後半、高橋新荘により現在の愛知県東加茂郡全域と豊田市・西加茂郡・北設楽郡及び長野県の旧根羽村・月瀬両村を含む広大な区域が成立した。
- 鎌倉時代(1185年~1333年)は加茂郡名倉郷に属し、鎌倉御家人の荘官足助氏の支配下に入ったと伝えられてる。
- 南北朝時代(1331年~1394年)には加茂郡足助庄に属したとされている。
- 天文10年(1541年)には旧根羽村・月瀬村に及び、更に享禄年間(1582年~)には阿南町新野の関氏の勢力が三河に及んでいたとされている。、
- 天文13年(1544年)8月13日、下條氏によって関氏は滅ぼされ、下條氏の支配下に入った。
- 弘治2年(1582年)新野峠が武田軍によって改修され、下條信氏が武節谷合戦で功を上げた。
- 元亀2年(1571年)4月、武田信玄南下作戦の一環として足助松山城が攻略され、根羽・月瀬両村はこの時以降武田領となり、三河国から信濃国に編入となった。信玄は三河攻めの際、三河の野田城攻撃中に肺肝を患い、根羽村で臨終を迎えたと伝えられている。
- 天正10年(1582年)武田氏滅亡により、織田知行所に変わり、同年、織田信長自刃により徳川氏の天領となった。以降、宮崎信州代官・飯島代官所支配などを経る。
- 慶応4年(1868年)尾州取締所預かりとなり、同年8月の廃藩置県により伊那県に編入となった。
- 明治4年(1871年)筑摩県、同9月に長野県となり、今日に至っている。
[編集] 地域
[編集] 教育
- 村内に高校はなく、愛知県立田口高校稲武校舎、阿智高校への自宅通学か、もしくは飯田市等への下宿となる。2006年以降は稲武校舎が生徒募集をしなくなるため、通学先の確保が課題になる。
[編集] 交通
[編集] 道路
- 一般国道
- 国道153号
- 都道府県道
- 主要地方道
- 長野県道・愛知県道10号設楽根羽線
- 長野県道46号阿南根羽線
- 一般県道
- 101号月瀬上矢作線
[編集] バス
- 西部コミュニティバス(信南交通バスを転換) 阿智高校前~根羽
- 豊田市稲武バス 稲武~根羽 (休日運休)
[編集] 名所・旧跡・観光スポット
[編集] 関連項目