RB26DETT
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RB26DETTは日産自動車が開発・製造していた二基のターボチャージャー(ツインターボ)付きの直列6気筒形式のガソリンエンジンである。総排気量2568cc。シリンダーブロックは鋳鉄製。乾燥重量は255㎏(R32型時)。
「RB26DETT」というのは、レスポンス(Response) バランス(Balance) 2600cc DOHC エレクトロニック(Electronic) ツイン(Twin) ターボ(Turbo)の英字の頭文字をとった言葉である。
市販車に搭載されるエンジンとしては珍しい多連スロットルを搭載している。
トヨタ自動車の2JZ-GTEエンジンと並び、国産最強エンジンとの呼び名が高い。
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[編集] 開発経緯
RB26DETTは、開発当時開催されていた全日本ツーリングカー選手権(グループA)での勝利を目指し、スカイラインGT-Rのために開発されたエンジンで、レースを戦う上で最も有利な排気量を求めた結果、2600ccという排気量となった。ライバルの今後の進化の度合いを詳細に分析し、最高出力を600馬力と定めて開発を進めていった。特にターゲットされたのはフォードシエラである。
[編集] 中途半端な排気量の理由
自動車税が3000ccと同じになってしまう、2600cc(厳密には2568cc)という中途半端な排気量となった理由は前述のレースと深い関係がある。
BNR32型スカイラインGT-Rが参戦を予定していたグループAレギュレーションによるツーリングカー選手権では、排気量ごとにクラス分けされ、そのクラスごとに最低重量とタイヤの最大幅が決まっていた。また、ターボチャージャーを装着しているエンジンの場合、総排気量に1.7を掛けた値を参戦車両の排気量として扱っていた。
当初の予定では、スカイラインGT-RにはRB24をショートストローク化した排気量2350ccのターボエンジンを搭載する予定で、2350ccのターボエンジンはグループAの排気量換算で4000ccクラスに該当していた。しかし、当初GT-Rの駆動形式はFRであったのだが、その後アテーサE-TSシステムを搭載して4WDへと駆動形式を変更したために、100kgほどの重量増加となった。そのため軽量化しても4000ccクラスの最低重量(1180kg)をかなり上回ってしまう上、予定していた600馬力もの出力にこのクラスのタイヤ幅(10インチ)では対応できないと判断した。そのため一つ上のクラスの排気量枠である4500ccクラス(最低重量1260kg・タイヤ幅11インチ)を選択して排気量が2600ccとなった。
ちなみに4500ccクラスターボ車のリミットは2647ccとなっていて、2600ccである本エンジンは若干の余裕があるのだが、生産ラインの関係上排気量を上げるには至らなかった。
[編集] ニュルとのファーストコンタクト
RB26DETTは開発が進んでいき、GT-R発売前にドイツにある世界一過酷なコースとも言われるニュルブルクリンクへシルビアに偽装したテスト車両を持ち込むこととなる。開発グループは自信を持って持ち込んだが、当初は油温・水温ともに完全にオーバーヒート状態で最終的にタービンブローを喫することとなる。その後改良を重ね、なんとか走りきるまでになったが、その車両を筑波サーキットに持ち込んだところかなり強いアンダーステアに悩まされたそうだ。とくにこの原因としてはアテーサET-Sによるものと、フロントヘビーな重量が起因していると開発側は見ていたそうだ。
[編集] サーキットへ
1990年3月17日、1989年まで参戦していたスカイラインGTS-R(R31型)に替わり、RB26DETTを搭載した二台のスカイラインGT-R(R32型)が全日本ツーリングカー選手権(All Japan Touring Car Championship・JTC)(グループA、Gr.A)第一戦・西日本(現MINE)サーキットに登場した。この日の予選ではカルソニックスカイラインとリーボックスカイラインがそれまでグループA最強を誇っていたフォードシエラに大差をつけ、フロントロウを独占し、ポールポジションをカルソニックスカイラインに乗り込む星野一義/鈴木利男組が獲得。
翌3月18日の決勝ではスタートと同時に二台のGT-Rが他のディビジョン1(2501cc以上のマシン)のマシンを別クラスのマシンであるかのように突き放し、レースを進めていった。しかし、そんな中でも不安がなかったわけではなかった。まず不安材料の一つ目はRB26DETTから搾り出される600馬力もの馬力によってミッションにかなりの負荷がかかり、ミッショントラブルの発生の危険性があったこと(単なるミッションブローだけでなく、3速から抜けなくなるトラブルもテストでは発生していた)。そしてブレーキを冷やせるダクトの大きさが決まっている事などによる、ブレーキのフェード現象の発生の可能性であった。そのため、決して余裕のある戦いではなかったのだった。
しかし、そんな状況にもかかわらず、カルソニックスカイラインがポールトゥーウィンを果たし、二位には不安視されていたミッショントラブルを抱えながらも長谷見昌弘/A・オロフソン組のリーボックスカイラインが入り、三位以下に大差をつけ、スカイラインGT-Rのレース復帰の初陣をすばらしい結果で飾ったのだった。
その後、破竹の勢いで90年シーズンを戦い、カルソニックスカイラインがシリーズチャンピオンを獲得し、一戦だけリタイアしてしまったリーボックスカイラインがシリーズ二位を獲得したのだった。もはや、GT-RのライバルはGT-Rという状態であった。そのためにディビジョン1は2501cc以上のマシンの争いといいながら、GT-Rのワンメイククラスとなっていた。その後93年までツーリングカー選手権を戦い、全29戦29勝という金字塔を打ち立てた。
国内選手権に関しては、グループAレギュレーションのレースだけでなく、グループNというAに比べて改造範囲がかなり狭いレースにも参戦した。ここでもほぼ敵無しの状態であったが、筑波12時間ではブレーキトラブルによってGT-Rが優勝争いから脱落しシビックが優勝するということもあった。その後、日産はブレンボ製ブレーキキャリパーを装着したV-spec N1を発売し、ブレーキ関連のトラブルはほぼ起きなくなった。
また、RB26DETTを搭載したR32スカイラインGT-Rは海外レースなどにも進出し、スパフランコルジャン24時間やニュルブルクリンク24時間、マカオギアレース、デイトナ24時間、バサースト1000kmなどで活躍した。
[編集] JTC後
JTCは1993年限りで終了し、GT-Rは1994年から始まった全日本GT選手権(JGTC)に参戦するようになる。当初はGr.A仕様をワイドフェンダー化し、エアリストリクターを装着して450馬力化したRB26DETTで参戦していた。その後は、レギュレーション上の理由により、FRが有利と判断してFRに改造して参戦するようになる。
1995年にはル・マン24時間レースにNISMO GT-R LM(R33型改)としてが二台出場したが、グループA仕様のエンジンをベースにした車両はリタイヤし、グループN仕様のエンジンをベースにした車両は見事完走を果たした。グループAベース車は650馬力、グループNベース車は450馬力程度の出力を発揮していた。しかし、直列6気筒であることによる重量バランスの悪さやマシンの根本的な空力性能が劣っていたこともあり、当時GT1クラスで異次元のスピードを発揮していたマクラーレンF1にはまったく歯が立たなかった。当時のドライバー星野一義によればクラスがまったく違うといわらしめたほどであった。
96年ごろには新開発のプロトタイプマシン(R390)のエンジンとして検討されるが、剛結することやエンジン長が長いことからなどから結局は搭載されるに至らなかった。
その後もGT仕様のGT-Rは前後の重量バランスが悪いながらも、さまざまな改良を受けて徹底的なエンジンの低重心化を進め、初期のころとは似ても似つかないエンジンの姿と搭載位置になっていた。
しかし、2000年以降はJGTCにおいて成績の不振が続き、最終的にはRB26のアルミブロック化なども検討されたのだが、対コスト効果等を考慮しこの案をあきらめ、結局ベース車の生産終了に伴い、JGTCには2002年のシーズン途中からVQ30DETTエンジンに換装したスカイラインGT-Rで参戦することになった。
[編集] BCNR33、BNR34へ
Gr.Aが終了し、JGTCに移ってからも、ストリートカーであるGT-RにはRB26DETTが搭載され続けた。
重量などの規制が無いストリートにおいて2600ccである意味はまったく無く、専用ラインを設けなければいけないRB26を捨て、海外輸出用のRB30EにRB26のヘッドを積み、DOHCのままで排気量を上げる事も考えられていた(なお、OS技研のRB30キットはRB26のブロックとヘッドの間にスペーサーを追加してストロークを稼いだものである)。
しかし、吹け上がりの鋭さなどの「ドライビングプレジャー」を追求した結果、最後までRB26が搭載されることになった。
[編集] チューニング界最強の称号
レースに勝つと言う目的だけで製作されたエンジンなので、エンジン自体に物凄い強度がある。450馬力程度ならば、エンジンフルノーマルでも補機類の強化だけでノントラブルで運用する事が出来る。
市販パーツとワンオフパーツの組み合わせにより、馬力競争が始まっていき、トップシークレットのGT3037Sツインターボ仕様が1000馬力オーバー、そしてヴェイルサイドのGT3540ツインターボ仕様で1380馬力を搾り出すに至った。しかもこの1300馬力オーバーというパワーでも、先にタービンが悲鳴を上げたほどの頑丈さを誇っている。
このような伝説もあり、走り屋の中でも特に人気がある。
同じRB系のエンジンを積んでいるローレルやセフィーロ(A31型)などといったFRの日産車に移植されることが多く、果てはハコスカなどの旧車や他メーカーの車に移植されたケースも存在しており(前述のトップシークレット1000馬力仕様はスープラに移植されている)、そのポテンシャルの高さが買われていることが分かる。
また、RB26DETTを移植するとはいかなくても、チューニングによって余るパーツをRB20DET/RB25DETへ移植するチューニングも一般的になっている。
- カム…シム形式をアウターシムからインナーシムへ変更するだけで、ハイカムとして扱える。
- スロットル…サージタンク・パイピングを交換する事により、多連スロットル化が可能になる。
- ピストン・コンロッド・オイルポンプ・ウォーターポンプ(N1仕様)…ほぼ無加工で流用可能。
- タービン…スターレットなどの1000~1300ccクラスの車両のライトチューンとして流用ケースがあり。
など、パーツの殆どがゴミにならないエンジンとして有名である。
強烈な弱点として認められているのは、レース用エンジンとして開発された経緯より、低速トルクが細いという点である。チューンしていかなくても、ライバルエンジンとなる2JZ-GTEより使いにくい面がある。(因みに2JZは低中回転エンジンであるため、回転数が1000rpmほど下がっている)
そのためチューニングパーツメーカーはこぞってこの弱点を解決しようと努力していき、HKSのV-カムシステムや2800cc仕様となるハイデッキキット、前出のOS技研・RB30キット(さらにオーバーサイズピストンを組み込み、最大3100cc仕様まで狙える)などの対策品が誕生する事になる。
今までもTRUSTやHKSより2700cc仕様キットは販売されていたのだが、こちらは低速域への対策というよりは、高回転仕様のエンジンで、ビックタービンを回すための仕様(トルク重視ではなくレスポンス重視)となっていたため、毛色は違う商品になっている。
[編集] 概要
- 1989年にスカイラインGT-R(R32型)専用エンジンとして登場し、280ps、36.0kg/mを発揮し、一代にして日産一のエンジンと言われる程の名機となった。搭載されたタービンブレードには二種類あり、セラミックとメタルがある。セラミックは市販車向け、メタルはグループA参戦マシン用ホモロゲ用である。
- RB26DETTをNA化し、それをGTS-4のシャーシーに搭載した車両をオーテックジャパンより発売。
- 1995年、スカイラインGT-R(R33型)登場。280psは同じで37.0kg/mを発揮。
- NISMOが発売したコンプリートカー、NISMO 400Rが99台限定で発売。2800ccにスープアップされ、400馬力を発生する「RB-X」が搭載されている。販売された台数は、44台と予定の半数以下であった。
- 1997年には、GT-R以外門外不出と言われていた同機をステージア(WC34型)のオーテック仕様である「260RS」にGT-R以外で唯一初めて搭載・販売された。また、98年仕様も存在する。
- 1999年、RB26DETT搭載モデルとしては最後のスカイラインGT-R(R34型)。R390で培った技術で開発されたパーツなどにより280ps、40.0kg/mを発揮。ヘッドがそれまでの艶消し黒から赤色になったほか、「SKYLINE GT-R」のロゴプレートを装備。BNR34生産終了記念の最終限定車「Nur」には金色ヘッド装備。これのV-Spec N1に装備されたメタルタービンの耐久性は非常に高く、ブーストアップだけで500psを超える性能を誇っている。
- 2005年、NISMOの手により20台限定でZ-tune発売。2800cc(正確には2771cc)化されたRB26DETT Z2改は368kw(500ps)、540N・m(55kg/m)を発揮。このスペシャルメイドのRB26DETTはZ-tune限定仕様のため、エンジン単体での発売予定は無く、世界に21台しか存在しない(市販台数より1台多いのはZ-tune Protoの存在があるため)。
- 1990年、HKSより限定50台のZERO-Rが販売。トミタ夢工場より、Tomykaira-RがR32~R34迄販売された。