高雄 (重巡洋艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1927年4月28日 |
進水: | 1930年5月12日 |
就役: | 1932年5月31日 |
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その後: | |
性能諸元 | |
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兵装: | 50口径3年式II号20サンチ(20.3サンチ)連装砲塔(E型)×5基10門 89式12.7サンチ高角砲8門 96式25ミリ機銃8門,13ミリ4門 92式61サンチ4連装魚雷4基 |
航空機: | 水上偵察機3機 |
高雄(たかお)は、旧日本海軍の重巡洋艦で、高雄型重巡洋艦の1番艦。横須賀海軍工廠にて起工。艦名は京都府の高雄山に因んで命名された。
[編集] 艦歴
高雄は1930年5月12日に進水。進水式には香淳皇后が臨席し、式典の模様はラジオで実況された。就役後は第2艦隊第4戦隊に所属する。1933年8月26日には横浜沖で行われた特別大演習での観艦式に、昭和天皇が乗艦する戦艦比叡の供奉艦として参列した。1937年には上海上陸作戦等を支援し、その後旅順から華北方面で活動する。
1938年には近代化改修に入り、翌1939年に工事が完了している。1941年の太平洋戦争開戦時の艦長は朝倉豊次大佐。近藤信竹中将麾下の第4戦隊に所属し、フィリピン、ルソン島のリンガエン湾上陸作戦の支援にあたる。
1942年の初頭はジャワ海で作戦に従事し、3月1日高雄の水偵がオランダ商船Engganoを爆撃。翌2日夜、高雄と愛宕は米駆逐艦ピルズバリー(USS Pillsbury, DD-227)を撃沈。3月4日高雄、愛宕、摩耶と第4駆逐隊の駆逐艦2隻、嵐と野分はチラチャップ近くで船団を攻撃、タンカーFrancol、depot ship Anking、掃海艇1隻を沈めオランダの貨物船2隻を捕獲し護衛のオーストラリアのスループYarraも撃沈した。
5月末から6月にかけてアリューシャン作戦に参加。8月にはカ号作戦に参加、8月24日第2次ソロモン海戦、10月26日南太平洋海戦参加。11月15日第3次ソロモン海戦に参加。
1943年2月、ガダルカナル島からの撤退を支援。その後艦長は猪口敏平大佐にかわり、トラックを拠点に中部太平洋で活動した。1943年11月5日、ラバウルに進出したがそこで米空母機による攻撃を受ける。高雄は命中弾2発を受け戦死者23名を出した。高雄は横須賀に戻り修理を行った。
1944年10月22日、栗田健男中将指揮の第一遊撃部隊に属しレイテ湾に向けてブルネイを出撃した。10月23日、パラワン島沖を航行中6時34分、高雄に米潜水艦ダーター(USS Darter, SS-227)の放った魚雷2本が命中した。高雄は大破し、駆逐艦長波、朝霜、水雷艇鵯に護衛されブルネイに後退した。(参考レイテ沖海戦)
1945年7月31日、シンガポールのセレター港でイアン・エドワード・フラサー少尉率いるイギリス小型潜水艇XE3と潜水隊員ジェームズ・ジョセフ・マグニスの攻撃を受け大破し着底、終戦時は行動不能状態であった。戦後はイギリスに引渡され、10月29日にイギリス海軍によってマラッカ海峡に牽引され、巡洋艦ニューファンドランド(HMS Newfoundland, C59)の砲撃により海没処分となった。
[編集] 同型艦
[編集] 関連項目
大日本帝国海軍の重巡洋艦 |
太平洋戦争 |
古鷹型:加古 | 古鷹 青葉型:青葉 | 衣笠 |
妙高型:妙高 | 那智 | 足柄 | 羽黒 |
高雄型:高雄 | 愛宕 | 摩耶 | 鳥海 |
最上型:最上 | 三隈 | 鈴谷 | 熊野 |
利根型:利根 | 筑摩 鈴谷改型:伊吹 | 301号艦 |
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