加古 (重巡洋艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1922年11月17日 |
進水: | 1925年4月10日 |
就役: | 1926年7月20日 |
その後: | 1942年8月10日戦没 |
除籍: | 1942年9月15日 |
性能諸元 | |
排水量: | 9,433 トン - 10,341 トン |
全長: | 185.17 m |
全幅: | 15.77 m - 16.93 m |
吃水: | 5.56 m - 5.61 m |
機関: | ギアードタービン4軸、12缶、102,000 hp |
最大速: | 34.5 ノット |
航続距離: | |
兵員: | 625名 |
兵装: | |
航空機: | 水上機1-2機 |
艦名は兵庫県を流れる加古川に因んで命名された。当初は川内型軽巡洋艦の一隻として建造される予定であったが中止となり、その艦名が流用されたため、当時の日本海軍では重巡洋艦には山の名を付けるのが慣例であったが例外的に川の名が付けられた。
大正11年度予算での建造が決定した加古は、1924年2月4日に川崎重工業神戸造船所にて起工される。1926年10月24日に進水、1927年7月20日に就役。竣工直前にクレーン事故で船体を損傷したため古鷹よりも就役が遅れ同級の2番艦となる。
1936年7月、近代化改修に入り1937年12月に完了。その後第1戦隊、第6戦隊に所属。太平洋戦争開戦後はグアム島攻略、ラバウル攻略に参加する。
1942年8月8日、第一次ソロモン海戦に参加し、米巡洋艦アストリア(USS Astoria, CA-34)およびヴィンセンス(USS Vincennes, CA-44)へ打撃を与え、クインシー(USS Quincy, CA-39)および豪巡洋艦キャンベラ(HMAS Canberra)の撃沈に貢献した。この戦闘で加古は損害を被ることはなかったが、帰還中の8月10日に米潜水艦S-44に捕捉される。07:06にS-44は640mの距離から4本の魚雷を発射、そのうち3本が命中した。1発目は一番砲塔右舷に命中、2発目及び3発目は弾薬庫及び缶室の近くに命中し、35分後に転覆、沈没した。乗員34名が死亡したが、艦長の高橋雄次大佐を始めとする残りの乗員は救助された。同年9月15日に除籍。
[編集] 同型艦
[編集] 関連書籍
- 『鉄底海峡』- 光人社NF文庫:加古艦長高橋雄次大佐による回想記。
[編集] 関連項目
大日本帝国海軍の重巡洋艦 |
太平洋戦争 |
古鷹型:加古 | 古鷹 青葉型:青葉 | 衣笠 |
妙高型:妙高 | 那智 | 足柄 | 羽黒 |
高雄型:高雄 | 愛宕 | 摩耶 | 鳥海 |
最上型:最上 | 三隈 | 鈴谷 | 熊野 |
利根型:利根 | 筑摩 鈴谷改型:伊吹 | 301号艦 |
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