酒井忠晴
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酒井 忠晴(さかい ただはる、1970年6月21日 - )は、埼玉県三郷市出身。平成期(2000年代後半~)の東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するプロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。背番号は0番。
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[編集] 来歴・人物
修徳高等学校では2年生の時までは内野手兼控え投手だったが、3年生の時からエース投手、1番打者、主将を務めた。1988年のドラフト会議で中日から5位で指名され翌年入団(同い年中日同期入団に今中慎二)。内野手に復帰し、すぐに内野手の控えとして1軍に定着した。1996年にロッテに移籍。1999年には三塁手のレギュラー。2000年には二塁手のレギュラーとなり、チームを支えた。
この時、ファンからは“恐怖の9番打者”と呼ばれた。2003年に中日に復帰したが、タイプが似ている同じ内野手の川相昌弘が加入し、2004年には一軍未出場となり自由契約となった。合同トライアウトで新球団の楽天の目にとまり2005年から楽天でプレー。見事、三塁手のポジションを奪い取り、自他共に認める自己最高のシーズンを送った。2006年、主砲ホセ・フェルナンデスの加入と若手主体へのチーム方針の転換により出番が激減。目立った衰えの無いまま戦力外通告を球団から受け、現役から退く意向を見せた。
走力や肩の強さ等に特筆すべきものは無いが、グラブさばきは天下一品。非常に柔らかい動きが特徴で逆シングルスロー等、場内を沸かせるプレーを随所に見せ内野守備の名手として知られ、フリオ・フランコなどから(守備だけなら)メジャーリーグでも通用する選手と言われている。二塁手、遊撃手、三塁手のどこでもこなすユーティリティープレイヤーである一方、小坂誠との絶品の二遊間はロッテファンの自慢だった。
上記の通り、打撃というよりは守備の人という感じであり、毎年ホームラン数はゼロもしくは一桁の前半であるが、2005年はシーズン通算ホームラン4本のうち、2本が交流戦の巨人戦(フルスタと東京ドームで記録。内、東京ドームの方は上原浩治より)で記録しており、チームでも貴重なセ・リーグの(かつて中日に在籍)経験を発揮した。またロッテ時代には流し打ちでのシーズン最終戦サヨナラ本塁打も記録している。
[編集] 背番号
[編集] 通算成績
- 1034試合 2087打数 517安打 12本塁打 181打点 13盗塁 打率.248