那智勝浦町
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那智勝浦町(なちかつうらちょう)は、和歌山県東牟婁郡の町である。ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野エリアにあたっており紀伊半島でも有数の観光地として多くの観光客が訪れる。
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[編集] 地理
那智勝浦町の東側は海に接しており、その海岸線は典型的なリアス式海岸によって構成されている。そのため入りくみが激しく、また気候が黒潮の影響で温暖なので、天然の良港が町内にはいくつか存在する。特に勝浦の港は狼煙半島に海が囲まれた入江の中にあり、さらにその入口に中ノ島という島があるために、そのさらに奥にある港には海からの荒波がまったく来ない。こうした条件のために、南紀では随一といわれるほどのよい港となっている。この勝浦の港の一帯には温泉も湧出している。串本町との境には八郎山(標高250m)が、新宮市との境には那智山 (山)の一角をなす烏帽子山(標高909m)、光ヶ峯(標高686m)などがある。那智勝浦町の西側一帯の山岳地帯、特に熊野信仰の聖地のひとつである那智山の一帯は観光地として名高く、多くの観光客が訪れる。
[編集] 歴史
- 1889年(明治20年) - 市町村制施行に従い勝浦村、那智村、宇久井村、色川村、上太田村、下太田村、下里村が誕生する。これらの村々が現在の那智勝浦町を構成している。
- 1908年(明治29年)5月1日 - 勝浦村が単独で町制を施行し勝浦町となる。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 下里村が単独で町制を施行し下里町となる。
- 1934年(昭和9年)8月1日 - 那智村が単独で町制を施行し那智町となる。
- 1943年(昭和18年)2月11日 - 上太田村と下太田村が合併し大田村となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 勝浦町、那智町、宇久井村、色川村の4町村が合併し那智勝浦町となる。
- 1960年(昭和35年)1月11日 - 那智勝浦町、下里町、大田村の3町村が合併し新しい那智勝浦町となる。これが現在の那智勝浦町である。
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 姉妹都市
[編集] 友好都市
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 熊野信仰にまつわる旧跡 —— 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
- 紀の松島
- 南紀勝浦温泉
- 湯川温泉
- ゆかし潟
- 勝浦漁港
- 那智丹敷浦 - 那智海水浴場。別名を「ブルービーチ那智」。
- 那智高原公園
- 下里古墳
[編集] 交通
町内をJR西日本の紀勢本線(愛称:きのくに線)が走っており、那智勝浦の市街(那智の市街と勝浦の市街)には、那智駅・紀伊天満駅・紀伊勝浦駅の3駅が続けざまに設置されている。そのうち那智駅は那智への入口であり、また紀伊勝浦駅は那智勝浦町の中心部にとても近く、那智勝浦町の代表駅になっているほか、付近一帯における中心的な鉄道駅となっている。湯川駅は湯川温泉への入口駅である。町内にある駅のうち、特急列車が停車するのは紀伊勝浦駅のみで、他は普通列車のみの停車であるが、紀伊勝浦駅へは南紀勝浦温泉が大阪だけでなく名古屋などの奥座敷的要素もあるため、天王寺方面からの通常の特急列車「くろしお」に加えて、名古屋方面から直通の東海旅客鉄道(JR東海)による特急「ワイドビュー南紀」の乗り入れもある。普通列車の運行頻度も紀伊勝浦駅を境に少しく変わり、新宮方面の駅には(宇久井駅、那智駅、紀伊天満駅)1時間から2時間に1本ほど、串本方面の駅(湯川駅、下里駅、紀伊浦神駅)にはほぼ2時間に1本の割合で運行されている。紀伊勝浦駅から和歌山市の和歌山駅へは特急列車でほぼ3時間、普通列車で接続時間を考慮しないでおよそ5時間ほどの時間を要する。新宮市の新宮駅へは特急列車で約15分、普通列車でおよそ20分を要する。太地町の太地駅へは普通列車で10分未満、串本町の串本駅へは特急列車で約40分ほど、普通列車でおよそ45分を要する。
[編集] 那智勝浦町出身の著名人
- 中村覚之助 - 1878年-1906年 日本に初めて近代サッカーを紹介
- 米良道博 - 1903年-1983年 画家
- 谷口吉彦 - 1891年-1956年 経済学者
- 佐藤良一郎 - 1891年-1992年 統計学者
- 中川智子 - 元社民党衆議院議員
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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