道上洋三
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道上 洋三(どうじょう ようぞう、1943年3月10日 - )は、朝日放送のアナウンサー。同社取締役(ラジオ担当)兼国際室長でもある。山口県熊毛郡平生町出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
山口県立熊毛南高校を経て、日本大学法学部卒業後1965年に朝日放送(ABC)に入社。同期に因田宏紀と辻豊人らがいる。日大時代は、陸上のハードルで、東京オリンピックを目指していた(本人曰く)が、怪我のために断念した。
入社翌年(1966年)の4月1日から、「はがきで当てよう1万円」をキャッチフレーズにした「ABCヤングリクエスト」(1986年10月1日で終了)の初代パーソナリティを勤めた。かつて『ABCヤングリクエスト』を共に担当した、ナレーターの熊谷暸子(本名:道上暸子)は妻。
ラジオの『おはようパーソナリティ道上洋三です』(月曜~金曜6:30~8:30)は1977年に、中村鋭一からバトンタッチし、スタートしてから28年を数える長寿番組である。テレビでは『歴史街道』(月~金18:54~19:00)のナレーションを担当。ホノルルマラソンを完走や、水泳長距離完泳などにチャレンジ。2006年は、道上洋三30番勝負として、和太鼓などにチャレンジしている。
熱心な阪神タイガースファンとして知られる。タイガースを愛するあまり、番組でタイガースの話を始めると止まらなくなる。
- 道上の長男はそれを反面教師にしたのか、カープファンらしい。長男が幼い頃、父(道上)に連れられて阪神甲子園球場で阪神戦を観戦中に悲劇は起こった。試合中、父の膝の上に乗せられていた長男は、阪神の活躍に我を忘れ興奮した父が立ち上がった瞬間に弾き飛ばされ、軽い怪我をしてしまった。その事件以来「阪神タイガースが父をこんなにした、タイガースが憎い…」と思うようになり、アンチ阪神へと進んでしまった。…これは、道上洋三本人が大阪ローカル番組ナンバ壱番館で話したことによる。
- また、福岡KBCラジオの中村もときの通勤ラジオにも2005年の甲子園でのVSホークス交流戦第1戦・同じく2005年の日本シリーズ第1戦の当日に出演。ここでもタイガースの話題で暴走し、メインパーソナリティの中村基樹が「うるさいオッサンだな」と煙たがるのがお決まりであった。
彼が歌う阪神タイガースの歌(いわゆる六甲おろし)にはメロディーに誤り(「輝く 我が名ぞ 阪神タイガース」の太字部分)があり、彼のせいで誤ったメロディーが広まったとキダ・タローが語っている。
ABCのアナウンサーで取締役兼任は、開局以来、初の快挙である。(KBS京都アナウンサーの山崎弘士は、常務取締役を兼任)また、ANN・テレビ朝日系列の放送局でアナウンサー経験及び経験後に取締役に就任の快挙は、テレビ朝日の堀越むつ子(元アナウンサー)とABCの道上本人である。
右目奥に見つかった良性の髄膜腫が視覚・嗅覚の神経を塞いで生活に支障をきたしてきたので、髄膜腫の摘出手術を行うこととなり、2006年7月17日から『おはようパーソナリティ道上洋三です』を約3ヶ月間(当初の予定)休む事を、7月7日の放送中に明らかにした。彼が夏休みなど以外で長期間同番組を休むのは、同番組開始以来初である。手術は無事成功し、また順調に回復したため、当初の予定より早い約2ヶ月後の同年9月25日の放送から『おはようパーソナリティ道上洋三です』に復帰した。
[編集] これまでの担当番組
[編集] ラジオ
- 『ABCヤングリクエスト』
- 『空からコンニチワ』
- 『明日は日曜道上です』
- 『歌謡曲ぶっつけ本番』
- 『おはようパーソナリティ道上洋三です』
[編集] テレビ
[編集] 備考
- TBSラジオの土曜ワイドに3回出演したことがある。これは以前から永六輔と親交があり、ラジオではTBSと朝日放送は同じJRN系列にあるため実現できたものと思われる。ちなみに前述のとおり腸捻転でテレビのキー局がTBSだったころはヤング720という番組に出演していたが、現在の朝日放送のキー局であるテレビ朝日には朝日放送制作も含めてなぜか出演が極めて少ない(「ニュースステーション」が阪神の低迷について特集したときにABCのスタジオから阪神ファンの代表として生出演したことはある)。ただし、テレビ朝日でも以前『歴史街道~ロマンへの扉』を放送していたことがあるので、声だけは流れていたことになる。
- 阪神ファンな一方で熱烈なサッカーアンチでもあり、サッカー日本代表の高原直泰がエコノミー症候群になった際に、「そのまま死ねば面白かったのに」と発言したために後に謝罪したり、最近では大黒将志に対する中傷を番組中にしてラジオを聴いていた両親から直々に抗議されるなど、あまりに行き過ぎた言動が批判された事も少なくない。
- 入社してすぐに先輩の今井音也(後の桂音也)が作った落語研究会に強引に入会させられた。落語研究会にもう一人入会すれば会社の補助金対象の会になるため、新入社員の道上が目を付けられたらしい。新入社員なので標準語の講義を受ける一方、落語研究会の一員として桂枝雀に上方落語の稽古もつけてもらっていた。そのため、しゃべり方が混乱してしまい、標準語の講師にも桂枝雀にも「訛がとれていない」と指摘されていた。落語研究会の発表会では「煮売り屋」を演じた。
[編集] 外部リンク
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