落語立川流
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落語立川流(らくご たてかわりゅう)は、東京における落語家の団体のひとつである。宗教の立川流とは無関係である。
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[編集] 特徴
- 立川談志の一門のみによって構成されるので、談志一門として認識される。
- 直弟子なら家元へ、孫弟子ならその師匠への上納金制度がある。
- 末廣亭、鈴本演芸場などの落語メインの定席寄席への、団体としての出演がない。
[編集] 沿革
1978年、落語協会において分裂騒動が勃発した。協会の真打昇進の基準をめぐり、協会会長の5代目柳家小さんと前会長の6代目三遊亭圓生が対立、古今亭志ん朝、立川談志ら幹部も同調し脱会の動きを見せた(談志は公式発表直前に脱落)。圓生主導による新団体「落語三遊協会」設立には圓生を始め弟子の圓楽、圓窓や、橘家圓蔵と弟子の月の家圓鏡(現・橘家圓蔵)、志ん朝などが参加した。しかしその直後、上野鈴本・新宿末廣・浅草・池袋の各定席の席亭が、新協会の出演を認めないことを表明したため、末廣亭席亭・北村銀太郎の仲介により大半が協会に復帰、結局圓生一門の大半のみが協会を離脱し、三遊協会結成に参加することになった。(圓生の死後、三遊協会は自然消滅。大半の弟子は落語協会に復帰したが、圓楽とその弟子たちは復帰せず、圓楽一門のみで大日本落語すみれ会を結成。のちに圓楽党と改称)
落語協会では事件後、真打昇進に関して師匠の推薦にかわり「真打昇進試験」制度を導入するが、1983年の昇進試験では、当時理事であった立川談志が不在の中、談志の弟子2人(立川談四樓と立川小談志=現・喜久亭壽楽)が不合格となる一方、他の一門で力量が明らかに劣ると思われた二つ目が合格した。談志はこの試験の結果と考査基準に異を唱え、大半の弟子とともに脱会、立川流落語会を創設した。談志は家元制度を確立し、初代家元となる。
圓生一門脱会事件の結果、東京の常設寄席席亭は番組編成上、落語協会・落語芸術協会以外の出演は困難であるとした。そのため立川流は、一門として寄席に出演することはなく、かわってホールでの落語会を中心に活動している。「日本すみずみ出前寄席」という企画では99,800円で真打1人、二つ目2人、前座1人の計4人を全国各地に派遣した。また、「余一会」などの若手中心の寄席番組には立川流一門からも二つ目くらいまでの若手が参加する場合もある。
[編集] 主な立川流の落語会
- 立川流日暮里寄席
- 荒川区日暮里で毎月開催されている一門の定期興行。会場は「日暮里サニーホール」。前座から真打ちまで一門の噺家が複数出演する。一般2000円
- 立川流広小路寄席
- 台東区上野で毎月開催されている一門の定期興行。会場は「お江戸上野広小路亭」。前座から真打ちまで一門の噺家が複数出演する。一般2000円
- 荒川区防犯寄席
- 東京都荒川区が防犯イベントとして年数回開催する無料の寄席。立川流専門ではないが、立川流一門の出演が圧倒的に多く、真打ちクラスも多く出演している。
[編集] 組織構成
立川流にはA・B・Cの3コースがある。Aコースは落語家、Bコースはビートたけし他の芸能人を中心とする有名人、Cコースは一般人で構成され、それぞれ昇進基準が異なる。
[編集] 昇進基準
Aコースの職業落語家には噺のほか、舞踊などの修得が必修とされ、家元の面前での試験により昇進の可否が決定される。B・Cコースの基準はそれに比して緩やかである。Bコース初の真打は、1988年11月昇進の立川藤四楼こと高田文夫であった。
Aコースの弟子は、
の修得が求められる。家元である談志は一方で「持ちネタが2席でも、客を爆笑させることができればよい」としているが、その基準をクリアできる弟子はいないのが現状である。
2002年5月、「二つ目への昇進意欲が感じられない」として、一門の前座6名が破門を言い渡された。 2003年5月、復帰試験が行われ、立川談修のみが合格。不合格となった立川志加吾と立川談号は2003年8月に雷門小福門下に移籍し、それぞれ雷門獅篭、雷門幸福となった。立川キウイと立川談大は2004年1月、一門の新年会席上で再度復帰試験が行われたが、判断に窮した談志は真打ち達に判断を一任。厳しい意見が相次いだが、二つ目ではなくあくまでも前座としての復帰という条件を談志が提示、談志の意を汲んだ志の輔の音頭によって、ようやく一門復帰を許された。
[編集] Aコース
真打
二つ目
前座(師匠別)
立川談志門下
立川談四楼門下
- 立川康四楼(立川康四樓)(2005年8月破門)
快楽亭ブラック門下
- 快楽亭ブラ房(談幸門下へ、立川吉幸)、快楽亭ブラ談次(左談次門下へ、立川フラ談次)、快楽亭ブラ汁(志らく門下へ、立川らくB)、快楽亭ブラッC(談四楼門下へ、立川三四楼)、快楽亭小ブラ(文字助門下へ、桂文字ら)
快楽亭ブラックは2005年6月一杯で立川流を離脱した。門下自体は2005年7月現在一応立川流の内にある。
立川談幸門下
- 立川松幸
立川志の輔門下
立川志らく門下
- 立川こらく、立川らく八、立川らく次、立川志らべ、立川らく太
[編集] Bコース
- 立川毒まむ志(毒蝮三太夫)
- 立川錦之助(ビートたけし)
- 立川藤志楼(高田文夫、放送作家。真打)
- 立川八王子(景山民夫(故人)、放送作家。)
- 立川文志(佐藤敦之、江戸文字作家。色物真打)
- 立川談遊(山本晋也、映画監督)
- 立川右太衛門(上岡龍太郎、漫才師・タレント)
- 立川藪医志(松岡悟、元警視庁警察学校理事官)
- 立川談七(生原正久、元金丸信秘書)
- 立川禿談次(横山ノック、漫才師・元大阪府知事)
- ダンカン(タレント)※
- 立川鬼六(団鬼六、作家)
- 立川於春の方(内田春菊、漫画家)
- ミッキー亭カーチス(ミッキー・カーチス、ロカビリー歌手・俳優。真打)
- 立川侊志ん(奥山侊伸、放送作家)
- 立川雄之助(高井研一郎、漫画家)
- 立川不二身(赤塚不二夫、漫画家)
- 立川談デリー(マルカス、旅行会社経営)
- 立川流野末陳平(野末陳平、タレント、元参議院議員)
※ダンカンはAコース「立川談かん」からビートたけし門下へ移籍、改名後、1986年2月にBコースへ再入門、そのまま「ダンカン」を名乗る。
[編集] 上納金制度
- Aコースの弟子は、家元への上納金の納付が求められる(前座・見習は月1万円、二つ目は月2万円、真打は月4万円。但し真打で会費総納入額270万円に達した者は以後年会費4万円となり、月会費は免除される)。2000年8月、滞納者が多数いることが発覚した。談志は滞納者に破門を申し付けたが、滞納分の倍額支払いを条件に復帰を承認する。支払い不能であった立川談々・國志館・志っ平はそのまま破門となり、國志館は圓樂門下に移り三遊亭安樂、のち全樂を名乗り、志っ平は桂文治 (10代目)門下に移籍し前助、文治没後柳家蝠丸門下となって二つ目に昇進、柳家小蝠となった。
- 真打昇進時には看板料として30万円の上納が求められる。
[編集] 立川流に関する書籍
- 「談志が死んだ──立川流はだれが継ぐ──」(講談社、2003年) ISBN 4-06-212185-9
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
- 立川談志HP
- 立川流一門会HP
- 立川左談次HP
- 立川談四樓HP
- 立川ぜん馬HP
- 立川談之助HP
- 立川談幸HP
- 立川志の輔HP
- 立川文都HP
- 立川談春HP
- 立川志らく講談社内HP
- 立川笑志Blog
- 立川談慶HP
- 立川談笑HP
- 立川志ら乃HP
- 立川らく朝HP
- 立川フラ談次Blog