景山民夫
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景山 民夫(かげやま たみお、男性、1947年3月20日 - 1998年1月27日)は、作家、放送作家。 本名同じ。 放送作家としてのペンネームに大岡 鉄太郎(おおおか てつたろう)。
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[編集] 略歴
1947年、警察官僚の父のもとに東京都千代田区で生まれ、同区内にある名門・暁星小学校に入学後広島に転校、小学校時代の後半から中学途中まで広島で育つ。武蔵高校を経て慶應義塾大学文学部中退。武蔵野美術短期大学デザイン科中退。武蔵高校の同級生に高平哲郎がいる。大学時代にカレッジフォークグループ「モダン・フォーク・フェローズ」にベースとして参加。
1968年、放送作家となり『シャボン玉ホリデー』を手掛ける。1969年アメリカに渡り、一年半の間ニューヨークで生活する。ニューヨークでは、コーヒーショップでフォーク歌手として出演していた。
帰国後、再び放送作家として『タモリ倶楽部』『11PM』『クイズダービー』等数多くの番組の構成を手がける。同じく放送作家の高田文夫と『民夫君と文夫君』のコンビを結成、「立川八王子」として落語立川流に入門、三浦和義のパロディー、「フルハム三浦」として『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんプロレス」にプロレスラーとして出演するなど、自身も盛んにメディアに登場した。
その間、みずからの豊富な体験とエスプリの利いた虚構を織りまぜたエッセイ『普通の生活』を雑誌『ブルータス』に連載しエッセイストとして注目される。1987年 『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』で、第2回講談社エッセイ賞受賞。小説家としての処女作となる冒険小説『虎口からの脱出』で1987年 第8回吉川英治文学新人賞、第5回日本冒険小説協会最優秀新人賞受賞。1988年 『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞受賞。
その感性は車を所有する点でも、印税を受け取りに行った帰りに当時47万円のスズキ・アルトを買ったり、払い下げられた消防車を「目立つし、合理的だから」と乗り回すなど、独特な面があった。
若い頃より、ネス湖のネッシーをはじめ、超常現象や環境問題に深い関心を寄せる。後年には新興宗教「幸福の科学」の信者となり、1991年「講談社フライデー全国被害者の会」の会長として登場した際は、世間を仰天させた。但し、この事を批判する声も多く、また、マスコミ批判を繰り広げたため数々の連載が打ち切りになったと教団自らがコメントしている。
1998年1月26日、自宅書斎のボヤが原因と見られる一酸化炭素中毒で、27日午前1時半頃に死去。享年50。 出棺の際、妻は、「バカヤロー!寂しいじゃねーか!」と涙ながらに叫び、早すぎる死を悔やんでいた。また、長年審査員を務めた料理の鉄人には、彼を追悼するテロップが流された。
[編集] 作品リスト
- 『普通の生活』
- 『遠い海から来たCOO』(映画化されている)
- 『イルカの恋、カンガルーの友情』
- 『転がる石のように』
- 『虎口からの脱出』
- 『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』
- 『トラブル・バスター』(監督・井筒和幸、主演・鹿賀丈史で映画化)
- 『ハックルベリーフレンズ』
- 『だから僕は旅に出る』
- 『オンリー・イエスタディ』…「神山公夫」という少年の私立の名門校「大和中学・高校」での日々を描いた作品。自伝的小説。
- 『リバイアサン1999』…破滅物SF
- 『食わせろ!!』エッセイ集。痛快な毒の有る文章を描く。
[編集] 構成を担当した番組
- 『ヤング720』
- 『クイズダービー』
- 『出没!おもしろMAP』
- 『タモリ倶楽部』
- 『11PM』
- 『高橋幸宏のオールナイトニッポン』
- 『極楽TV』
- 『笑ってポン!』
- 『景山民夫の大人気セミナー』(おとなげセミナーと読む。自身も出演。中京テレビ)
[編集] 関連項目
[編集] その他
二度の結婚歴があり、前妻との間に子供がいる。再婚した妻は、村上龍の高校の同級生で小説「69 sixty nine」のヒロイン、レディー・ジェーンのモデルの人物。(彼女は「テニスボーイの憂鬱」のヒロインのモデルでもある。)
「講談社フライデー全国被害者の会」を結成した際、フライデー事件の当事者であるビートたけしに入会を勧めたが、当のたけしは「オレは『加害者の会』の会員番号1番だから…」とたけし流のジョークでやんわりと断っている。