芦田豊雄
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芦田 豊雄(あしだ とよお、1944年4月21日- )は、千葉県出身の日本の男性アニメーター、アニメ監督、プロデューサーである。千葉県立千葉商業高校卒業。アニメ制作会社スタジオライブ社長。
テレビアニメ『魔神英雄伝ワタル』のキャラクターデザインや、アニメ雑誌「月刊OUT」の連載記事「人生冗談」などで知られる。東映動画作品、葦プロダクション作品、日本サンライズ作品中心として、主に1980年代のアニメファンに強い印象を残した。また、作画スタジオの主宰者としても数々の才能ある人材を輩出している(スタジオライブの項を参照)。
ペンネームには江古田豊がある。いんどり小屋、マンドリルクラブは、スタジオライブの共同ペンネームであり、これに参加している場合もある。
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[編集] 略歴
高校卒業後、山崎製パンの宣伝部員として入社するもやがて退社。週刊誌でアニメーターの記事を読み、アルバイトのつもりで入社したTCJ動画センター(現エイケン)エイケン)でアニメーター生活をスタートした。まもなく『アルプスの少女ハイジ』のTCJ版パイロットフィルムで、キャラクターデザインに選ばれるも、パイロットフィルムの制作が終わってしばらくして、企画自体が頓挫。その後、テレビアニメ『忍風カムイ外伝』の作画を行なうが、後番組の『サザエさん』の作画を行なうことに疑問を感じて、手塚治虫が創設した虫プロダクションへ移る。しかし虫プロダクションの経営状態は思わしくなく、『ムーミン』『ワンサくん』といった作品を終えると間もなく倒産し(1973年11月)、芦田はプロデューサーの西崎義展ら虫プロダクションのメンバーを中心で制作したテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)に作画監督として参加。『宇宙戦艦ヤマト』は後に大ヒットし、芦田の存在が目ざといアニメファンに注目されるきっかけになった。この仕事を終えるとフリーでやっていく力がないとして、1976年に作画スタジオの有限会社スタジオライブを設立。以後は同社を拠点にアニメーション制作へ関与していった。
1976年にテレビアニメ『UFO戦士ダイアポロン』でキャラクターデザインを手がけて以後、1979年『サイボーグ009』、1982年『魔法のプリンセスミンキーモモ』、1983年『銀河漂流バイファム』、1988年『魔神英雄伝ワタル』と1980年代には次々と人気アニメのキャラクターデザインを担当。その多くが芦田デザインの魅力が生かされた漫画の原作が存在しないアニメオリジナル企画だったため、キャラクターデザイナーとしてファンに認知されることとなった。1981年の鳥山明原作のテレビアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』ではキャラクターデザインこそ務めなかったものの、総作画監督の前田実を支えるメインの作画監督として活躍。もともとメルヘンものを中心とし、虫プロダクション調の可愛らしい芦田の作風だったが、これを経験したことにより大きな影響を受けた。演出家としても活躍した。テレビアニメでの各話演出を経て、1984年にはテレビアニメ『北斗の拳』で初のシリーズディレクターに就任。これをヒットに導き、後の劇場アニメ版の監督も任された。1990年代は、テレビアニメ『空想科学世界ガリバーボーイ』(1995年)のシリーズディレクターとキャラクターデザイン、オリジナルビデオアニメ『超幕末少年世紀タカマル』(1991年)のキャラクターデザイン。2000年代に入ってからは、芦田率いるスタジオライブが自社制作に乗り出して、テレビアニメ『超変身コス∞プレイヤー』(2004年)、『グレネーダー ~ほほえみの閃士~』(2005年)でプロデュースを手がけ、テレビアニメ『F-ZERO ファルコン伝説』(2003年)でキャラクターデザインを務めるなど第一線で活躍した。ただ変身三部作に関してはスタジオライブ社長としての名誉職でプロデュース業務は行っていない。
1985年から、芦田はアニメ雑誌「月刊OUT」で投稿コーナー「芦田豊雄の人生冗談」を連載。同誌はアニメファンからの投稿に力を入れた誌面作りを行いジョーク記事やパロディーに重点を置いた点が特徴だった。芦田の連載も文章ネタ、イラストネタを主にしたギャグ中心で、それが人気を呼び、月刊OUTの看板連載の一つになっていた(彼自身も「トミー芦田」「ダイアポロン・カリスマ芦田」の愛称で呼ばれていた)。その才能を買われた芦田は、その他のアニメ雑誌、漫画情報誌でもたびたびイラストエッセイやエッセイ漫画を発表。「らでぃっく」という同人誌もスタジオライブで頒布した。
アニメ界のベテランとして、「黒澤明がどうしたとか、あの小説はどうとかいう話ばかりする人間を見ると『お前、アニメの仕事にコンプレックス持ってるわけ?』と思う。アニメを糧にしている人間は、アニメを愛さなければいけないし、誇りを持つべきだ」と公言している(『アニメージュ』2006年4月号)。
[編集] 主要作品リスト
[編集] キャラクターデザイン
- アルプスの少女ハイジ(パイロットフィルム版)(1968年頃か、TCJ動画センター)
- UFO戦士ダイアポロン(1976年、エイケン)
- サイボーグ009(1979年、日本サンライズ)
- メーテルリンクの青い鳥チルチルミチルの冒険旅行(1980年、オフィスアカデミー)
- 魔法のプリンセスミンキーモモ(1982年、葦プロダクション)
- 銀河漂流バイファム(1983年、日本サンライズ)
- 超力ロボ ガラット(1984年、日本サンライズ)
- 機甲戦記ドラグナー(1987年、サンライズ) - マンドリルクラブとの連名で27話以降のゲストキャラクターをデザイン
- 魔神英雄伝ワタル(1988年、サンライズ)
- 魔動王グランゾート(1989年、サンライズ
- たいむとらぶるトンデケマン!(1989年、葦プロダクション)
- アイドル伝説えり子(1989年、葦プロダクション) - サブキャラクターのみ
- 魔神英雄伝ワタル2(1990年、サンライズ)
- Pink みずドロボウあめドロボウ(1990年、東映動画、監督作品)
- 超幕末少年世紀タカマル(1991年、J.C.STAFF)
- 魔法のプリンセスミンキーモモ(1991年、葦プロダクション) - 主役のミンキーモモは渡辺ひろしととみながまりが担当
- 空想科学世界ガリバーボーイ(1995年、東映動画、監督作品)
- 超魔神英雄伝ワタル(1997年、サンライズ)
- 銀河漂流バイファム13(1998年、サンライズ)
- F-ZEROファルコン伝説(2003年、葦プロダクション)
[編集] 監督
- 北斗の拳(1984年、東映動画)
- 吸血鬼ハンターD(1985年、葦プロダクション)
- 北斗の拳 [劇場版](1986年、東映動画)
- 北斗の拳2(1987年、東映動画)
- 恐怖のバイオ人間 最終教師(1988年)
- 成恵の世界(2003年、スタジオライブ、総監督)
[編集] 作画監督
- ワンサくん(1973年、虫プロダクション)
- 宇宙戦艦ヤマト(1974年、オフィスアカデミー)
- ヤッターマン(1977年、タツノコプロ)
- 風船少女テンプルちゃん(1977年、タツノコプロ)
- ジェッターマルス(1977年、東映動画)
- まんが日本絵巻(1977年、ワールドテレビジョン)
- さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち(1978年、オフィスアカデミー/東映動画)
- Dr.スランプ アラレちゃん(1981年、東映動画)
- 銀河鉄道999(1981年、東映動画) - 1話分のみ
- バツ&テリー(1987年、サンライズ)
[編集] その他作画
- ラ・セーヌの星(原画)
[編集] プロデューサー
- 強殖装甲ガイバー(1986年、スタジオライブ)
- 超変身コス∞プレイヤー(2004年、スタジオライブ/IMAGIN)
- ヒットをねらえ!(2004年、スタジオライブ/IMAGIN)
- LOVE♥LOVE?(2004年、スタジオライブ/IMAGIN)
- グレネーダー ~ほほえみの閃士~(2005年、スタジオライブ)
[編集] 外部リンク
- スタジオライブ公式サイト(閉鎖)
カテゴリ: アニメーション監督 | キャラクターデザイナー | 日本のアニメーター | 1944年生