田沢湖
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田沢湖と辰子像 |
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所在地 | 秋田県 | |||
面積 | 25.8 km² | |||
周囲長 | 20 km | |||
最大水深 | 423.4 m | |||
平均水深 | 280.0 m | |||
貯水量 | 7.20 km³ | |||
水面の標高 | 249 m | |||
成因 | 不明 | |||
淡水・汽水 | 淡水 | |||
湖沼型 | 酸栄養湖 | |||
透明度 | 4.0 m |
田沢湖(たざわこ)は、秋田県仙北市にある湖。日本でもっとも深い湖でもある。また大きくて深い湖であるにもかかわらず、その成因が判明していない。
目次 |
[編集] 地理
秋田県の中東部に位置する。最大深度は423.4mで日本第一位(第二位は支笏湖、第三位は十和田湖)、世界では17番目に深い湖である(世界で最も深い湖はバイカル湖)。
湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下170m以上のところにあることになる。この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。そして、深い湖水に差し込んだ太陽光は水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩るといわれている。
かつては火山性・ミネラル分の高い水質と流入河川の少なさのため、1931年の調査では摩周湖に迫る31mの透明度を誇っていた。しかし、1940年に発電所の建設と農業振興(玉川河水統制計画)のために、別の水系である玉川温泉からpH1.1に達する強酸性の水(いわゆる玉川毒水・玉川悪水)を導入した結果、田沢湖は急速に酸性化し固有種であったクニマスは絶滅。水質も悪化し魚類はほぼ死滅してしまった。
それに対し、1972年から石灰石を使った酸性水の中和対策が始まり、1991年には抜本的な解決を目指して玉川酸性水中和処理施設が本運転を開始。湖水は徐々に中性に近づいてきており放流されたウグイが見られるまでになった。
なお、一部箇所では、湖水浴場として認められており、海水浴場と同様な利用が可能となっている。
[編集] 成因の謎
田沢湖は円形をした深い湖であるが上記のように成因が分かっていない。例えば円形または四角形の深い窪地を形成する要因として一般的に下記の3種類がある。
- カルデラ:近くの十和田湖のように巨大な噴火が起こって大量のマグマが抜けた跡の窪地。
- クレーター:バリンジャー・クレーターのように巨大な隕石が地上に衝突した名残。
- 構造湖:四方を断層で囲まれた諏訪湖が代表例。断層運動によって形成された窪地。
しかし田沢湖周辺では、過去の巨大噴火を証明する証拠や隕石落下の形跡は発見されておらず、断層も見つかっていない。
[編集] 歴史
[編集] 名称
田沢湖という名称は、明治時代に入ってから定着したと考えられている。それまでの資料では、田沢の潟、辰子潟などと記録されていた。それぞれの古名の由来は「田沢村の潟」という意味、アイヌ語で「盛り上がった円頂の丘」を意味するタプコプが変化した説などが考えられている。
いわゆる「辰子姫」(「辰子伝説」の節を参照)も以前は「鶴子」などとされており名称には変遷があったと考えられている。それらの変遷や由来は明らかではないが、「鶴子」は熊野神社信仰との関係性、今日広く知られている「辰子」は、田沢湖の古名である辰子潟から転じたとする説がある。
[編集] 水深測定
田沢湖が深い湖であった事は昔から知られていたが、初めて測定されたのは1909年湖沼学者の田中阿歌麿が麻縄に重りをつけ沈めて、397mを記録した時だった。翌年秋田県水産試験場が同様に413m、1926年田中館愛橘がワイヤーロープで425mを記録した。1937年から3年間行われた吉村信吉の調査では大まかな地形が明らかになった。湖底には二つの小火山丘があり、それぞれ振興堆、辰子堆と彼が名付けた。また大沢地区の近くに傾斜50°・深さ300mの断崖があることも発見した。
[編集] 辰子伝説
- 田沢湖のほとり神成村に辰子という名の娘が暮らしていた。
辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。
辰子はその願いを胸に、村の背後の院内岳は大蔵観音に、百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。
狂奔する辰子の姿は、いつの間にか龍へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈め、そこの主として暮らすようになった。 - 辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子の身を案じ、やがて湖の畔で辰子と対面を果たした。
辰子は変わらぬ姿で母を迎えたが、その実体は既に人ではなかった。悲しむ母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマスの始まりという。 - 北方の海沿いに、八郎潟という湖がある。
ここは、やはり人間から龍へと姿を変えられた八郎という龍が、終の棲家と定めた湖であった。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。
それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという。
[編集] 由来するもの
- 田沢湖線
- 列車名「たざわ」
- 期間により運行経路が異なる。しかし、一般的には1968年より1996年まで田沢湖線を経由する急行・特急列車が著名で、とりわけ1982年の特急列車化により用いられたヘッドマークには辰子像が描かれていた。
- 1959年より1965年まで仙台駅~秋田駅間を陸羽東線経由で運行する急行列車。→陸羽東線を参照のこと。
- 1965年より1968年まで上野駅~秋田駅間を奥羽本線経由で運行する急行列車。→つばさ_(列車)#奥羽本線昼行優等列車沿革を参照のこと。
- 1968年より1982年まで仙台駅・盛岡駅~秋田駅・青森駅間を田沢湖線経由で運行する急行列車。
- 1982年より1996年まで盛岡駅~秋田駅・青森駅間を運行するエル特急。
- 田沢湖線経由の列車についてはこまち_(列車)#田沢湖線優等列車「南八幡平」・「たざわ」を参照されたい。
- 1996年より1997年まで秋田駅~青森駅間を運行するエル特急。→かもしか_(列車)#秋田対青森運行速達列車の沿革を参照のこと。
[編集] 関連項目
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