水谷実雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水谷 実雄(みずたに じつお、1947年11月19日 - )は、宮崎県串間市出身のプロ野球選手(外野手)。2006年シーズンまで阪神タイガース二軍打撃コーチを務めた。
目次 |
[編集] 来歴・人物
宮崎商高では2年夏の甲子園でベスト4。1965年、ドラフト4位で広島カープに投手として入団。しかしいきなり腎臓病を患い入院、1年目の日南キャンプは不参加。以来「ジンちゃん」の愛称で親しまれる。2年目に外野手へ転向。守備がうまくなかったため外人打者に押し出され、しばらくは2軍暮らしが続き戦力外リストに入ったこともあったが、上田利治、関根潤三、広岡達朗各コーチらの指導により1970年に1軍定着。
1975年の広島初優勝ではウイニングボールを掴んだ。また1978年には首位打者を獲得(打率.348は球団記録)し、山本浩二(後の監督)や「鉄人」の愛称で親しまれた衣笠祥雄らとともに赤ヘル黄金時代を築いた。今のヤクルトのラミレスのような、バットのヘッドをピッチャーに向けて威嚇するように構え、ピッチャーの球種を読んで、球をおもっいきり振り抜く勝負強い打撃が特徴だった。ユニフォームを着てなければ、畑作仕事をしていても何ら違和感の無い出で立ちは、大昔の野球選手といった風情があった。
不動の五番打者として活躍するもチームが4位に終わった1982年オフ、当時の古葉竹識監督の若返り策で加藤英司との大型トレードにより阪急ブレーブスに電撃移籍。1983年移籍後は新外人のブーマー・ウェルズを差し置いて四番・指名打者を任され、130試合フル出場。114打点で打点王を獲得、また36本塁打で自身初の30本塁打をマークする。しかし1984年ロッテとの開幕戦で土屋正勝投手から頭部に死球を受けて調子を崩し、翌シーズン終了後に引退した。
引退後は1年だけ関西テレビで解説者を務めた後、阪急、古巣・広島、近鉄、ダイエー、中日の打撃コーチを歴任。この間高橋智、江藤智、前田智徳、金本知憲、中村紀洋、城島健司、井口資仁、松中信彦、井端弘和、福留孝介など多くの強打者・巧打者を育てた。単身若手の独身寮に住み込み、熱血な打撃指導をするなど、コーチとして非常に評価が高い人物で、多くのチームから引く手あまたである。2003年から阪神の二軍打撃コーチとなり2006年まで務めた。1995年には鈴木啓示監督の途中辞任を受け、近鉄の監督代行をシーズン終了まで務めた。
[編集] 略歴
- 身長・体重 180cm・85kg
- 血液型 O型
- 投打 右投げ右打ち
- 球歴 宮崎商業高→広島(1966年~1982年)→阪急(1983年~1985年、1987年~1988年)→広島(1989年~1993年)→近鉄(1994年~1995年)→ダイエー(1996年~1997年)→中日(1998年~2001年)→阪神(2003年~2006年)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1965年・4位(広島)
- 守備位置 投手→外野手
[編集] 所属球団
- 広島カープ・広島東洋カープ(1966年 - 1982年)
- 阪急ブレーブス(1983年 - 1985年)
- 阪急ブレーブス・コーチ(1987年 - 1988年)
- 広島東洋カープ・コーチ(1989年 - 1993年)
- 近鉄バファローズ・コーチ(1994年 - 1995年)
- 福岡ダイエーホークス・コーチ(1996年 - 1997年)
- 中日ドラゴンズ・コーチ(1998年 - 2001年)
- 阪神タイガース・二軍打撃コーチ(2003年 - 2006年)
[編集] 経歴・タイトル
[編集] 年度別成績
年度 | 背番号 | チーム | 試合数 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1966年 | 38 | 広 島 | 1 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1967年 | 〃 | 広 島 | 3 | .250 | 1 | 0 | 0 | 0 |
1968年 | 〃 | 広 島 | 0 | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1969年 | 〃 | 広 島 | 37 | .255 | 13 | 1 | 1 | 0 |
1970年 | 〃 | 広 島 | 106 | .244 | 57 | 7 | 25 | 5 |
1971年 | 4 | 広 島 | 125 | .283 | 136 | 9 | 45 | 14 |
1972年 | 〃 | 広 島 | 109 | .262 | 90 | 12 | 49 | 7 |
1973年 | 〃 | 広 島 | 102 | .231 | 58 | 7 | 29 | 1 |
1974年 | 〃 | 広 島 | 77 | .249 | 51 | 6 | 16 | 0 |
1975年 | 〃 | 広 島 | 121 | .285 | 102 | 13 | 37 | 5 |
1976年 | 〃 | 広 島 | 118 | .308 | 111 | 26 | 73 | 3 |
1977年 | 〃 | 広 島 | 119 | .312 | 126 | 13 | 50 | 2 |
1978年 | 〃 | 広 島 | 119 | .348 | 140 | 25 | 75 | 2 |
1979年 | 〃 | 広 島 | 125 | .260 | 106 | 23 | 69 | 2 |
1980年 | 〃 | 広 島 | 116 | .270 | 95 | 22 | 61 | 0 |
1981年 | 〃 | 広 島 | 126 | .337 | 144 | 23 | 82 | 1 |
1982年 | 〃 | 広 島 | 119 | .303 | 122 | 18 | 63 | 0 |
1983年 | 〃 | 阪 急 | 130 | .290 | 139 | 36 | 114 | 2 |
1984年 | 〃 | 阪 急 | 63 | .181 | 29 | 3 | 20 | 0 |
1985年 | 〃 | 阪 急 | 13 | .083 | 2 | 0 | 0 | 0 |
通算 | 1729 | .285 | 1522 | 244 | 809 | 44 |
[編集] 関連項目
- ※1 カッコ内は監督在任期間。
- ※2 1995年は8月9日からシーズン終了まで指揮。
カテゴリ: 日本の野球選手 | 広島東洋カープ及び広島カープの選手 | オリックス・ブルーウェーブ及びその前身球団の選手 | 野球監督 | 野球解説者 | 宮崎県出身の人物 | 1947年生