橘氏
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橘(たちばな)氏は、日本の奈良時代から平安時代に繁栄した貴族で、県犬養宿禰三千代が、和銅元年(708年)元明天皇より賜った氏姓「橘宿禰」(のち「橘朝臣」となる)を姓とする氏族である。
いわゆる源・平・藤・橘の四姓の一つであり、公卿に成ることの出来る名門の姓の一つとされている。
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[編集] 起源と変遷
橘氏の起源は母の三千代だが、名門貴族としての橘氏は、三千代の息子の橘諸兄・橘佐為の兄弟を起源とする。元々、敏達天皇の子孫であった葛城王(橘諸兄)と佐為王(橘佐為)は、聖武天皇の天平8年(736年)に臣籍降下を申し出、橘宿禰の氏(うじ)・姓(かばね)を賜る。
その後、光明皇后の異父兄であった橘諸兄は、藤原四兄弟の相次ぐ病死によって頭角を現し、738年には、右大臣に成っている。正一位左大臣まで上り詰め、その功績で、天平勝宝2年(750年)正月、朝臣の姓(かばね)を賜る。しかしながら、藤原仲麻呂が勢力を伸ばすと隠居。その息子の奈良麻呂は、諸兄の死後、反乱を起こし処刑されている(橘奈良麻呂の乱)。佐為の娘(奈良麻呂からみて従兄弟)が聖武天皇の妃だった事が幸いして、連座者は少なかったもののこれによって一時的に姓を旧の「宿禰」に戻される事になった(光仁天皇の時代に再び朝臣に戻される)。
その後、しばらく橘氏は目立った動きをしていないが、奈良麻呂の孫の橘嘉智子が嵯峨天皇の皇后となりその皇子が仁明天皇になると勢力を盛り返し、弟の橘氏公とともに、学館院(大学別曹)を建てて子弟を教育した。氏公は従二位右大臣にまで出世している。
しかしながらその後、橘氏は藤原氏との政争に敗れ、中央から地方に散っていき徐々に没落していった。しかし、地方では諸兄の子孫の橘広相の子で、藤原純友の乱の時に純友の弟の藤原純乗追討に功のあった大宰権帥の橘公頼の子孫のように九州に下り武家となった一族(筑後橘氏)もいる。
橘氏には、この中央の橘氏の他に、伊予国の越智氏の流れを汲む橘氏(伊予橘氏)がある。藤原純友の乱の時に追捕使長官小野好古、追捕使主典大蔵春実の下にいて活躍した伊予国警固使橘遠保は、伊予の橘氏である。その後、遠保は、中央の橘氏の一族と縁戚となり、その一族となっている。後の楠木正成は本姓を橘としたが、橘遠保の子孫とされている。
[編集] 一族
- 県犬養橘三千代
- 橘諸兄 (葛城王)- 三千代の子。
- 橘佐為 (佐為王)- 三千代の子。
- 牟漏女王 - 三千代の娘。藤原房前室。
- 橘奈良麻呂 - 諸兄の長男。
- 橘島田麿 - 奈良麻呂の子。
- 橘清友 - 奈良麻呂の子。
- 橘嘉智子 - 清友の娘。檀林皇后。
- 橘氏公 - 清友の子。
- 橘岑継 - 氏公の子。
- 橘逸勢 - 能書家。
- 橘広相 - 諸兄の5代後。学者。陽成天皇、光孝天皇、宇多天皇の3代に仕える
- 橘公材 - 広相の次男。
- 橘公頼 - 広相の五男。大宰権帥。藤原純友の弟の純乗を筑後の蒲池城で迎え撃つ。
- 橘敏通 - 公頼の三男。藤原純友・純乗追討に活躍。筑後国蒲池の領主となる。筑後橘氏。
- 千観 - 公頼の四男・敏貞の子。民衆に浄土教を布教。
- 橘善行 - 法名・性空。圓教寺を創建。
- 蔵賀 - 多武峰に住す。多武峰先徳。
- 皇慶 - 谷阿闍梨。台密谷流の祖。
- 橘永愷 - 法名・能因。歌人。
- 橘道貞 - 藤原道長側近。
- 小式部内侍 - 道貞の娘。歌人。
- 橘為仲 - 歌人。
- 橘遠保 - 伊予橘氏。元は越智氏。藤原純友の征討に活躍。
- 橘遠茂 - 平安時代末期の武士。橘遠保の一族。駿河国目代。
- 橘公長 - 平安時代末期の武士。橘公材の九代後。平宗盛を処刑。
- 橘公業 - 鎌倉時代初期の武士。橘公長の子。小鹿島氏の祖。
- 橘成季 - 鎌倉時代の下級官人。九条道家の近習。
- 源久直 - 嵯峨源氏。橘公頼、橘敏通の子孫である筑後橘氏の娘婿となり蒲池氏の祖となる。
[編集] 系譜
凡例 太線は実子。(名のみは橘姓であるので姓は省略した。)
美努王=県犬養橘三千代 ┣━━━━━┓ 諸兄 佐為 ┃ ┣━━━━━┓ 奈良麿 広足 文成 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━┓ 島田麿 清友 入居 ┣━━━━━┳━━━━━┓ ┣━━━━━┓ ┃ 真材 常主 有主 氏公 嘉智子 逸勢 ┃ ┃ 峰範 峰継 ┃ 広相 ┣━━━━━┓ 公材 公頼 ┃ ┣━━━━━┓ 好古 敏通 敏貞 ┃ 敏政 ┃ 則光 ┃ 季道 ┃ 季綱 ┃ 光綱 ┃ 公光 ┃ 公長 ┃ 公業
[編集] 派生氏族
- 有良朝臣
- 広岡朝臣
- 小鹿島氏
[編集] 後裔など
- 楠木正成 - 橘氏の末裔と言われているが、その橘とは伊予橘氏とされる。
- 楠木正虎 - 戦国時代の書家。楠木正成の後裔という。織田信長の右筆となり、北朝系の正親町天皇より楠氏(楠木氏)赦免を受ける。一説には楠木正辰(楠不伝)の父。
- 由比正雪 - 楠木正成の後裔という楠木正辰(楠不伝)の名跡を継ぎ橘氏後裔という。
- 橘千蔭- 江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人・能書家。加藤千蔭。橘氏後裔を自称。
- 橘守部- 江戸時代後期の国学者。
- 橘曙覧 - 幕末期の歌人。橘氏後裔を自称。