東南海地震
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東南海地震(とうなんかいじしん)とは、1944年12月7日に、三重県志摩半島南南東約20キロ沖の海底を震源として発生した大地震のこと。規模はマグニチュード8.0とされている。本来は東海地震と称されるべきエリアであるが、駿河湾~遠州灘地域の駿河トラフは破壊されず完全な東海地震ではなかったため、「東南海」と称している。
この地震の丸2年後である1946年12月21日に昭和南海地震が発生した。
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[編集] 被害
地震による家屋の倒壊、地震後に発生した津波により、三重県、愛知県、静岡県を中心に1223名の死者・行方不明者を出した。太平洋戦争(大東亜戦争)の最中でもあり、戦意高揚に繋がる報道以外の情報は完全に統制され、記録自体が消滅・散逸していることなどから、被害の全体像がなかなかつかめない地震である。また、被害のあった地域は、航空機産業の中心地的な存在であったため(名古屋市にある三菱の工場など)、軍用機の生産に多大な被害を受けることになる。
数少ない記録から、三重県津市、静岡県御前崎町(現・御前崎市)、長野県諏訪(統制下であったため、単独の『諏訪地震』とされた)で震度6を、他にも中部・関西地方の広いところで震度5を観測していた事が確認されている(共に旧震度階―烈震・強震)。また、海外でも地震計などの情報から、大規模な地震があったことは認識されている。
[編集] 今後の発生
当該地域を震源とする大地震は周期性があり、21世紀前半にも再発生する可能性が高いとされている。政府の地震調査研究推進本部の予測によると、2030年までに発生する確率は80~90%である(平成13年9月27日 「南海トラフの地震の長期評価について」)。
内閣府の中央防災会議に設置された「東南海・南海地震等に関する専門調査会」では、地震とともに大津波の発生規模の予測と対応について調査を行っている。東南海・南海地震等とされているのは、過去の南海地震の発生時期が東南海地震と接近しており、両地震(加えて東海地震)が連動していると指摘されているためである。
[編集] 関連項目
[編集] 関連文献
- 戦争が消した諏訪“震度6” ―昭和19年東南海地震を追う― 宮坂五郎・市川一雄著 信濃毎日新聞社 ISBN 4784092013
- 恐怖のM8―東南海、三河大地震の真相 中日新聞社会部編 中日新聞社開発局出版開発部 ISBN 4806201405
- 気象庁によるこの地震の震度分布図
- 震度データベース検索