望月一頼
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望月一頼(もちづき かずより、1961年11月20日 - )は、静岡県静岡市出身のJリーグ・サンフレッチェ広島コーチ。
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[編集] 経歴
清水東高(ヴァンフォーレ甲府監督を務める大木武は当時の同級生)を卒業後、東洋工業サッカー部でゴールキーパーとしてプレーした後、同チームやサンフレッチェ広島のGKコーチを歴任。前川和也、下田崇、林卓人など、A代表・年代別代表のゴールキーパーを多数輩出し、日本を代表するGKコーチとして活躍する。また1998年にはサッカー日本代表GKコーチとしてスタッフ入りし、シドニーオリンピックやアジアカップ2000などの試合でチームを支えた。その後、2001年にサンフレッチェ広島へGKコーチとして復帰。
GKコーチとして働いていた2006年4月にチームの成績不振による小野剛監督の辞任に伴い、ドイツW杯開催によるJリーグ中断期間までの暫定監督に就任。わずかリーグ4試合の限定指揮で、劇的に立て直す時間はない、との判断から、5バックと中盤2人が常時自陣深くに引いて敵の攻撃を跳ね返し、自チームの攻撃は中盤を省略したロングボール一辺倒という、勝利のみを狙った超守備的なサッカーを展開。「つまらないサッカー」との批判を浴びながらも、4試合を2勝1分1敗と結果を残し、暫定監督としての責務を果たした。またその4試合すべてでチームは先制点を挙げている(望月就任以前までチームはリーグ・カップ戦全ての試合で先制点を奪われていた)。その後ミハイロ・ペトロヴィッチ監督の就任に伴いGKコーチに復帰。
[編集] 逸話
既にコーチになっていたJリーグ初期の頃、GKの層が薄かった関係で選手登録もされていた。ベンチ入りメンバーに入ったことがある。(出場はない)
[編集] 選手経歴
[編集] 指導者経歴
- 東洋工業サッカー部/マツダ/サンフレッチェ広島: GKコーチ -1997
- 日本代表: GKコーチ 1998-2001
- サンフレッチェ広島: GKコーチ 2001-2006.4
- サンフレッチェ広島: 監督代行 2006.4-2006.6
- サンフレッチェ広島: GKコーチ 2006.6-
[編集] 監督成績
年度 | 所属リーグ | 大会名 | 試合数 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝ち点 | 順位 | チーム |
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2006年 | J1 | - | 4 | 2 | 1 | 1 | 7 | 15位 | サンフレッチェ広島 |
[編集] 関連項目
- サンフレッチェ広島監督(代行)
- 2006.4-2006.6
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- 先代:
- 小野剛
- 次代:
- ミハイロ・ペトロヴィッチ
サンフレッチェ広島 - 2007 |
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1 下田崇 | 4 ダバツ | 5 駒野友一 | 7 森崎浩司 | 8 森崎和幸 | 9 上野優作 | 10 ウェズレイ | 11 佐藤寿人| 12 サポーター | 14 戸田和幸 | 16 李漢宰 | 17 服部公太 | 18 吉弘充志 | 19 盛田剛平 | 21 木寺浩一 | 23 青山敏弘 | 24 前田俊介 | 25 高柳一誠 | 26 橋内優也 | 27 柏木陽介 | 28 槙野智章 | 29 趙佑鎮 | 30 入船和真 | 32 桑田慎一朗 | 33 中尾真那 | 36 河野直人 | 未定 田村祐基 | 未定 高萩洋次郎 | 未定 平繁龍一 | 未定 遊佐克美 | |
監督 ペトロヴィッチ | コーチ ポポヴィッチ | コーチ 横内昭展 | コーチ 沢田謙太郎 | GKコーチ 望月一頼 | GKコーチ 加藤寿一 | |
クラブ | 編集 |
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