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服部公太 |
名前 |
愛称 |
|
カタカナ |
ハットリ コウタ |
ラテン文字表記 |
HATTORI Kohta |
基本情報 |
国籍 |
日本 |
誕生日 |
1977年11月22日 |
出身地 |
千葉県 |
身長 |
175cm |
体重 |
72kg |
血液型 |
O型 |
選手情報 |
在籍チーム |
サンフレッチェ広島 |
ポジション |
MF/DF |
背番号 |
17 |
利き足 |
左足 |
|
■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
服部 公太(はっとり こうた、1977年11月22日 - )は、千葉県出身のサンフレッチェ広島所属のサッカー選手(MF、DF)。攻守のバランスに優れた左アウトサイド。
[編集] 経歴
渋谷幕張高から1996年にサンフレッチェ広島に入団。元々は攻撃的なMFの選手だったが、エディ・トムソンにより左WBにコンバート。1998年に左サイドでレギュラーだった路木龍次が移籍、そのあとの左サイドでレギュラーとして定着した。2001年にはヴァレリー・ニポムニシによって左SBへ、それにより攻撃能力が開花し、10アシストするなど攻撃的なSBとして活躍。チームの柱として2004年は主将を務めた。
[編集] エピソード
- 鉄人
2002年11月以来続く、連続試合フルタイム出場のJリーグ記録(GKを除く)を持つ(ただし、Jリーグは同一リーグ内の記録しか認めていないため、J1とJ2にまたがる服部の記録は参考記録扱いとなる)。2005年には、練習中に全治3週間の怪我(右ひじ脱臼)を負いながら、13日後の次節鹿島戦にはプロテクターを着けてフル出場、改めてその鉄人ぶりを見せつけた。また、リーグ戦だけでなく天皇杯やナビスコカップなどのカップ戦でもフル出場を続けていたが、2006年4月26日のナビスコカップ1次リーグC組3節対ジェフ千葉戦をゴールデンウィーク中の過密日程や監督の方針で欠場し、公式戦でのフル出場記録が途切れた。リーグ戦に関しては2005年9月25日、前人未到の100試合連続フル出場を達成。現在も継続中である。
- 顔が見栄晴に似ている。
- 1997年から背番号固定番号制になったが、17番を1997年は路木龍次、1998年以降は服部公太が付けている。
- 2005年7月30日プレシーズンマッチ対フィオレンティーナ戦終了後、服部のプレーに感銘を受けたマルティン・ヨルゲンセンが広島側ロッカールームに直接訪れ、固い握手を交わした。服部曰く「怒鳴り込んできたのかと思った(笑)」
[編集] プロフィール
[編集] 所属クラブ
[編集] 背番号
[編集] 経歴・タイトル
[編集] クラブチーム
[編集] 日本代表
[編集] Jリーグ年度別成績
年度 |
チーム |
リーグ |
背番号 |
リーグ戦 |
カップ戦 |
天皇杯 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
1996年 |
広島 |
J |
- |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1997年 |
広島 |
J |
24 |
18 |
0 |
5 |
0 |
2 |
0 |
1998年 |
広島 |
J |
17 |
32 |
1 |
3 |
0 |
3 |
0 |
1999年 |
広島 |
J1 |
17 |
28 |
1 |
1 |
0 |
4 |
0 |
2000年 |
広島 |
J1 |
17 |
29 |
1 |
3 |
0 |
2 |
0 |
2001年 |
広島 |
J1 |
17 |
28 |
0 |
5 |
1 |
0 |
0 |
2002年 |
広島 |
J1 |
17 |
21 |
0 |
0 |
0 |
4 |
0 |
2003年 |
広島 |
J2 |
17 |
44 |
1 |
- |
- |
4 |
1 |
2004年 |
広島 |
J1 |
17 |
30 |
2 |
6 |
0 |
1 |
0 |
2005年 |
広島 |
J1 |
17 |
34 |
0 |
6 |
0 |
2 |
0 |
2006年 |
広島 |
J1 |
17 |
34 |
1 |
5 |
0 |
2 |
0 |
J1通算 |
|
|
|
255 |
6 |
34 |
1 |
20 |
1 |
J2通算 |
|
|
|
44 |
1 |
- |
- |
4 |
1 |
[編集] 関連項目
[編集] 関連サイト