有馬朗人
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有馬 朗人(ありま あきと、1930年9月13日 - )は、日本の俳人・物理学者・政治家。大阪府出身。東京大学理学部物理学科卒。
目次 |
[編集] 略歴
- 1953年3月:東京大学理学部物理学科(旧制)卒業、
- 1953年4月:東京大学理学部大学院(旧制)入学、1958年 理学博士号を取得。
- 1956年:東京大学原子核研究所助手
- 1971年:ニューヨーク州ストニーブルク校教授
- 1975年:東京大学理学部教授
- 1989年:東京大学総長(1993年まで)
- 1993年:理化学研究所理事長(1998年5月まで)
- 1998年:参議院議員(2004年7月25日まで)、文部大臣(1999年10月まで)
- 1999年:科学技術庁長官兼務(1999年10月まで)(文部省と科学技術庁の統合による文部科学省設置に基づく)
- 2000年:(財)日本科学技術振興財団会長
- 2004年: 科学技術館館長
[編集] 受賞歴
- 1978年:仁科記念賞
- 1990年:フランクリン・インスティテュート・ウエザリル・メダル、ドイツ連邦共和国功労勲章(大功労従事賞)
- 1993年:日本学士院賞、ボナー賞(アメリカ物理学会)
- 1998年:レジオン・ドヌール勲章
- 2002年:名誉大英勲章(KEO)
- 2004年:文化功労者、旭日大綬章
[編集] 俳人としての活動
- 「失いしものをさがしに冬帽子」などの句がある
- 『天為』主宰
[編集] 物理学者としての活動
- 原子核物理学の権威として、原子構造論などでの研究を進める。
- 東京大学で研究を行い、のちに東京大学総長に登りつめる(在職:1989年 - 1993年)。
- 日本学士院賞、ベンジャミン・フランクリンメダルなどを受賞。
- 2005年の世界物理年では日本物理学会が組織した同日本委員会の委員長を務める。
[編集] 政治家としての活動
- 1998年、自由民主党から第18回参議院議員通常選挙に出馬。同党の比例代表名簿1位に搭載され、難なく当選。(選挙出馬直前に埼玉大学で有馬氏を学長にしようという運動が本人のおそらく知らないところであり、一時期次期学長有力候補となったことがあった。)
- 東大総長・俳人・学者といったマルチな経験が買われ、小渕恵三の大英断によって、参院議員当選直後の小渕内閣から小渕内閣第1次改造内閣において文部大臣・科学技術庁長官に就任(1999年10月に退任)。
- 中央教育審議会会長在籍時に独自の「ゆとり教育論]を展開したが、官僚により別解釈に用いられたことを遺憾に思っている。提唱した教育論は、指導要領の増えすぎた科目を融合させること。例えば世界史と日本史を一元的に学ぶことや数学の言葉を英語で学ぶことにより知識の壁を取り払い、また科目の増化傾向を避け、応用力をつけさせることが重要と述べている。また、日本人の若者の学力は低下しているわけではないことを説明するなど、各地で行われる講演会での評判は高い。2002年、ある小さな予備校(早慶外語ゼミ)が将来の若者のためにぜひと講演依頼をした際には多忙な中でスケジュールを調整しボランティアで熱気あふれる講演したことは予備校関係者の間で伝説となっている。
- 2004年の第20回参議院議員通常選挙には出馬せず、参議院議員1期・6年で政界からは引退。
[編集] 浜松やらまいか大使としての活動
- 科学技術庁長官
- 1999年
-
- 先代:
- 竹山裕
- 次代:
- 中曽根弘文