ゆとり教育
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ゆとり教育(-きょういく) cram-free education とは、学習者に焦燥感を感じさせずに、学習者自身の多様な能力を伸張させることをめざす教育のことである。
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[編集] 概要
ゆとり教育は、主に小学校などの初等教育や、中学校・高等学校・中等教育学校などの中等教育において、いわゆる「詰め込み教育」に対する改善策として提唱された教育のあり方でもある。(詳しくは、新しい学力、生きる力なども参照のこと。)
1976年(昭和51年)、加熱する受験戦争や、学校教育が知識を偏重し過ぎた詰め込み教育であるなどの批判(落ちこぼれ問題など)に対応する形で、文部省(現在の文部科学省)の中央教育審議会は、「昭和51年12月答申」において"ゆとりと充実"という表現を用いて学習内容の削減を提言した。このような動きは、次のような考え方を下敷きにしていた。すなわち、1年間に10の学習内容を学習させて標準的な児童・生徒が6の内容しか身につけていないのであれば、彼らが1年間に学習しうる内容の絶対量を6と想定したうえで、いかにして最も重要な内容を選択的に身につけさせるかを考えた方が適切ではないかという理屈である(注:上記の数字は実際の学習量・習得量を反映した例ではない)。これが「学習内容の精選」である。
これ以降、学習内容の精選(のちに厳選)として各教科の指導内容が削減されていくとともに、中学校などでの「選択教科」の拡大、小学校などでの教科「生活」の新設、小学校から高等学校までの段階のすべてで「総合的な学習の時間」の新設が行われた。
70年代後半からバブル期にかけての好景気下では世論は概ね「ゆとり教育」的な政策に肯定的な反応を示していた。しかしバブル崩壊後の「失われた10年」の間に、「学力低下」をテーマとした本の出版や記事が相次ぎ、「ゆとり教育は失敗だった」という声は大きくなった。
教育課程審議会の三浦朱門審議会長は、ゆとり教育導入の経緯についてこう語っている。「学力低下は予測しうる不安というか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できんものはできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた労力を、できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが“ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」「いくら会長でも、私だけの考えで審議会は回りませんよ。メンバーの意見はみんな同じでした。経済同友会の小林陽太郎代表幹事も、東北大学の西澤潤一名誉教授も……。教課審では江崎玲於奈さんのいうような遺伝子診断の話は出なかったが、当然、そういうことになっていくでしょうね」。江崎玲於奈の発言は「ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」というものであった。こういう発想で、ゆとり教育導入の答申は出された。
[編集] 「ゆとり教育」政策が引きおこした問題点
今日の世論では、ゆとり教育の実施による学習内容の削減が基礎学力の低下を招いているという批判・否定的な意見が非常に多い。(一部の塾では、ゆとり教育が開始される直前からこのような世論になることが予想されていた)その一方で、基礎学力の低下の原因がゆとり教育と決め付けてしまうのは難しく他にも原因があるのではないか、等の意見もある。学習指導要領における学習内容の削減や時数の削減が教科学力の低下の最も主要かつ決定的な原因であるという命題は証明されていないという指摘がある一方、国際的な学力比較で日本の順位が転落したのは紛れもない事実であり、これ以上の証拠は必要無いという意見もある。
ゆとり教育が学力低下を引き起こすという危惧を引き起こしたため、首都圏を中心として児童・生徒が学習塾に通うようになり、むしろ時間的なゆとりは減ったとの指摘や、小中学校の削減分が高校に上乗せされて内容が過密化しているといった指摘、基礎学力の低下により中学高校での学習に支障が出ているとの指摘もあり、むしろゆとりが減ってしまったと考える人も少なくない。
ゆとり教育によって公立学校に失望し学習塾などに実効ある教育を求める風潮は、公立学校の荒廃や「学習塾に行く前の休憩所」化を招くだけではなく、保護者の経済力が児童・生徒の学力に直接的な相関を持つという点で、公立教育の意義を失わせかねない由々しき問題である。現に「(ゆとり教育を発案・推進する)文部科学省の高級官僚のほとんどはその子弟を(ゆとり教育の影響を受けない)私立学校に通わせている」という話が一般に信じられている。
従来、学習指導要領に示される学習内容は、「到達目標」(教育目的における十分条件)とされてきた。しかし、実際には「これ以上教えてはいけない」という硬直的な解釈もまかり通り、学習内容の削減とともに学習進度の早い児童・生徒(浮きこぼれなど)に対する対処が問題となった。2002年(平成14年)に文部科学省は、学習指導要領の内容を「最低基準」と位置づけ、発展的な学習内容を教科書に掲載したり、各学校で発展的な学習の指導を行っても良いという方針に改めた。(なお、この方針は、“発展的な学習の指導を行わなければならない”というわけではなく、“学習指導要領に定めた「最低基準」を満たしさらに余裕のある児童・生徒に対し、その実態に合わせてさらに発展的な学習の指導を行っても良い”というものである。)これと整合性をとるため、2005年の教科書検定では小中学校の教科書にも発展的な内容の記述を容認した。
ゆとり教育によって導入された総合的な学習の時間は、教員や児童・生徒の力量・意欲が高い場合は成功しやすいため、そういった要素に左右されるという利点と欠点を併せ持つとされる。
[編集] 「ゆとり教育」の短期的な結果
学力低下が心配されていたゆとり教育(ここでは平成10年度から11年度にかけて告示された指導要領を指す)だが、2003年に国立教育政策研究所が行った「平成15年度 小・中学校教育課程実施状況調査」の結果で、多くの学年、教科で前回調査と同一の問題については、正答率が有意に上昇した設問が、正答率が有意に下降した問題よりも多かったという結果だった。 しかもアンケートで「勉強好き」「どちらかというと好きだ」と答えた子の割合は増加傾向にある。 しかし、「導入から2年足らずで結果が出たのか」「ゆとり教育に危機感を抱いた家庭の教育の結果ではないか」など、ゆとり教育そのものの効果であるとは必ずしも言えず、この調査結果の解釈は難しいともされている。
2006年1月に行われた大学入試センター試験では、現役受験生は中学3年生から新学習指導要領で学んだ1期生となった。新学習指導要領では学習内容が減り、入試で高校生の学力低下が表面化するのではないかと注目されていた。ところが、予備校の実施する模擬試験などの結果によると、ゆとり教育世代の現役生が例年に比べ、学力が極端に落ちたという傾向は出ていないという。ただし、センター試験の出題範囲も大幅に軽減されているため、正答率がある程度上昇するのは当然のことであり、このデータの解釈も非常に難しい。また、1期生は、「台形の面積の出し方は扱わない」「円周率は3で計算する」といった項目に代表される、学習内容の大幅な簡略化の煽りはさほどには受けておらず、小中学校では上の世代と教わっている内容は殆ど変わりは無いのが実情でもある。むしろ、これから下の世代が「ゆとり教育」の本質を試される世代である。
補足:「円周率は3で計算」というイメージは「ゆとり教育」の象徴として流布しているが、学習指導要領における記述は正確には「(4) 内容の「B量と測定」の(1)のイ及び「C図形」の(1)のエについては,円周率としては3.14を用いるが,目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮するものとする。」(平成10年度施行小学校学習指導要領・小学校5年・算数)であり、「3.14を教えない」というのは誤解あるいは捏造である。
1990年代から大学関係者の間で学力低下が話題になっていたが、1999年の「分数ができない大学生」ISBN 4492221735 出版で世間に知られるようになった。しかし極端に、かつ継続的に学力が低下しているというデータは出ていなかった。
教育現場では、以前から詰め込み教育とゆとり教育が表裏関係にあると考えられていたが、二つの国際学力比較調査(そのうちの一つは経済協力開発機構(OECD))で世界各国の15歳の生徒を対象に行った学習到達度調査で、日本の順位が以前の上位から中位に転落したことから日本の生徒の学力低下が急速に問題視され始めた。研究者や教育者の間ではゆとり教育が学力低下の主要因とするのは早急であるとの主張も聞かれたが、2005年に中山成彬文部科学大臣も、「ゆとり教育は、学習塾に通わない限り、充分な基礎学力を得られない教育だった」とし、週休二日制や「総合的な学習」の廃止を検討することも含めた方針転換を早々に打ち出した。
[編集] 知識重視型教育とゆとり教育
ゆとり教育以前の知識重視型教育は、もともと第二次世界大戦降伏後(1945年以降)の経験主義的な教育に対する「学力が低下している」という批判による教育方針転換の結果でもある。また、学習指導要領が法的な性質をもつようになったのも1958年(昭和33年)以降であり、それまでは学習指導要領の名称も「学習指導要領」ではなく「学習指導要領(試案)」とされており、法的な性質はなかった。
[編集] 「ゆとり教育」後の教育政策
現在の公教育が充分に機能しているとは言えないという理解は、「ゆとり教育」をその直接の原因と考えるグループにせよ、そうではないグループにせよ、今日広く共有されている。しかし、「ゆとり教育」後の教育政策がいかにあるべきかという点では、結論はいまだ出されていない。
最も単純な提言は、「土曜日の半日授業を復活させる」「総合的な学習を廃止する」「指導要領に示される学習内容を増やす」というように、以前の教育政策を復活させれば事は解決するというものである。しかし、教育学の研究者や現場の教員の間では、このような単純な政策は解決策にならないという意見も根強い。
山田昌弘、苅谷剛彦、佐藤俊樹ら社会学者のあるグループは、「学習に励めば必ず報われる」という「大きな物語」が失われ、雇用形態や職位による著しい所得格差が放置されたままとなっている現在の日本において、特に低所得者層の子弟における「学習への動機づけ」が全く機能しなくなっていると指摘する。つまり「勉強してもしなくても行き着く先は同じ」という理解が広まった結果、「学校教育を自主的に放棄することでしか自己の有能感を得ることが出来ない」子供たちが増えているというのである。この指摘が正しいとすれば、いくら授業時間を増やそうが、学習内容を増やそうが、子供たちを学習に向かわせることは出来ないとなる。
また、「百ます計算」で有名になった陰山英男や、民間人出身の区立中学校校長として注目を集める藤原和博は、家庭の教育力の劇的な低下を指摘する。教科学習をする以前に学校という場で秩序ある集団行動をすることが出来ない子供が激増しており、それこそが学力低下の元凶であるという論である。加えて藤原は、教育委員会に提出すべき書類があまりにも多くなりすぎていることの弊害をも指摘している。その書類作成作業が教師が子供に接する時間や教材研究、授業準備の時間を奪い、また校長や教頭、主任、主幹など教職員集団の中核となるべき人材の活力を低下させているというのである。
研究者や現場の教職員からは、教育改革がこうした現場の実情を見ないままに進められることへの危惧の声も聞かれる。
[編集] 概念の混乱
今日、「ゆとり教育」に関する議論が行われる際に、概念が非常に曖昧に扱われている例が少なくない。すなわち、「ゆとり教育」とは平成10年度から11年度にかけて告示され、平成15年度から完全施行された学習指導要領を指すものなのか、それ以前の「新しい学力観」提示以降なのか、さらに遡って「学習内容の精選」が開始された時期なのかがはっきりしないままに、「ゆとり教育」を論ずる者が少なからず存在するのである。なお、その指し示す範囲を最大限に見積もった場合、「ゆとり教育」を批判する者自身、自分が「ゆとり教育」を受けてきた世代であることを自覚していないといった珍妙な構図も見られる。
[編集] 「ゆとり教育」と体罰の関連性に関する誤解
上記のように知識偏重型教育に警鐘を鳴らすべく導入された試みであったにもかかわらず、近年はこれを体罰肯定論を展開する際に「ゆとり教育は間違いだった」と組み立てる傾向が見られるが、これは誤りである。 70年代に顕著に見られた"スパルタ教育"とは知識偏重型教育を指していたこともあり、体罰を伴う本来の意味でのスパルタ教育のイメージもあいまって、あたかもゆとり教育が体罰撲滅運動かのように解釈されがちである。
[編集] ゆとり教育の経緯
- 1977年(昭和52年) 学習指導要領の全部改正 (1980年度〔昭和55年度〕から実施)
- 学習内容、授業時数の削減。
- 1989年(平成元年) 学習指導要領の全部改正 (1992年度〔平成4年度〕から実施)
- 1999年(平成11年) 学習指導要領の全部改正 (2002年度〔平成14年度〕から実施)
- 学習内容、授業時数の削減。
- 完全学校週5日制の実施。
- 「総合的な学習の時間」の新設。
[編集] 関連項目
- 新学力観 - 学力 - 生きる力
- 落ちこぼれ - 浮きこぼれ
- 学習指導要領 - 中央教育審議会 - 文部科学省
- 学校 - 学習塾
- 確かな学力
- 総合的な学習の時間
- 学校週5日制
- ゆとりの時間
- 寺脇研
- 円周率は3
- 教育格差
[編集] 外部リンク
- 新学習指導要領 - 文部科学省
- 平成15年度 小・中学校教育課程実施状況調査 -国立教育政策研究所-
- あなたはどの指導要領?
- 学習指導要領の変遷図 -教心ネット-
- 3+2×4=20?どうなるゆとり世代の学力 AllAbout