星新一
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星 新一(ほし しんいち、本名は星 親一、男性、1926年9月6日 - 1997年12月30日)は日本の小説家、SF作家。
東京市本郷区曙町(東京都文京区千石)に生まれ育つ。父は星薬科大学の創立者で、星製薬の創業者星一。本名の親一は父のモットー「親切第一」の略で、弟の名前の協一は「協力第一」の略。イラストレーターのほししんいちとは全く関係がない。
ショートショート(掌編小説)を数多く残し、多作さと作品の質の高さを兼ね備えていたところから「ショートショートの神様」と呼ばれ、生涯で1001編以上の作品を残す。『人造美人』『悪魔のいる天国』『おせっかいな神々』『ノックの音が』など多くの短編集がある。また、『明治・父・アメリカ』、父親を書いた伝記小説『人民は弱し 官吏は強し』などのノンフィクション作品もある。小松左京・筒井康隆と並んで「御三家」と称される、日本を代表するSF作家として知られている。北杜夫とも親交が深かった。
反戦団体「ワールドマップ (World MAP: Mothers Acting for Peace)」代表の星マリナは次女。母方の祖父母は帝国大学医科大学長で解剖学者の小金井良精と森鴎外の妹・小金井喜美子である。また小説家鈴木俊平とは従兄弟。
星製薬が人手に渡った後も永らく星薬科大学評議員という肩書きがあった。
目次 |
[編集] 略歴
大正15年(1926年) - 東京・本郷に生まれる。父は星製薬の創業者である星一。母方の祖父の家がある本郷で、昭和20年(1945年)まで星は育っていく。
女子高等師範附属小(現在のお茶の水女子大学附属小)から東京高等師範附属中(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に進む。旧制中学在学中に対米開戦。これにより英語が敵性語となること、敵性語として入試科目から除外されることを見越して英語を全く勉強せず、他の教科に力を入れて要領よく四修(飛び級)で旧制の官立東京高等学校(現在は東京大学教養学部と東京大学教育学部附属中等教育学校に継承)に入学。このため秀才と呼ばれたが、戦後になってから英語力の不足を補うため今日泊亜蘭の個人授業を受け、さんざん苦しんだ。
昭和23年(1948年)(21歳) - 東京大学農学部農芸学科を卒業、高級官吏採用試験である高等文官試験(現在の国家公務員I種試験)に合格したが内定を取ることに失敗。なおかつ役人嫌いの父親に受験が発覚し、厳しく叱責された。東大の大学院に進学し、坂口謹一郎のもとで農芸化学を研究。昭和25年(1950年)に、大学院の前期を終了する。卒業論文は「アスペルギルス属のカビの液内培養によるアミラーゼ生産に関する研究」(アオカビを固形物で培養し、ペニシリンを生産する研究)であった。
昭和24年(1949年)(22歳) - 同人誌「リンデン月報(9月号)」にショートショート第一作『狐のためいき』を発表する。おそらく、星新一の初めての作品である。
昭和26年(1951年)、父が急逝したため、同大学院を中退し、父の会社を継ぐ。当時の星製薬は経営が悪化しており、経営は破綻。会社を他人に譲るまでその処理に追われたという。この過程で筆舌に尽くしがたい辛酸をなめた。のちに星新一自身は「この数年間のことは思い出したくもない。わたしの性格に閉鎖的なところがあるのは、そのためである」と語っている。星は厳しい現実に嫌気が差し、空想的な空飛ぶ円盤に興味を持つようになる。たまたま近くにあった「空飛ぶ円盤研究会」に参加。この研究会は三島由紀夫、石原慎太郎が加わっていたことでも知られている。
昭和32年(1957年)(30歳) - 柴野拓美らと日本初のSF同人誌「宇宙塵」を創刊。第2号に発表した『セキストラ』が、当時江戸川乱歩の担当編集だった大下宇陀児に注目され、「宝石」に転載されてデビューした。昭和35年(1960年)には「ヒッチコック・マガジン」に作品が載り、また、「文春漫画読本」から注文がくる。作家としてなかなか良いデビューといえるだろう。
昭和36年(1961年)(34歳) - 医者の娘の村尾香代子と見合い結婚。髪が長いのが結婚を決意する決め手になったと後年語った。
昭和38年(1963年)(36歳) -ウルトラシリーズ第一作『ウルトラQ』に、日本SF作家クラブの一員として企画会議に加わる。会議に同席した、『変身』、『悪魔ッ子』の脚本担当者、北澤杏子の証言によると、この場においては、後に伝説となるような、飛躍した発想の発言は聞かれなかったとのことである。また、この年に特撮映画『マタンゴ』の脚本を担当している。
昭和54年(1979年) - 『星新一ショートショート・コンクール』の選考開始。
昭和55年(1980年) - 日本推理作家協会賞の選考委員を務める。昭和56年(1981年)まで。
平成9年(1997年)18時23分に東京都の病院で、間質性肺炎のために死去。享年71歳。
[編集] 受賞(受賞候補)歴
- 昭和36年(1961年)2月に、ショートショート6編『弱点』、『生活維持省』、『雨』、『誘拐(その子を殺すな!)』、『信用ある製品』、『食事前の授業』で直木賞の候補作に選ばれる。
- 昭和37年(1962年) - ショートショート集『人造美人』、ショートショート集『ようこそ地球さん』(旧バージョン)、ショートショート集『悪魔のいる天国』で第15回日本推理作家協会賞候補。
- 昭和40年(1965年) - 長編小説『夢魔の標的』で第18回日本推理作家協会賞候補。
- 昭和43年(1968年) - ショートショート集『妄想銀行』で第21回日本推理作家協会賞受賞。
- 昭和56年(1981年) -「マンボウ・マブゼ共和国」(北杜夫の小説に登場する架空の国)から文華勲章が授与される。「日本の勲章ならみっともなくて下げておられぬが、外国の勲章なら……」とは星の弁。
- 平成10年(1998年) - 第19回日本SF大賞特別賞を贈られた。
[編集] 星新一作品の特徴
- 通俗性を出来る限り排し、具体的な地名・人名(エヌ氏 等)といった固有名詞はあまり登場させない。又、例えば「100万円」とは書かずに「大金」あるいは「豪勢な食事を2回すれば消えてしまう額」などと表現するなど、社会環境・時代に関係なく読めるよう工夫されている。また存命中は、機会あるごとに時代にそぐわなくなった部分を手直し(「電子頭脳」を「コンピュータ」に直すなど)を加えたという。
- 激しい暴力や、性行為の描写が不得意だといい、非常に少ない。
- ショートショートの主人公としてよく登場する「エヌ氏」の名は、星の作品を特徴づけるキーワードとなっている。作品は20言語以上に翻訳され、世界中で読まれている。作品ごとに、エヌ氏の境遇・容姿・年齢・性格などは異なっていて、同一人物ではないと思われる。
- 冷戦を扱った作品が英語・ロシア語に翻訳され、米ソ両国で読まれていた事は、星の作品の普遍性の高さを示している。
- 寓話的な内容の作品が多く、星も自らを「現代のイソップ」と称していた。その柔軟な発想と的確に事物の本質をつかんだ視点の冷静さから、近年では松本人志やほっしゃん。ら芸人たちからも愛読されている。
- 作品の『愛の通信』『殺し屋ですのよ』『世界の終末』は『週刊ストーリーランド』でアニメ化されている。又、『リオン』を参考にしたと思われる話もあった。
- 作品の『殺し屋ですのよ』『人形』『おーい でてこーい』『ネチラタ事件』『もてなし』『はやる店』は『世にも奇妙な物語』でドラマ化されている。さらに『おーい でてこーい』は中学校の英語の教科書『New horizon2』に英訳されて収録されている。
- 星は作品中に、F1レーシング・カーのように広告がベタベタ描かれた宇宙船を登場させたが、日本人初の宇宙飛行士、TBS記者の秋山豊寛がソユーズで宇宙に向かう時、それは現実となった。広告はSONY、ユニチャーム、大塚製薬、TBSの4社だった。
- 星作品は時代、場所などを明記しない事が特徴だが、明記しなかったというだけで、作品を注意深く並べると東京の港区、品川区の町並みが再現される。例えば、『おーい でてこーい』の結末部分は、映画『三丁目の夕日』にも登場した、建設中の東京タワーと思われる。
- 星といえどもショートショートに万能というわけではなかった。星新一ショートショート・コンテストとほぼ同時期に募集、発表があったショートショート・コンテスト「ビックリハウス」のエンピツ賞受賞作については、理解が及ばず、お手上げの状態だったという。又、向田邦子の直木賞受賞作を含むショートショート集『思い出トランプ』についても、好みでない旨を語っていた。星新一ショートショート・コンテストの選考においても、そのような作品は選外とした旨を語っていた。
- 昭和49年(1974年)、超能力ブームが起き、超能力者を名乗る人物が、何人も現れた際、「空中に投げたスプーンが、途中で、くの字に曲がるのだ」や、「これは大事件ですぞ。どうして新聞各社は報道しないのですか」などと星は朝日新聞記者にからんだ。からまれた記者は報道のため、超能力の現場をストロボ分解写真で写すなど、取材を開始。その結果、超能力がインチキである事が発覚する。記事は、朝日新聞系の『週刊朝日』に掲載される。その際星は、「超能力者が現実に現れたら、SF作家は失業してしまいますからね」と述べた。
[編集] 星新一ショートショート・コンクール
1979年より始まった星新一の選考によるショートショート作品のコンクール。毎年の優秀作品は単行本として出版されている。星の死後も選者を阿刀田高に変え、マイナー・チェンジを繰り返しながら継続中。
[編集] 主な受賞者
(昭和54年入選)
- 吉沢景介(SF作家)
(昭和55年入選)
(昭和56年入選)
- 太田忠司(推理小説作家)
(昭和57年入選)
(昭和59年入選)
(小説現代コンテスト)
[編集] 外部リンク
- 星新一ひみつ倶楽部(ファンサイトの定番。他のファンサイトへのリンクも充実)
- 関連リンク集
- Yahoo!Booksより「星新一の自作年譜」