秋山豊寛
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秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年6月22日 - )は、東京都出身のジャーナリスト、元宇宙飛行士。
攻玉社高校、国際基督教大学を卒業後、1966年に東京放送(TBS)へ入社。ロンドン支局やワシントン支局の特派員を歴任。
1989年にTBSが日本人宇宙飛行士搭乗に関する協定をソビエト連邦の宇宙総局と調印したことにより、1990年12月2日、ソ連のバイコヌール宇宙基地より宇宙船ソユーズTM-11に乗って宇宙へ飛び立ち、日本人初の宇宙飛行士(宇宙特派員)となった。 TBSによる一連の番組は、日本人初!宇宙へと題した番組をテレビ・ラジオ双方で連日放送された。打ち上げ、帰還時は長時間にわたる特別番組を放送し、全て生放送で模様を伝えた。
世界初の宇宙飛行士ジャーナリストとして、ソユーズTM-11が宇宙ステーション「ミール」とドッキングすると、乗組員として日常生活をリポートし、また自らが被験者となり、睡眠実験などの試みがなされた。本人は 別の言葉を考えていたようだが、生中継で、東京のスタジオからの呼びかけに対して発した、「これ本番ですか?」という第一声は有名である。(帰還後 上梓した著書の中で、第一声は「宇宙は混沌としています」と発しようと考えていたが、実は 宇宙は混沌とはしておらず、生中継に備えてバイコヌールと交信中に割り込んできた形となった東京からの呼びかけに思わず反応した「これ本番ですか?」は、放送人としてはもっともらしい第一声だったのではないだろうか、と振り返っている。) 同年12月10日に、先に「ミール」とドッキングしていた「ソユーズTM-10」で帰還した。
帰還後、TBS報道局次長などを歴任して、1995年に退職。宇宙飛行士だったということから、次第に会社での居場所がなくなっていったことを退社した理由のひとつに挙げている。 現在は福島県で無農薬農業に従事するかたわら、環境についての講演や本の執筆活動をこなしている。 また2003年4月~2004年3月まで山陽放送で報道番組「どんぶらこ」のメインキャスターを務めた。
[編集] 著書
- 宇宙特派9日間 〔小学館〕 (秋山豊寛)
- こちら宇宙特派員! 〔毎日新聞社〕 (秋山豊寛+菊地涼子)
[編集] 関連事項
- 菊地涼子
- 秋山豊寛氏の代替要員として一緒に訓練を受けた。打ち上げ前の最終チェックで問題は無かったが、打ち上げ直前に虫垂炎になり、バックアップ要員のいなくなった秋山氏がかなりのストレスをためてしまった。というエピソードがある。幸い、手術が成功し、術後の経過も良好だったことから、地上でソユーズとミールに関するコメンテーターの役割を担った。元TBSカメラマン・ディレクター。
- NIKKEI NET 特集「宇宙に広がるビジネスの夢と可能性」(外部リンク)参照
- 1985年、NASAで秋山豊寛氏より先に宇宙飛行士となったが、1986年1月28日のスペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故の影響などにより毛利氏のフライトスケジュールが大幅に延期となったことから、実際の飛行は秋山氏の方が先となった。従って「日本人初の宇宙飛行士」の栄誉は両氏が分け持つものと考えて良いだろう。