早川徳次 (東京地下鉄道)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
早川徳次(はやかわ のりつぐ、1881年 - 1942年)は、東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創業者。山梨県一宮町(笛吹市)出身。
1914年の欧州訪問で、ロンドンにおいて地下鉄が発達しているのを目の当たりにし、これからは東京にも地下鉄が必要だと考えるようになる。1920年に東京地下鉄道株式会社を設立し、1925年に浅草~上野の地下鉄工事を始める。1927年12月30日に浅草駅から上野駅まで開業させた。2005年現在の東京地下鉄銀座線の同区間である。
その後、同線は新橋駅まで延伸した。しかし1940年に五島慶太率いる東京高速鉄道(銀座線渋谷駅~新橋駅間建設)との争いが原因で地下鉄事業から身を引くことになり、失意のまま死去する。
銀座駅の日比谷線中二階メトロプロムナードの中央部に早川の胸像がある。