政府開発援助
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政府開発援助(せいふかいはつ えんじょ, 英語:Official Development Assistance)は、先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のことをいう。国際貢献の一つである。通称、ODA。
日本国も積極的にODAを実施しており、出資額は2004年でアメリカに次いで第2位である。[1]
目次 |
[編集] 概要
[編集] 二国間援助
先進国側が直接、発展途上国に有償、無償の資金などを援助する。
- 「無償資金協力」は、援助相手国に返済の義務が無い。
- 「技術協力」では、人材育成と技術移転など将来の国の根幹となる労働力作りが目的とされている。研修員受入れ、専門家派遣、開発調査、最新機材の供与などがされている。研修員の受入れが最も多い。
- 「無償資金協力」と「技術協力」を担当する機関は国際協力機構 (JICA:Japan International Cooperation Agency) である。
- 「有償資金協力(円借款)」では、グラント・エレメント(贈与要素)が25%以上であるものと定義付けられている。(グラント・エレメントとは借款条件の緩やかさを示す指数。金利が低く、融資期間が長いほど、グラント・エレメントは高くなる。それだけ受け入れ国にとって負担は少なくなる。贈与の場合、100%となる。)また円で貸し付けられるため「円借款」などと新聞やテレビで報道されることもある。中国などの、ある程度発展している国に対して行われる。
- 借款業務と輸出入金融業務などの「有償資金協力」を担当するのは国際協力銀行 (JBIC:Japan Bank International Cooperation) である。
- ちなみに日本が一番援助している国は中国で、総額約3兆円であり、グラント・エレメントは約65%と極めて高く、約2兆円が純贈与となっている。
[編集] 多国間援助
国際機関に対して出資や拠出しそこを通じた間接的な援助。
[編集] ODAのはじまり
世界恐慌によって進んだブロック経済による長引く不況や、第二次世界大戦によって混乱した世界経済の安定のため、1944年にブレトン・ウッズ体制(IMF体制)が確立した。そして、1945年12月、戦後の世界の復興と開発のため、国際通貨基金 (IMF) と国際復興開発銀行(IBRD、通称「世界銀行」)が設立される。1947年6月には、欧州復興計画(マーシャル・プラン)の構想が発表される。アメリカの支援によって、ヨーロッパは目覚しい復興を果たす。
オリバー・フランクスによって指摘された先進国と発展途上国の間にある大きな経済格差が問題(南北問題)を発端に、途上国支援のために1960年に国際開発協会(IDA、通称は第二世銀)、1961年に開発援助委員会項目名 (DAC) と立て続けに支援体制が整っていく。1961年、アメリカのケネディ大統領が国連総会演説で先進国の国民所得の1%の移転と、途上国の年率5%の成長を目標とした「開発の10年」が提唱する。
[編集] 日本のODAの変遷
[編集] 戦後復興時代
日本は敗戦後の1946年から1951年の間に、アメリカの「占領地域救済政府資金」 (GARIOA) と「占領地域経済復興資金」 (EROA) から約50億ドルのODAが拠出される。カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどからも生活物資や食料などが送られた。1953年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を利用し、東海道新幹線、東名高速道路、黒部川第四発電所などを建設(1990年に完済)。こういった経験から、現在のダム建設などのインフラ整備の日本の政策に重点を置いているとも言われる。
[編集] ODA拠出側へ
日本からODAを拠出したのは、1954年にビルマと結んだ「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」での賠償供与が初めてである。その後、フィリピン、インドネシアと経済協力は続ていくが、初期の日本のODAは戦後賠償としての意味合いが強かった。
1960年代の高度経済成長に入ってから、徐々に現在のODAの体系に近づき、拠出額も増大していく。 1961年アメリカによって主導的に設立された開発援助委員会 (DAC) に、1963年参加する。1964年には経済協力開発機構 (OECD) に加盟。1974年には国際協力事業団 (JICA) が設立される。
1992年、ODA大綱が閣議決定される。 2001年の調査によると、日本は世界第一位の拠出額である。毎年1兆円あまり様々な国に供与している。
[編集] ODA大国時代
日本がODA大国となった理由として、以下の事由が挙げられる。
- 日本企業進出を円滑にするため。この典型的な例として、中国へのODAが挙げられる。謝罪や戦後賠償の意味が込められたため、必要以上に巨額な資金を提供したが、中国はこの資金を流用し軍備を強化し1990年代より旧兵器を排除し日本やアメリカに対し牽制できるほどの力を得て世界的に脅威となっているとの批判がある。日本政府は、資金提供期限を北京オリンピックまでと期限を決めようと意思表示をしているが、中国側はODA中止に反発をみせている。[2]
- 軍事的貢献に代わる貢献策。日本が軍事的な国際貢献をしないことや、巨額の対米貿易黒字を貯め込んでいることへのアメリカ世論の批判をかわすため、軍事力に代わる国際貢献の手段としてODAに傾倒してきたと考えられる。
- 対象国に対する市場開拓の意味合い。途上国のインフラ整備を進めることは、市場開拓がしやすくなるなど、日本企業にとっても利益が大きいため、財界の賛同を背景に、赤字財政の中でもODA予算を増加させることができたと考えられる。
[編集] 政府開発援助大綱(ODA大綱)
ODA大綱とは、政府開発援助(ODA)に関する基本理念や重点事項などを集大成したものである。
1992年、閣議によって決定された。2003年8月に、現在の大綱に改定される。
[編集] 援助実施の原則
ODAが貧困な発展途上国であれば、どの国にでも援助できるかといえばそうではない。
援助の選定となる基準と呼ぶべき4原則がある
国際連合憲章の諸原則(特に、主権、平等及び内政不干渉)及び以下の諸点を踏まえ、開発途上国の援助需要、経済社会状況、二国間関係などを総合的に判断の上、ODAを実施するものとする。
- 環境と開発を両立させる。
- 軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する。
- テロや大量破壊兵器の拡散を防止するなど国際平和と安定を維持・強化するとともに、開発途上国はその国内資源を自国の経済社会開発のために適正かつ優先的に配分すべきであるとの観点から、開発途上国の軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出入などの動向に十分注意を払う。
- 開発途上国における民主化の促進、市場経済導入の努力並びに基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う。
(以上、外務省のサイト『政府開発援助大綱』[1]から)
[編集] 問題点
しばしば指摘されるODAの問題点。
[編集] タイド援助
タイド援助とは、援助国がインフラ整備などの開発プロジェクトなどのODA事業に関して、資材の調達先や服務などの工事事業を日本企業に限定することである。「ひも付き援助」とも言う。事業を請け負う企業と政治家の癒着が問題視されてきた。
1970年代頃、援助される国にはインフラなどが整備されるだけで、援助国(請負企業)の一方的な利益追求によって事業が推進される恐れがあると懸念されていた。 1980年代以降、これらの批判を受け、資材の調達先や工事事業の受注先などを特定しないアンタイド援助が増加していった。現在では、90%後半がアンタイド援助である。日本企業の受注率も、1993年には29%と減少続けている。
[編集] GNP比率の低さ
[編集] その他
- 貧困削減が目的と掲げている割に、LLDC(後発途上国)の多いアフリカに対する援助額が少ない。
- 前年度の予算を基本として引き継がれている傾向が強いODAの予算の決め方が流動的ではない。
- 財務省や厚生労働省など、本来外交とは関係ない省庁などが加わりすぎている。
- とにかく、ODA供与が東アジア、東南アジアに対して偏りすぎている。
etc
[編集] 2004年実績
国名 | 実績額(億ドル) | 前年比伸び率(%) | 国民所得比率(%) |
---|---|---|---|
米国 | 190 | 16.4 | 0.16 |
日本 | 89 | -0.2 | 0.19 |
フランス | 85 | 16.8 | 0.42 |
イギリス | 78 | 24.7 | 0.36 |
ドイツ | 75 | 10.5 | 0.28 |
オランダ | 42 | 6.4 | 0.74 |
スウェーデン | 27 | 12.7 | 0.77 |
[編集] 関連項目
- 経済協力開発機構(OECD:Organization for Economic Cooperation and Development)
- 開発援助委員会(DAC:Development Assistance committee)
[編集] 注釈
- ↑ ただし日本はGNPの母体自体が大きいため、GNPとODAの比率での国別比較ではあまり高い位置ではない。
- ↑ なお、中国は日中境界海域内で東シナ海ガス油田の発掘を行っているためにすぐにでもODAを止めるべきとの意見が出てきている。