播但線
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播但線(ばんたんせん)は、兵庫県姫路市の姫路駅から兵庫県朝来市の和田山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
兵庫県の中央部を流れる市川・円山川に沿って山陽本線と山陰本線を結ぶ陰陽連絡路線だが、智頭急行智頭線が開通して以降、この路線を走る優等列車は特急「はまかぜ」のみとなり、それ以外では地域輸送が主体となっている。
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[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):65.7km
- 軌間:1067mm
- 駅数:18駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:姫路~寺前間電化(直流1500V 架空電車線方式)、寺前~和田山間非電化
- 閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
- 最高速度:
- 姫路~福崎間 95km/h
- 福崎~寺前間 110km/h
- 寺前~和田山間 95km/h
- 運転指令所:福知山運輸指令所
※姫路駅を除き西日本旅客鉄道福知山支社の管轄である(姫路駅のみ神戸支社の管轄)。
[編集] 運行形態
大阪~香住・浜坂・鳥取間に特急「はまかぜ」が播但線を経由して運転されている。
普通列車については電化区間である姫路~寺前間と非電化区間である寺前~和田山間に運転系統が分かれており、全線を通して運転される列車はない。また姫路~福崎間の区間運転もある。
電化区間は20~40分に1本であるが、非電化区間は1時間~1時間半に1本程度で、2時間近く間隔が開く時間帯もある。
1998年(平成10年)の電化時から快速列車も夕方に3本、姫路から寺前行きのみ運行されていたが、2002年(平成14年)3月に廃止され、今は運行されていない。停車駅は姫路・香呂・福崎・寺前であった。
[編集] 使用車両
1972年(昭和47年)10月の蒸気機関車全廃時までは、C57、C11が牽引する旧型客車主体の列車編成であった。昭和初期~戦時中には9600型、D50といった貨物型機関車の他にC51、C54も配置されていたようであるが、昭和30年代には客車用の2形式による牽引体制が確立していた。
播但線でも貨物扱いがあったが貨物牽引の代表形式であるD51が配備されていなかったため、旅客機であるC57牽引の定期貨物という珍しい取り合わせが話題であった。 勾配がきつい生野峠越えのため補機を設けていた他、C57の回送運用を兼ねて3重連牽引もしばしば見られた。生野峠での補機には、1960年(昭和35年)よりDF50型ディーゼル機関車が、また1969年(昭和44年)からはDD54型ディーゼル機関車が用いられた。1972年(昭和47年)の無煙化後は、山陰本線より転属してきたDD54型が旧型客車を牽引していたが、故障が多発していたため1979年(昭和54年)までに順次DD51型ディーゼル機関車やDE10型ディーゼル機関車に置き換えられた。
牽引される客車については旧型客車から、1978年(昭和53年)頃より50系客車への置き換えが進められ、1992年(平成4年)の客車列車全廃時までDD51もしくはDE10牽引の50系客車のスタイルが見られた。
1990年(平成2年)には冷房化を目的として12系1000番台(近郊改造型)車が投入されたが、車両数が少なかったため朝夕のラッシュ時のみの運用にとどまり、50系客車と同じく1992年(平成4年)までの運用となった。
気動車については、1977年(昭和52年)頃よりキハ10系の置き換えとしてキハ40系が投入された。昼間の閑散時にはキハ47形による2両編成もあったが、ラッシュ時には6両編成と気動車にしては長編成を組まれる場合もあった。1992年(平成4年)の客車列車廃止後は、12系1000番台車の置き換えとして北陸地区より転属したキハ58系初期型を改造したキハ58系5500番台車(オールロングシート改造車)が投入された。導入当初は、元線区仕様のカラーリングのままであったため注目を集めていたが、順次播但線カラーに変更された。
この他に、特急「はまかぜ」はキハ80系、キハ181系を使用し、急行「但馬」用にキハ58系も運用されていた。
電化以前は基本的に姫新線と共通の運用であり、車両についても同じ運用であった。 また、姫路駅で山陽本線(JR神戸線)に接続しているが、機関車等は福知山機関区の所属機を運用していたため、いずれも寒冷地仕様であった。
電化後、普通列車は主に103系3500番台が使用されている。ラッシュ時には221系(6・4両編成)も使用されていたが、2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正で、朝のラッシュ時に使用される車両が、221系から103系0番台に置き換えられた。2006年11月3日には、103系0番台に替わり113系(先頭車は111系)が使用されている。また、寺前~和田山間にはキハ40形・キハ41形気動車がワンマン列車で運転されている。
基本的に、電化区間で使用されている車両は、103系0番台を除いて、扉横のボタンを押して扉を開閉するようになっている。
[編集] 歴史
姫路~新井間は播但鉄道により開業し、新井~和田山間は播但鉄道を買収した山陽鉄道により開業した。播但鉄道時代に開業した飾磨港~姫路間は飾磨港線と呼ばれていた(「日本国有鉄道線路名称」においては、播但線は「飾磨港~和田山」であり、この区間は戸籍上は姫路~和田山間と一体の扱いであった。この点は、戸籍上も福知山線の枝線だった尼崎港線とは異なる)。貨物輸送主体で旅客列車が1日2往復しかなかった飾磨港線は、1986年(昭和61年)に廃止された。
山陽本線と山陰本線を連絡する路線であることから輸送力増強及び東海道本線・山陽本線(JR神戸線)不通時の代替路線として以前から電化計画があった。 1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の教訓から非常時の代替路線の必要性が高まり、播但線についても候補として検討されたが、結果として東に位置する加古川線(谷川~加古川間)が代替(電化対象)路線と判断され、全線電化が完了している。 播但線は1998年(平成10年)に姫路~寺前間が電化されたが、寺前~和田山間は断面の狭いトンネルが数多く存在しており、この区間の電化には大規模な改良を必要とすることから、電化対象路線としての位置付けは低いものとなっている。
[編集] 年表
[編集] 播但鉄道
- 1894年(明治27年)7月26日 播但鉄道が姫路~寺前間を開業。
- 1895年(明治28年)1月15日 寺前~長谷間が開業。
- 1895年(明治28年)4月17日 飾磨(のちの飾磨港)~姫路間、長谷~生野間が開業。
- 1896年(明治29年)8月19日 仁豊野駅開業。
- 1897年(明治30年)11月20日 天神駅(のちの飾磨駅)開業。
- 1898年(明治31年)2月18日 京口駅開業。
- 1898年(明治31年)3月28日 溝口駅開業。
- 1901年(明治34年)8月29日 生野~新井間が開業。
[編集] 山陽鉄道
[編集] 国鉄・西日本旅客鉄道
- 1906年(明治39年)12月1日 山陽鉄道が国有化。
- 1909年(明治42年)10月12日 線路名称制定。飾磨~姫路~和田山間を播但線とする。
- 1915年(大正4年)9月21日 飾磨駅を飾磨港駅に、天神駅を飾磨駅に改称。
- 1925年(大正14年)10月15日 姫路~亀山間の豆腐町駅廃止。
- 1934年(昭和9年)8月10日 青倉駅開業。
- 1935年(昭和10年)11月20日 砥堀駅開業。
- 1951年(昭和26年)10月15日 新野駅開業。
- 1984年(昭和59年)2月1日 飾磨港~姫路間の貨物営業廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日 飾磨港~姫路間が廃止。全線の貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。
- 1991年(平成3年)11月1日 ワンマン運転開始。
- 1998年(平成10年)3月14日 姫路~寺前間が電化。この区間の営業列車を電車(103系3500番台)に置き換え。
- 2006年(平成10年)4月1日 姫路~和田山間の全通100周年記念セレモニーが和田山駅で行われ、特製ヘッドマーク掲出運転や様々な記念関連イベント開催。
[編集] 駅一覧
[編集] 営業中の区間
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
姫路駅 | - | 0.0 | 西日本旅客鉄道:山陽新幹線・山陽本線(JR神戸線)・姫新線 山陽電気鉄道:本線(山陽姫路駅) |
兵庫県 | 姫路市 |
京口駅 | 1.7 | 1.7 | |||
野里駅 | 2.6 | 4.3 | |||
砥堀駅 | 1.7 | 6.0 | |||
仁豊野駅 | 2.2 | 8.2 | |||
香呂駅 | 3.0 | 11.2 | |||
溝口駅 | 2.0 | 13.2 | |||
福崎駅 | 3.9 | 17.1 | 神崎郡福崎町 | ||
甘地駅 | 3.5 | 20.6 | 神崎郡市川町 | ||
鶴居駅 | 3.9 | 24.5 | |||
新野駅 | 3.2 | 27.7 | 神崎郡神河町 | ||
寺前駅 | 1.9 | 29.6 | |||
長谷駅 | 6.3 | 35.9 | |||
生野駅 | 7.7 | 43.6 | 朝来市 | ||
新井駅 | 8.3 | 51.9 | |||
青倉駅 | 3.7 | 55.6 | |||
竹田駅 | 4.3 | 59.9 | |||
和田山駅 | 5.8 | 65.7 | 西日本旅客鉄道:山陰本線 |
- 直営の有人駅は姫路駅・福崎駅・寺前駅・和田山駅のみ。他は委託駅・無人駅。
- 特急停車駅ははまかぜ参照(全運転区間掲載)。
[編集] 飾磨港線(廃止)
※路線廃止時点のもの
[編集] その他
播但線には国道312号および播但連絡道路が並行する。播但鉄道開業まで生野銀山と姫路市の飾磨港とを連絡していた生野鉱山寮馬車道という道路も存在していた。
関西では代表的な非電化路線であったため、1972年(昭和47年)の蒸気機関車廃止時と1992年(平成4年)の客車列車全廃時には、それぞれ多くのファンが沿線に詰めかけた。
非冷房時代が長かったため、1990年(平成2年)の12系1000番台車導入時には、「冷房車両が登場」と沿線に新聞折込広告を配布した。
キハ58系5500番台のロングシートは、両端デッキ部を除く約17mにもおよぶ長い1本のシートが特徴であったが、播但線よりの撤退時に全車廃車となり形式消滅した。
電化後は主に2両のワンマン列車となった為、混雑が慢性化しており、特に姫路~寺前間の沿線には高校が多数散在するため、朝夕の登下校時は常に満車状態である。その時間帯では、朝のラッシュ時の姫路行きの場合は、4・6両編成の車両で寺前向きの先頭車両、夕方のラッシュ時の寺前行きの場合は、4・6両編成の車両で寺前向きの先頭車両が、他の車両と比べ比較的乗客が少ない時が多く、混雑を避けてその車両を利用する人もいる。これは、姫路駅の播但線のホームが、姫路向きの先頭車両から降りると、姫路駅の降り口や山陽本線への乗り換え通路に近いというような構造をしているためであると考えられる。
103系0番台の車両と103系3500番台9編成あるうちのある車両で、播但線でまだ快速列車が運行されていた時の路線図を見ることができる。
寺前より和田山まで運行されているキハ41形等については、エンジンを換装し走行性能が向上しているが、生野越えの急勾配の前には力不足の感は否めない。和田山より山陰本線を通って車両基地である豊岡鉄道部までの回送運行がある。